2004年07月23日(金) |
今の時期の鑑定・・・(何らかのメッセージ・・) |
現在、 私の元に訪れる方の殆どが、 以前に鑑定した方からのご紹介・・口コミという形です。 それ以外に、 最近増えている鑑定内容で言えば、 相談者の方のご家族に関して・・ 妹さんだったり、ご主人様だったり、その方のお兄様だったり・・ その特徴として、それぞれの方のお悩みは、 とても、緊迫しており、急を要する事が多いものです。
ただ、もう一つの特徴として、 鑑定依頼をしたい・・と考えているにも関わらず、 何らかの邪魔が入る・・・という事が多く視られています。
今の時期は、 大変に霊的に、意味のある時期だと申し上げました。 そう考えながら、世間や周りの人達を視ると、 何かしら、思い当たる事が往々にしてあります。
そのどれもが、大半は、 御先祖様からのお願いが含まれている・・と感じています。
ここで、お伝え致しますが、 ユタの私も六明師も たとえ、ご家族、ご夫婦であったとしても、 魂は全く別である・・・・と考えております。 ですから、 ご本人でない場合の鑑定依頼に関しては、 内容によって、 お受けできる場合とお受けできない場合とがあります。
どうか、 今の時期に多く視られる、ご家族に関しての鑑定依頼は お手数ですが、 正式な鑑定申し込みから、お申し込み下さる様お願い申し上げます。 その後に、お受けできるかの返答を致します。
まだ、 お返事を出していない相談者の方もいらっしゃいます。 どうか、もうしばらくお待ち下さい。
それから、 ユタの私は、相談者の方からのご連絡、ご質問に対し、 すぐにお答えする場合と、 すぐに返事を出す事を禁止する場合とがあります。
ユタの私は、全ての事を何でも 私に確認してから、前に進もうとする方に対しては、 とても厳しく、必ず、相談者の方が考える時間を設けます。 勿論、 スケジュールの都合で、 すぐに、お返事する事ができない場合も多々ありますが、 私からのお返事、答えが遅れる場合には そういった意味も含まれているとお考え下さい。
常に全身全霊をかけ、全ての事に対応させて頂きます。 ただ、一つ・・ ユタの私も六明師も一つだけ、心に決めている事があります。 それは、何か・・・ 私たちは、 絶対に、人の人生を左右するという、罪だけは犯したくないのです。
過去の相談者の方の中には、 ユタの私や六明師を 教祖のように、崇め、慕ってくださる方がみえました。
けれど、それは間違いです。 その様なお考えの方は、断じて、お断り致します。
何故なら、そのようなお考えの方は、 エスカレートすると・・しまいには、トイレに行く時間まで・・ 私に尋ねるようになります。
私の願いは、一人、一人の方がご自分で本当の幸せを掴む事・・ 誰にも頼ることなく、 いつでも、 どこにいても、 どんな事があっても、 心からの幸せを感じる事ができる・・ それが、心からの願いなのです。
ユタの私も六明師も神仏のお力をお借りし、 そのメッセンジャーとして、言葉を発するだけです。
私の相談者の方は、 過去の対面鑑定をした方も含めると、 その人数は、自分でも把握しきれないくらいいらっしゃいます。 ご祈祷をされているとか、されていないとかに関わらず、 私は、身代わり念珠をされている方、 全ての方を私の大切な方・・・と考えております。 もっと、広く、欲を出して言えば、 私にご縁があり、 本職の中で、言葉を交わした方・・ 日常生活の中で、すれ違っただけの方・・ 眼には視えない出会いを果たした方・・ 全ての方を、私は大切な方だと考えております。
私は、神仏との世界に橋を架ける人間になりたいのです。 六明師という本当の僧侶が行なう 身代わり念珠や極蜜祈祷を通して、 みなさんに、神仏のお力を実感して頂きたいのです。
私は、ただの橋渡せの為に、存在しているのです。 「仏縁」という大きなご縁を繋げる為に、 こうしてみなさんにこの場をお借りし、お伝えしているのです。
先日、 テレビ番組で、お笑い芸人と言われている方々が 心理テストと題して、下記のような問いを出していました。
「四文字熟語を二つ・・頭に浮かべろ・・」
みなさんも言葉を心に描いてみて下さい。 私の中にすぐさま浮かんだ言葉は・・ ・・・「一期一会」と「自業自得」 この二つでした。
実は、これ、 最初に浮かんだ言葉が、その人が持つ人生観・・・ 二つ目に浮かんだ言葉は、その人が持つ恋愛感・・だそうです。
貴方は、どのような言葉が心に浮かびましたか?
「自業自得」という言葉の意味は、もうご説明致しました。 神仏のお力は、まさしく自業自得・・である、と。
「一期一会」とは、ご存知のように、 一生に、 一度きりの出会いの事で、人と人との出会いは大切にすべきだ・・ とする、戒めの四文字熟語です。
実は、「一期」とは、 人が生まれてから死ぬまでの間を意味する仏教用語で、 元々は、茶道の心得を説いた言葉です。
「今日という日、 そして、 今いる時というものは、二度と再び訪れるものではない、 その事を肝に銘じて、生、行なうべきである・・・・・」
という意味です。
私は、 今生に出逢う事のできた方々を本当に大切に思っています。 人の人生における出逢いは、それぞれに意味があります。 それは、貴方に幸をもたらす者であったり・・ 逆に、貴方に対する戒めとしての教えを運ぶ者だったり・・ そこには、常に、何らかの意味が込められています。
貴方は、私にとって意味ある方なのです。 私は、常に貴方のことを思っています。 私には、 こうして知っている事を貴方にお伝えする事しかできず、 はっきりと申し上げれば、祈る事しかできない人間です。
貴方が思う、ご家族に対するお気持ち・・ とても、人事ではありません。 表面の私は、 貴方のお気持ちを察し、とても心穏やかではありません。 けれど、ユタの私は言うのです。
「教えを頂けて良かったではないか・・」 今、知ることができる貴方を喜んでいるようです。 生きるために必要な、良ききっかけとなる・・・と考えているようです。
どうか、 心を強くし、何事にも冷静に、落ち着いて、対処して下さい。 私は、変らず貴方の側にいます。 貴方を常に、見守ります。 心から、心を込めて。
−AYA−
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