2003年12月26日(金) |
私から皆さんへの願い |
皆さん、今日はどうお過ごしですか? 私は有意義な時間をありがたく頂戴しています。
先日からの日記で「祈願」の事について述べましたが、 どうか、お願いします。 今日は私の願いを聞いてください。 私の心の中での問答を書かせて下さい。 お願いします。述べさせて下さい。
「人は何故、苦しい思いを感じてまで、 生きなければならないのか!」
表面にいる私は、おかしいのかもしれませんが、 常にその事ばかりを考えています。
「生きるって、どういう意味なの?」 「人生って何?」 「幸せはどんなものなの?」 「私は何の為に生きているの?」 いつもいつも、いつでもその事ばかりを考えています。
人が「死」に直面する程悩む時、 それは殆どが孤独からくるものです。
私は患者さんの中でも老人が特に大好きです。 私達のこの世界を作ったのは 今生きている明治、大正、昭和生まれの方々です。 私はそういう年齢の方から教えをこうむりたい。 だからこそ、 私の中には、「老人ホームを作るんだ!」 という夢があるのかもしれません。
でも、その方達が不安になる時の目安が 「孤独」 なんです。 「家族が面会に来なくてもいい。」 と言う人は他との関係がうまくいっている人。
「自分なんか、もうどうでもいい。」 「私は生きている意味などない」 「私がいなくなっても、誰も困らない」 「私は何で生きているの?」 「私は何でここにいるの?」
人生はいつでも、自分の思い通りにはいかないものです。 お釈迦様も言いました。 「諸法無我」 自分の考えているとおりに生きられないのが、人生なのだと。
私は常に思います。 鑑定をする度に、患者さんとの会話の中で。
この人の悩み、苦しみにはどんな意味があるのか?
この人は、何の為にこんなに苦しむのか?
表面にいる私はいつでも心の奥に問いかけます。
「私達は魂の成長を待っている。」 「いつでも、成長は可能なのだ。 けれど、人の心は常に迷いの中にいる。」
「成長して、何があるんですか!」と私が言う。
「魂は全て同じレベルへの道を辿る。 人間が呼ぶ神仏に近づくために、私達は成長する。」
「人は皆同じ。ただ、人生での学びが違うだけ。 人はそれを運命とか使命と呼ぶ。魂の成長は学び。」
「苦しみが大きいほど、人は何かを得る。」
私もそうでした。 何年か前の私は、今の私とは全く別の人間でした。 あの時の苦しみが今の私を創ったのです。 あの時の苦しく、つらかった日々。 何度も「死」について考えました。 心が張り裂け、壊れていくまで、 何日も何日も考えました。
「諸行無常」 お釈迦様のもう一つの教えです。 物事は常に同じではない。という事です。 毎日が同じように見えても、 季節や時間が変わるように、 心も又、変化する。
今の貴方が苦しいと感じ、 このままの状態が続くようにみえても、 必ず、苦しみは別の何かを生みます。
苦しみの中から 怒りや恨み、妬みを生む事は簡単です。 けれど、 今のこの苦しみが何かを教えるため、 幸せへの階段を登る為のものだと考えたら・・・
貴方の苦しみも、寂しさも、 貴方が幸せになる為に容易されているのです。
貴方の心の奥にいるもう一人の貴方は知っています。 貴方がどうするのか。 どう生きるのか。 をじっとみつめています。
昨日はクリスマスでした。 私の心が魂の伴侶を求める人の心を感じてしまい、 思わず、書かずにはいられませんでした。 ごめんなさい。 そして、聴いて下さってありがとう。
次回のテーマは 皆さんからのリクエストにお答えしますね。
又、貴方からの願いも書かせて下さいね。 どうか、ご質問下さい。 それが私の喜びなのですから。
今の私は、 本当に、生まれて、良かった、 と思っています。 あの時の苦しみが私を変えてくれたのです。 あの時の思いが今の私を創ったのです。
貴方の今が、 貴方の喜びへと変わる事ができますように。
私のもう一つの願いなのです。
ーAYA−
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