遠雷

bluelotus【MAIL

もどらないもの
2008年03月13日(木)

彼と過ごした期間に使った携帯は、2つ。
古い方は日常的に目覚まし代わりに使っているので問題は無いのですが、もうひとつ。
最後のメールを送った方の携帯電話。
使わないまでも時々充電をしていましたが、ここしばらく充電しないでおいたら、データがすべて消えてしまいました。
きれいさっぱりと。

パソコンに移しておかなかったのもいけないのです。
いつかこうなる可能性があるから、データ取り込み用のソフトを買わないとなどとずっと思っていたのに。
Macでさらに古い携帯の機種の使えるソフトが少なかったため、後回しになったままでした。
悔やんでも、もう、無いのです。

ただ、それに気がついたときのダメージが意外に少ないことにとても驚いています。
何もわからないくらいにショックを受けるかと思いきや、あまりのことに呆然として、バッテリーを外してみたり充電し直してみたり悪あがきをしてもどうにもならないとわかった後は、しばらく体が冷たくなったくらいでした。
わあわあ泣くこともなく、ただ呆然として震えたくらいでした。
何日かはどうしようどうしようとそのことばかり考えていたものの、結構早い時期に、「仕方がないか」、とすんなり思ってしまいました。

あれから2回くらいは、最後の頃のメールは読み直しました。
今でも読み返したら涙無しにはいられないでしょう。
でも、暗い色合いの多い時期のメールより、付き合う前の濃密なやりとりや、付き合い始めた頃の甘さのにじんだメールの方が私には大事なのだから、大丈夫なのだと思えたのです。
そして最後のやりとりを見たらもれなく、自責の念にかられてグダグダな状態に戻ってしまうこともよくわかっていますし。
それは今後どんなに幸せになったとしても変わらないような気がします。

簡易留守録に声が残っていたりするならば悔やんでも悔やみきれないところでしょうけれど、それも無く。



後悔がないわけでは、勿論ありません。
悔しいです。

でも、どうにもならないものですし、そう納得できてしまう段階まで自分が来てしまったと思ってしまえるのです、もう。
そのことは喜ぶべきことなのかもしれません。
でもまだ、納得できることと素直に喜べることとは違うという悪あがきができている、それにまた安心している段階でもあります。





でも、消してしまってごめんね。



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