mortals note
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2007年11月30日(金) se

            *


 ―――消えてしまうんですか?
 大きく目を瞠って、麻生貴行は問い返した。
 そうだよ、消えてしまうんだ。骨のひとかけらも残らずに。
 俺はそれを目の当たりにしたからよく分かる。まるで、存在したことが嘘のように消え失せてしまうんだ。
 脅しをかけたつもりだった。
 霊媒師たちの保身のために、文字通り”消される”人間がいる、そんな不条理なことが、まかり通っていいはずがない。生き残るためには、うまく立ち回る必要がある。
 忠告をしたつもりだった。
 食い違いにはすぐに気がついた。
 コーヒーカップから顔を上げた麻生貴行の瞳が、輝いていたからだ。
 幾千の夜がようやく明けたような、まぶしい朝日を臨むような。
 殺されるかもしれないという怯えなど、欠片も見られなかった。
 白い頬が、心なしか興奮に上気しているようにも見えた。
 ―――貴方も、僕を消すことが出来るんですか?
 瞬きも忘れて、麻生貴行は身を乗り出した。テーブルに腿が当たり、なみなみと注がれたコーヒーがこぼれる。
 違和感がどこからくるのか、そのときようやく気がついた。彼の望みに。
 彼は、何も恐れてなどいなかったのだ。脅しになるはずがない。
 俺は君の望みを叶えてあげることは、できない。
 咄嗟に彼の行きかけた道を塞いだ。麻生貴行は、心なしか潤んだ瞳を一度しばたいてから、乗り出した体をソファーにうずめた。
 ―――だったら、誰が僕の望みを叶えてくれるんですか?
 自分が何を言っているのか分かっているのか?
 気づけばテーブルに拳を打ち付けていた。とても腹立たしかった。
 どうして”子供”はすぐに、死にたがる。
 全てがリセットできるとでも思っているのか? 輪廻転生にあやかろうというのか? そんな、在るかもわからないものに。
 逃避のすり替えだ。
 麻生貴行は、ぐったりとソファーに沈んだまま、上目遣いにこちらを見た。
 ―――僕だってどうかしてるのは分かっているんだ。だけど、それ以外に何もないんです。ずっと昔から感じていた居場所のなさを癒してくれるのは、多分。
 深く黒い双眸は、確かな意志の炎を宿していた。
 揺らぎのない、深淵の色だ。
 何とか―――止めようと柄にもなく言を継いだ。けれども少年は、ゆっくりと、けれどもきっぱりと首を横に振っただけだった。
 ―――もう僕は……どうかしているんでしょう。

 俺は君の望みは叶えない。
 うなだれたままソファーに沈む少年に、今度は強い言葉をぶつけた。
 椅子を引いて立ち上がる。自分に降りかかった影を仰ぐように、少年は顔を上げた。
 俺はもう二度と、この力は使わない。
 覚えておけよ、それを頼むってことは、人殺しを頼むってことだ。お前は楽になるかもしれない、だけど、やったほうはその記憶を引きずって生きていくんだ。
 知らずに拳を握り締めていた。爪の食い込む痛みで、それに気づいた。
 少年は怪訝そうな目で俺を見上げた。
 その、あどけなさすら垣間見せる無防備な表情に、俺はとてつもなく残虐な気持ちになった。

 俺は、親友を殺した。

 少年が目を瞠った。


(もう二度と、この力を使うもんか)
 断言して、身を翻した。
 手軽な手段を失ったら、怖じて諦めるだろうと思った。
 会計を済ませて、レトロな扉を押し開けた瞬間、何故彼に声をかけたのか、分からなくなっていた。
 客の出入りを報せるベルを背に聞きながら、自分の浅ましさに吐き気を覚えた。
 善意のつもりだった。彼を、生かすための忠告だと思い込んでいた。
 だが結局は自分が、罪悪感から逃れたいだけなのだと、そのとき気がついた。
 ぬるりと足元から立ち上がった影が、気遣わしげにこちらを見上げる。
 濡れた鼻先を指先で撫で、店の傍らに停めたバイクに歩み寄った。

 ―――俺を殺すのか? 巽。
 口の端に浮かべた、引きつった笑み。見開いた瞳の、底のない黒さ。
 バイクにキーを差し込み、エンジンをかける。毎晩のように思い出す男の顔が、瞬きの合間に瞼の裏に浮かんだ。


            *


「最近さぁ、おふくろがよく倒れるんだよ」
 沈痛な面持ちで、真寛(まひろ)は切り出した。
 箱から抜き出したままの煙草を、火もつけずに指先でもてあそぶ。
 閑静な住宅街の真ん中に取り残されたような公園の、ブランコに無理矢理座っていた。
「病院で検査してもらっても、病気じゃねぇって帰されてくるんだよ。病気じゃねぇのに倒れたりするか? あそこ、ヤブなんじゃねぇの」
 黄昏時、傾いた陽を背に受けて、影は長く公園に伸びる。
 その異変は既に、近所の噂から伝え聞いていた。何度検査を重ねても体に異変は見つからないのに、突然ふっと意識を失ってしまう。病院を変えても結果は同じで、気味が悪い、と真寛の母が怯えているのも知っていた。
 時を同じくして、真寛が”タケル”を見るようになった。
 お前の家、いつの間に犬を飼い始めたんだ? などと言う。
 影の具現化である獣が見えるのは、能力のある人間を除けば、―――シャドウイーターだけだ。
 聞けば、母親が倒れるときには、必ず真寛が傍にいるとも聞く。
「心配でさあ」
 人気のない公園には、ブランコの鎖が軋む音ばかりが響く。
 老朽化を理由に遊具が軒並み壊されてからは、すっかりと寂れてしまったが、幼い頃はよく遊んだ場所だ。



如月冴子 |MAIL

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