mortals note
DiaryINDEXpastwill


2006年11月05日(日) [残]

「……何が楽しいんだ?」
 耳朶の後ろから、唇が首筋を辿っておりる。
「さあ? 当ててみて」
 唇を肌に押し当てたまま、からかうような声音が答えた。
 声のふるえが生々しく肌に伝わって、皮膚の内側に伝わる。
「気色悪い声出してんじゃねぇよ」
 咽喉をそらす。
 相手と距離を置こうとしてやったことが逆に、相手の頭を傍に招き入れる悪循環。
 ぐっと寄った唇がふたたび、咽喉仏を辿って耳元に這い上がった。
「まったく、ダンナったら素直じゃないんだから」
 耳朶に、鈍い痛み。ぴりっと、電気でも走るような。
 何が起こったか分からぬうちに、耳の形を辿るように舌が這っていった。
 気づいたら、思いっきり相手の腹を足で蹴り上げていた。
「ってぇな! 誰が噛んでいいって言ったよ」
 が、相手は何枚も上手で、ひらりと身をかわして飛びのいてしまう。
「だって、してほしくても自分じゃ言わないでしょー」
 一糸乱れぬ恰好のまま、降参とばかりに両手を挙げてみせるので、更に憎らしくなった。
「……」
「アラ、図星?」
 憮然と押し黙ると、忍は両手を挙げたまま首をかしげてみせた。
 そののんきな所作が、更にざらりとこちらの感情を逆撫でしてくれる。
「……呆れてるんだよ」
「ふーん。ま、いいけどね」
 口元に不敵な笑みをひらめかせて、佐助は身をかがめる。
 後ろに両手を突いて、だらしなく足を放り出して床に座っている、奥州筆頭の左胸に、右手を当てた。
「オマエな……」
 着物の合わせ目からするりと滑り込む掌は冷たい。
 思わず震えた体は、冷たさに反応したのか、それとも。
「んー? 何?」
 忍はむき出しにした鎖骨に噛み付いている。その獣じみた動きを、正宗は隻眼で見下ろした。
 泰然と座ったまま、こちらは動いてやる気はない。
「……愉しいのか?」
 腹を撫で下ろす手。それを辿る唇。肌に触れる髪の感触。
 相手の顔は見えない。
 一体どんな顔で、こんなことをしているのやら。
「俺は愉しいですよ」
 ふふ、と小さく笑う声が返ってきた。なんだか酔っ払ったように上機嫌だ。
「胡散臭ぇ奴」
「ちょっとそれは酷いんじゃない?」
 ため息とともに吐き出せば、がばりと佐助が体を起こした。
 無遠慮に伸びた手が、眼帯のあるあたりの髪を梳いた。
「バッ、おま……」
「俺だって一応ちゃんと、傷ついたりもしますヨ」
 かといって眼帯をはずしはせずに、その形を指先で辿る。
 露骨に局部にふれられるよりも、よっぽどこそばゆい。
「それが! 嘘くせぇって、言ってんだよ! 離せっ!」
「暴れると、強引に押さえ込んじゃいますよ?」
 にんまりと緩んだ口元が迫って、そのまま。
 噛み付くようにくちづけられた。
 眼帯の上から触れる指先や、執拗に歯列を割って滑り込み、歯の裏を辿る舌先の動きに気をとられているうちに。
 胸にあったはずの右手が、体重を支えている後ろ手をぱしりと弾いた。
 体の重みを支えきれなくなって、気づいたときには。
 畳の上に仰向けに転がっていて、真上に楽しそうに笑う胡散臭い顔がある。
「テメェ」
「俺の勝ち?」
 ふふん、と勝ち誇った笑いが降ってきた。
 何が楽しいのかわからない。
 大の字に転がったまま、正宗はのしかかる男を見据える。
「俺は別に不自由してるわけじゃねぇんだぜ」
「そんなのは見れば分かりますってば」
「だったら」
「そっちこそ、人でも呼べば済む話でしょ。すぐにすっ飛んでくるんじゃないの?」
「忍の一匹や二匹、始末するのは簡単だ。人を呼ぶまでもねぇ。何しに来たのか、俺は訊いてんだよ」
「ダンナに会いに」
「ふざけてんのか」
「真面目ですよ俺は、いつだってね」
「武田から何か言付かって来たのか」
「いいえー。ちょっとふらりとね」
 半眼になって、正宗は敵方の忍を睨む。
「なんのつもりだ」
「さーァ。……なんだろね」
 ふと、苦々しい笑みが佐助の口元に浮かんだように見えた。
 自嘲じみた笑いはすぐに消える。
「ま、折角遠路はるばる来たんだから、少しぐらいかまってくれてもいいんじゃないの」
「"ソッチ"は好きじゃねぇ」
「別に、そのまま大の字で転がっててくださいよ。別に寝ててもいいし」
「ハッ、物好きな野郎だぜ」
「ぐーぜん。俺もそう思ってたとこ」
 肩をすくめて、あとはもう何も言わなかった。


            *


「ヤるんなら脱げよ」
 大の字に転がって、目をつぶった男が不遜な声でそんなことを言う。
「は?」
 思わず真顔で聞き返す。
 突然何を言い出すのかと思えば。
「俺は衣擦れすんのが嫌いなんだ」
 頭の後ろで指を組み合わせたりして、まったく協力するそぶりは見せない。



如月冴子 |MAIL

My追加