ぶらんこ
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2011年08月29日(月) ぶらんこ(おとうと)

ぶらんこに乗るとき、ちょっとした恐怖心がわき起こる。
ぶらんこが空中に高くあがったときの、そのまま落ちてしまいそうな予感と、いちばん高いところから後ろに戻って来るときの、
お腹の奥のほうがすぅっと縮こまってしまうような変な感覚とが入り混じって、気持ちが高ぶるのだ。
一瞬、怖いっと思う、それでも繰り返し繰り返し、ぶらんこに揺られる。
意を決してぶらんこを止めると、どこかほっとする。ぶらんこを止めるのにも、ちょっとした勇気が要る。
これはわたしだけなのか、他の人もみなそうなのか。




クァイバにはぶらんこがあった。
正しくはコーミンカン(公民館)の敷地内にある広場。そこにぶらんこがあった。
クァイバは子どもの頃の遊び場のひとつだ。クァイバ、オミドウ、ハカショ、ハマ、などなど。


クァイバのぶらんこに乗るためには順番待ちをしなくてはならない。
その日、わたしはおとうとと一緒に列に並んでいた。
やっとわたしの番が来て、ぶらんこに飛び乗った。
あの頃は怖いなんて、そういう気持ちはなかった。高く高く、誰よりも高く!
地面を強く蹴ってぶらんこを漕ぎ、空を見ながら体をうねらせる。
もっと大きく。もっと高く。
座ってはいなかった。立って、思いきりぶらんこを漕いだ。

ふと、小さな子が近くに歩いて来るのが見えた。
あぶないっ、と思った。ぶつかるっ、と思った。止めなきゃっ、と思った。
けれども、大きく後ろに振られたぶらんこは、そのまままた大きく高く舞い上がり、その小さな子に向かって降りて来て・・・


その子に当たったのだ。いや、当たらなかったのか?
気付いたとき、その子は大声で泣いていて、大人が来て抱き上げ連れて行ってしまった。
両手はわなわなして力が入らない。足はガクガクと震えている。
どうにも出来なかった、どうにも出来なかった。と、心のなかで繰り返した。

それからどうなったのか、覚えていない。
この記憶が本当なのかどうかもわからない。
でも、あのふわっと落ちて来るときの、小さな子が近付いて来て、ぶつかりそうになる。それがスローモーションのように蘇る。

だいぶん後になって、おとうとに訊いてみたが、彼は覚えていないようだった。
もしかしてぶつかったのはおとうとだったのかもしれない、とも思ったのだが、そうではなさそうだ。
何歳くらいの記憶なのか。。。それもよくわからない。
ぶらんこに乗るときに怖いのは、このせいだろう、と、自分勝手に分析。





何年か前、島に帰ったとき、もう亡くなった「下のおっかん」の思い出話を聞いた。
「下のおっかん」というのはわたしの伯母。母のいちばん上の姉だ。

下のおっかんはコーミンカンの近くに住んでいた。
あの頃はすこぶる元気で、町中をあちこち歩き回っていたのだろう。コーバイとか宝勢丸に行った帰りだったのかもしれない。
これは、下のおっかんがクァイバでわたしとおとうとを見た話だと言う。


わたしはドキッとした。
あのときの事件のことだ。おっかんは見ていたのだ。事件の目撃者だ。
どうしよう、、、苦しくなった。もうとっくに時効かもしれないけれど、犯人はこのわたし。おっかんはそれを知っていた。
あの子、もしかして酷い重傷だったのだろか、わたしが記憶をもみ消してしまっただけで、本当は大変な事件だったのではないだろか。


心臓バクバク。
でもね、話の内容はてんで違っていたよ。


下のおっかんは、クァイバでのわたしとおとうとを見て、えらく感心したのだそうだ。
え???感心した???



その日、わたしとおとうとはぶらんこの順番待ちをしていた。
おとうとの番になって、おとうとがぶらんこに乗ろうとすると、誰かが横入りして来たらしい。
それを見たわたしは、列から飛び出して、相手に食ってかかった。

「次はたーしの番じゃがね!」

わたしはかなり怒っていたらしい。そして、おとうとは泣いていたらしい。
無理矢理勝ち取った、ぶらんこの順番。


「わんぬうとぅとぅの番どーっち。はげーきょでじゃがー、きょでがなしゃぬーっち、感心」


そんなことを下のおっかんは言っていたらしい。
わたしはそのこと、全然、まったく、覚えていない。
でも同時に、そういうの、日常茶飯事だったような気もする。


あの頃、わたしにとっておとうとは自慢のおとうとで、わたしは密かにおとうとのことが好きだった。
道で会う人たちはいつもおとうとうとのことを「かわいい妹」と言っていた。そしてわたしのことを「お兄ちゃん」と呼んだ。
おとうとは綺麗な顔だちをしていたからね、それも自慢だったっけ。





いしいしんじ氏の「ぶらんこ乗り」を久しぶりにまた読んで、おとうとのことを思い出している。
わたしにとって、ぶらんことおとうとは対になっているもの。
「ぶらんこ乗り」もおとうとが出て来る。姉とおとうとの話。


あれから何十年も経って、おとうとのあの綺麗な顔は微塵も残っていない。
なんてね。だいぶん変わったけれど、ちゃんとパーツパーツは重なる。


ま、お互いさまか。


「わたしたちはずっと手をにぎってることはできませんのね」
 (中略)
「ずっとゆれているのがうんめいさ。けどどうだい、すこしだけでもこうして」
 と手をにぎり、またはなれながら、
「おたがいにいのちがけで手をつなげるのは、ほかでもない、すてきなこととおもうんだよ」









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