Asi es mi vida
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完璧に他言語を操ろうと思うのならば、母国語である日本語の深い知識が不可欠なのだと痛切に感じる毎日。
身近な人が亡くなった時、初めて、人間はなんてもろいのだろうと感じました。それは生死に関わること 以外にも、当てはまると思います。長年精神的なものを患っていて、現在は徐々に社会復帰をしているという 人と話をしました。精神的に病んでいる時は、自分でもどうしようもなくて本当に苦しいということ、 社会復帰をするに至るまでの道のりなど…。話をして初めて分かることも多く、考えさせられました。
実は、私の大切な人がごくたまに発作のようなものを起こすのです。本人は、至って普通なのです。 恋人はいるし、仕事もしている。好きで長年続けている趣味を持ち、友人も多く良く遊んでいる。だけれど、 何かが引き金になり、動悸が激しくなってパニックのようになる。落ち着くまで時間がかかります。パニック 障害ではないかと考えていたのですが、今日聞いたことによればどうやら 違うようでした。
確かに、大切な人は根が真面目なので悩みも全て自分に溜め込み、自身で解決しようとするきらいがあります。 それが発作の原因なのかもしれない。大きなストレスを抱えているのかも。私は、分からなくて。大事な人 だからこそ、力になりたい。どう接したら良いのか、悪いのか…その加減が難しい。そんな時は優しく 「どうしたの?話を聞くよ」とさりげなく接するのがいいらしい。
「頑張れ」って言葉は、受け取る相手や状況次第で感じが変わるでしょう?今日、私がハッとしたのは “身近な人に言われる「頑張れ」が一番辛かった”と聞いた時です。個人的には、あまり親しくない人に そう言われる時が重たく感じるような気がしていました。身近な人に言われたら、本当に自分のことを 気にかけてくれると感じるし、嬉しいだろうと思っていたから。まさか“一般的な挨拶上の頑張れなら 気にならないが、身近な人は自分の苦しみを見て分かっているのに、これ以上何を頑張れと言うのか” と感じていたそうで…そんな考え方があるなんて思いもよらなかった。
何か辛いことや挫折を経験した人は、見えるものが違ってくると思う。まだまだ不器用だけど、 もっと視野を広げられたら。一人では生きられないもの。人から必要とされる存在なんて、本当に幸せ。 できればそんな人生を送りたい。
la luna y el mar
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