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2005年05月12日(木) |
“歴史”は想像の産物だ(逆説の日本史) |
井沢元彦『逆説の日本史1 古代黎明編』読了。
すごいすごい。 学者じゃなくても、これだけ考察できるんだもの。 いや、学者は特異な能力でもなく、ただそれを専門にやっている、 というだけのことだから、時間と、なにより精力をかければ、 もちろん誰でもできることだ。
小説家は、物語を生む人。 つまり、その舞台背景や文化や信仰や思考やなんかを、全部考え出す。 考え出すと言っても、それはその作家の中にある、 なにかがきっとベースになっていて、あとは想像力なのだろう。 (ほら、想像力は創造力だ) そういう点で、『指輪物語』のトールキンは、最たるものだ。
そして、その想像力を生かせば、 架空の世界を作り出すだけでなく、 歴史の背景、一般に知られている「出来事」の裏にある事柄まで、 思いをはせることができる。 それを面白く表現できるのが、また作家の才能。 ちょうど、去年の大河ドラマの三谷幸喜がそうだ。
で、井沢元彦。 もとは雑誌の連載だったこともあり、同じことを何度か繰り返し説明してくれるので、 内容=井沢氏の主張がわかりやすく伝わってくる。 もちろん、平易な文章で書かれているからでもある。 井沢氏の推理(誰がどうがんばったって、歴史の解読は推理にすぎない)は、 納得できるところと、できないところがあるけど、それはまあ当然だ。 それぞれ、人によってとらえ方は違うから。 もちろん、わたしは彼のように詳細に調べているわけじゃないので、 反論しろって言われても、できないが。 しかし、彼の考えの根底にある、日本の歴史研究の三大欠陥 ・呪詛的側面の無視ないし軽視 ・資料至上主義 ・権威主義 というのは、納得だ。 いったい、どれほどの研究家が当てはまるのかは知らないけれど、 もし、本当にそうだとしたら、やっぱり歴史は理解できないと思う。
身近な研究家の名誉のために言っておくと、 わたしの習った先生は、この日本古代における「呪詛的側面」をすごく重要視していた。 現代人の感覚ではなく、古代人の感覚で考えるべし、ということを教えてくれた。 だから、井沢さん、そんなに捨てたもんじゃないと思いますよ。
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