草原の満ち潮、豊穣の荒野
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45 River, Sea, Ocean 1

昼下がりのヒダルゴ。

街角にある小さな一軒の商店。
色とりどりのキャンデーが入った瓶に
干した果物で作られた菓子類、焼き上がって
並べられたばかりのビスケット。

カウンターの横には多少の酒類もある。
大抵は大人が子連れで入ってきて
店主に注文のリストを渡す。
この街にない品を求めたい時、ここで頼めば
定期便で探してきてもらえる。

子供が買い与えられたキャンデーやビスケットに
夢中になっている間、大人達は用をすませ雑談に興じる。
ある時は遠い国の香辛料、またある時は高価な布生地。
揃えられる限りなんでも並ぶ店。
時折子供達だけがいくらかのコインを握りしめ
菓子類を買いにやってくる。




「おい、見ろよ。あいつ変な色」

「青い顔してるぞ」


数人の子供達が瓶のキャンデーを物色する手を止め
ひそひそと話しはじめた。
好奇心に満ちたその目の先にひとりの子供がいた。
年の頃は10歳になるかならないか。
服装こそ街の子供と大して変わらなかったが
その髪、肌、目はすべて青かった。


「おや、司祭、いらっしゃい。今日は何をお頼みで?」


店の扉が開かれ、黒い服の大人が入って来た。
店主が読みかけの新聞を置いて立ち上がる。

「神殿から頼んでおいた書物に追加があってね。
すまないが間に合うかい?」


司祭、と呼び掛けられた男は穏やかな声で答え
カウンターに腰掛けた。
小さい店内の端には子供が数人。
いつもの光景だ。
彼は特に気にも留めず店主と追加分の確認を始めた。




「...おい、あいつ見た事ないな」

「この店はぼくらのなわばりだってこと
教えた方がいいんじゃないか?」

「そうだよな、あいつ
ぼくらの方も見ないし気に入らない」


噂の子供は男の子だった。
髪は長く背中まで届いているが
見るからに悪戯小僧、と言った顔つき。
どこにでもいる元気そうな子供。
青い事さえ除けば。

彼は自分が噂の的になっている事など
全く気付きもしない様子で張られたポスターや
飾られた人形を夢中で眺めていた。


「....いい考えがある」

子供達は輪になってひそひそ内緒の相談を始めた。
黒い服の司祭が用をすませ店を出て行きかけ
足を止める。

「....?」

どこかで見た顔だ。

司祭....カノンは店の隅で窓の人形にへばりついている
子供の横顔を見て頭を傾げた。

あれは...確か....。



カノンの傍をすり抜け子供達が青い子供に近付いた。
彼等は隣の人形を覗き込むようにして、青い子供の傍に立つ。
にこにこしながら人形を見ている子供は
相変わらず気付いていない。

「......」

カノンの表情が一瞬険しくなった。
眼鏡の奥で氷青の目が細められる。


子供達はそのままぱたぱたと店から出て行く。
青い子供だけが人形にかじりついたまま。
店の入り口で最後の子供が振り返ると
彼を指差し、大声で叫んだ。

「おじさん!そいつ悪い奴だ!
ポケットの中調べてみてよ!」



はじめて青い子供が顔を上げた。
その顔を正面から見たカノンが小さくあっ、と声を上げる。
店主が新聞を叩き置いて怒鳴った。


「コラ!この手癖の悪いガキめ!」

店主は呆然とした青い子供をひっ掴み
そのポケットの中の物をカウンターにブチまけた。
色とりどりのキャンデーがころころと転がって
床に落ちる。

「代金を払ってないだろ」

店主は子供の腰を掴みあげ、ズボンを下ろすと
ものすごい勢いで尻を叩き始めた。
子供の顔や尻が青く、珍しい色をしている事すら
頭に血が登った店主には関係ない。

「子供でもっ、泥棒はっ、
いかん事くらい知ってるだろ!!
この性悪ガキめ!親に引き渡す前に...」

子供の泣き声が店に響く。
いきなりつかまえられて尻を叩かれているのだ。
勿論、彼はキャンデーなんか触りもしなかった。

「この!ダラダラ店にいるからどうも怪しいと
思ってたら案の定!」

「店主、ちょっと待ちなさい」



叩く数発目の手を掴んで止めさせたのはカノンだった。

「その子は何もしていない。
さっき出て行った子供達が、その子のポケットに
商品を入れたのを僕は見ていた。
言うのが遅れてしまったが……」

「えっ....」



街の多くの人間にとって神殿の人間は尊敬に値する。
通りすがれば目礼程度の敬意を表すのが常識だ。
相手もにこやかにそれを返し、ふんぞり返っているわけでもない。
そんな街の人間にとって、良き相談相手でもある司祭が言ったのだ。
疑う者などない。
司祭はすまない、と、すぐ声を掛けられなかった事を
詫びた。

「ああ、いや、滅相もない。こっちこそ...」



青い子供の泣き声が止んだ。床に下ろされ
店主が特大の棒つきキャンデーを手に握らせた瞬間
彼はにこにこ笑い始めた。

「...現金な子供だ」

大人ふたりが呆れて子供を眺める。
注目されている当の本人は持たされたキャンディを
さっきまで見ていた人形と同じくらい
夢中になってひっくり返したりすかしたりしている。


「いやあ、司祭。申し訳ないですね。
とんでもない誤解で子供叩いちまったなんて。
教えて頂けて助かりました。
それにしてもあの悪そう小僧共め、今度来たら
とっつかまえて尻叩きだ」

「罪をなすりつけられて叱られる子供を
黙って見ている訳にはいかないからね。
...子供の悪戯は意外と巧妙だ。
間違えたのは仕方がないさ」


慰めるように言いながらカノンは子供を見つめた。

......もしかしたら。


「どこの子供でしょうね。司祭。
こんな子は始めて見る」

「......多少、心当たりがある。確信は無いんだが...」












「...で?なんで私が子持ち呼ばわりされにゃならんのです」



夕刻、酒場で仏頂面になっているのはブルー。
カノンが連れて来た子供を見て知るもんか、と手を振る。


「僕は心当たりが無いだろうかと言っただけだよ。
君の子かとは訊いてない」

カノンが渋い顔で嘆息した。
あまりにも似ているのだ。
改めて二人並べてみても親子、もしくは兄弟以外の
なにものでもない。何か事情でもあるんだろうか。
カノンでなくとも誰もがそう勘ぐっただろう光景。

酒場は夜の開店準備中。
まだ店主と厨房手伝い女しかいなかったが
全員ブルーと『ミニサイズブルー』を見て絶句していた。




「構わなければ、君の年齢を聞かせて欲しいんだが...」

「....推定で23ですよ」


ブルーは孤児である。
従って本当の年齢はわからない。面倒臭いので適当にサバ読んで
でっちあげる。それでも大体このくらいだろうと
己でも思っている年齢を口にした。


「なるほど…。いや、こちらとしても
身元がわからない子供を放っておくわけにいはかないんでね。
君の身内じゃないとしても、同郷には近いんじゃないかい?
何か心当たりなど思い出せるような事でもあれば
教えて欲しいんだが....」

「知るもんか」


ブルーはすっかり気分を害していた。
見てくれは一応これでも23前後にしか見えないと思っている。
まわりも多分そう思っているだろう。
それなのにこの司祭と来たら
突然、子連れ呼ばわり同然の事を言ったのだ。

冗談じゃない。身に覚えがないばかりか
10そこらで子供なんか誰が作る。


「僕も失礼は百も承知だが。
いかんせん、この街には色んな種族の者がいる。
外見と年齢が一致しないものもまたしかり、なんだ。
すまないな」

カノンはあっさりブルーの顔から抗議を読み取ったのか
無礼を詫びた。


「それはいいとしても....私は本当にこんな子供
知らないんです。
そもそも私が最近までいたのは海...」


ブルーが言いかけて黙った。

海で生きていたのだ。しかもこの子供は真昼に街なかを
うろついていたのである。単に似た外見を持つ種族の
子供としか考えようがなかった。
正直、自分でもうりふたつのその風貌に驚愕していたのは
事実だ。

子供はにこにこしながら大人達を見ていた。

「この子は何を聞いても答えないんだ。
このまま保護者が見つからなければ、神殿の方で孤児として
扱わざるをえないな...」


カノンが子供の手を引いて店を出かけた時
子供が笑顔で言った。


「ブルー!」









その日程、彼はバツの悪い思いをした事はなかった。
子供のろくでもないそのひとことで
彼は保護者の責任を逃れようと企てたロクデナシの
烙印を喰らったのである。

カノンは言葉こそ静かなものだったが
きっぱりと言った。



「僕はひとことも君の名前を言っていない」





挙げ句の果てにそのガキはブルーに駆け寄り
手を握ったのだ。満面の笑顔で。

カノンは冷ややかな視線をくれ、子供を置いていった。
多分、魔獣の幼生の件とダブルで大馬鹿者の烙印を押しただろう。
どう思われようと構った事ではなかったが、子供を
置いて行かれたのには参った。


「一体どうしろっていうんだ!」

ブルーが喚く。

「おまえ子持ちだったんだな」

店が開店し、客が入ってくる度そのセリフが聞かれた。
酒場の店主はしんみりと、うちの宿を世話するから、と肩を叩いた。
どうやら経験者らしいがその前に誰か
真実かどうかくらい疑ってくれ。


オレの人生は最悪だ。
ブルーの頭にはその言葉がぐるぐる回っていた。
頼みもしないのにいろんなものがくっついてくる。
オレはオレ自身の事すらわけわかんねえんだぞ。

最悪だ、クソッタレ!

どうして人生において楽しい事であろうものの順番を
すっとばしてガキなんかがいきなり現れる?
しかもそいつと来たらずっとヘラヘラ笑って
オレの名前以外口にしない。
見たか?あの司祭野郎の顔。
押し付けられた幼生の時もそうだった。他人にとっちゃ
やっかい物を背負い込む奴が阿呆ってコトだ。


ブルーは酒場の宿で子供を前にうろうろ歩き回っては
叫びまくった。しまいには怒りにまかせて安物のカップを
壁に投げ付けた。運の悪い事にそのカップは砕けて
跳ね返り『破壊者』に復讐した。

欠片はブルーの手に突き刺さり、ぽたぽたと
少なくない血が流れ始めたが、ブルーは構わず
その傷口を握りしめドンドン壁を殴り出した。


やっと慣れてきてなんでこうなるんだ?
どいつもこいつもオレが望んでやったわけじゃない事で責め立てる。
オレがどう思ってたかなんて問題にもならない。
うまくやったかやらないか、だけが問題なのか?
間抜けな奴はいったいどうしろってんだ。
いや誰が間抜けだ。
オレはさっきから何を考えてる?

血が赤い...

混乱し始めた思考。


「ちっ...」

ブルーの顔が苦痛で歪んだ。食い込んだ欠片の上から
叩きまくったツケがやってきた。
傷が広がってどこかまずい場所を傷つけたらしい。
血が止まらない。


おかしい。
死に損なって以来、何故か怪我をしても階段から転げ落ちても
馬車の荷台が激突してもすぐに回復した。
不死身かどうかなんて知らないが、体はいつもと違って
回復どころか悪化し始めた。

本来ならそれが当然の事であったのに
それすら考える事ができない。
頭がくらくらする。呼吸のリズムが激しく乱れてきた。
血は吹き出すようにどくどくと流れ落ちて行く。


「くそ...止まれってちくしょ...」


膝を折り、突っ伏しかけたブルーの傍で笑い声が響く。
彼はぎょっとして振り向いた。
青いガキがけらけら笑っていた。
いつも獣化の激しい痛みに苛まされた時
聞こえていたあの笑い声。


こいつの声なのか!?

子供が笑いながらブルーを覗き込んだ。

「寄るなッ...」


血まみれでぶっ倒れた人間を、笑いながら覗き込む子供なんか
気味が悪いにも程がある。
だがそいつはいっそう笑いながらオレの手を握り
オレはそのまま気を失った。




数刻後。

ブルーは酒場の店主に起こされた。
食事を用意してやったから来い、と彼は言った。
床の上で眠りこけてしようがない奴だ、とも。
あのガキはにこにこして椅子に座っている。
店主がやたら同情の色を浮かべて付け加えた。

割ったカップは子供が怪我するから片付けろ、と。


ブルーは言われるまま、どこの誰かもわからない
子供とモソモソ飯を喰った。
端から見ればこれ以上ないくらいそっくりな大と小。

笑われているのを背中越しに感じながら彼は
何気に自分の荷袋を覗き、あの老司祭から持たされた
青い球体が消えている事に気付いた。

「....じじい、いったい何を持たせやがったんだ...」


回復した手。
うっすらと傷痕がまだある。
死に損なった時を思い出しながら
彼は青い子供を見、思わず顔を覆った。
そいつは昔の子供時代とそっくりな食べ方をしていた。


「おい、親父ならもう少し飯の喰い方教えとけって」

苦笑まじりに声が飛び、ますますブルーはテーブルに
突っ伏して現実逃避した。
唯一違っていたのはその子供がいつもにこにこしていた事。
彼はひどい握り方をしたスプーンで一口すすっては
店中を見回しニッコリ笑った。


「そうか、そうか、そんなに美味しいか。
坊やはいい子だな。おかわりはたっぷりあるから
遠慮するな」


その光景はまるで飲んだくれてダメな親父に
巡り合って嬉しさを炸裂させた『不幸な子供』の
ようであっという間に語り種となった。

様々な憶測が乱れ飛んだ中、最高傑作だったのは
女房に愛想を尽かされ落ちぶれた男の元へ
子供が慕って追って来た、というストーリー。

人の不幸は自分に降りかかるまでは娯楽なのだ。
自分の頭にコブが出来てやっと悲鳴をあげ
不当性を怒りだすのだ。
そして今、自分は立て続けにコブを喰らっているところだ....
ブルーは苦虫を噛み潰した顔でそんな事を思いながら
ヤケ酒を飲み、いっそうその噂の信ぴょう性を高めさせる
羽目となった。


「なるようになりやがれ....」

彼は溜め息と共にベッドに潜り込みそう呟いた。
背中にはよくわからない例の奴がくっついている。
眠りに落ちる間際そいつはブルーの手を握り
それがやけに心地よく彼は朝までぐっすりと眠った。