ぶらんこ
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ある老女が聴覚を失った。 元々、酷い難聴があり、補聴器でなんとかコミュニケート出来ていたのが、ある日ぱったりと聴こえなくなった。 それは、彼女の発する声が突然異常に大きくなったので周囲の人にもすぐにわかった。 諸検査の結果、医師の診断は、失った聴覚はもう回復しないだろうとのことだった。
彼女はこどものような女性である。 感情の表現がとても素直で、屈託がない。ユーモアのセンスもあり楽しい女性だ。 傍目から見るとややいき過ぎなほど華美な服装を好むが、それはいわゆる彼女らしさなのだと思う。 故・淡谷のり子氏ほどの貫禄はないが、彼女によく似ている。 独自の世界を行く。そんな老女である。
彼女には家族がいない。 生涯、独身だった。(彼女曰く「どの男性も自分には不十分だったから結婚を決断できなかった」らしい) 親戚はわずかにいるが、親しくはない。むしろ、疎まれている存在らしい。なぜなら彼女には莫大な財産があるから。
たまに遠いところから遠い親戚が訪ねて来ることがある。 「みんなお金が欲しいの」と彼女は言う、ときに憤慨しながら、ときに淋しそうに。 彼女には金持ち特有の雰囲気がある。人を使うことに慣れきった態度とでも言おうか。何かを頼むとき、それは依頼ではなく命令調となる。 しかし彼女自身はそのことにはまったく気付いていない。そのように育ったのだから仕方がないだろう。
多くの人はそんな彼女の態度に気分を害する。 そして、出来る限り彼女と関わらないよう努める。また、彼女をつまはじきにしようとする人々もいる。 そうすることで、彼女に報復しているかの如く。
これまで、そういう人たちによる彼女への「嫌がらせ」は、彼女には通用しなかった。 彼女に対し悪口を言っても、彼女の耳には届かなかったからだ。 人が彼女のことを噂しているとき、彼女はにこにこ笑って「ハァーイ!」と声をかけていた。
負の感情はどこからわき起るのだろう。 人の心に潜んだそれは、一旦表面に出ると、周りのエネルギーをも奪って、さらに大きくなる。 ひとりひとりのそんな感情が、混ざり合い絡み合い大きなうねりとなって、とうとう彼女を痛めつけた。
彼女の目に涙が光った。 しおれた花のように頭を垂れ身体をちいさくして、彼女は泣いた。初めて見る、彼女の打ちひしがれた姿だった。
彼女を打ち負かした(と思っている)老女たち数人はどんな気分だったろう。 幸せになったか?
そんなことはない。 彼女を抱きしめるわたしの背中に向かって、感情的な言葉を繰り返していた女性のうわずった声は怒りに震えていた。 けっして、しあわせに満ちたものではなかった。
自分の抱える不満は、何かを攻撃することで納まるものではない。 それは、自分自身を幸せに満たすことでしか、解決しないだろう。
わたしは彼女のことが大好きだ。 彼女は暮らしのなかで楽しみ、喜びを見つける天才だと思う。 車椅子の生活を強いられ、聴覚を失い、周囲の人に疎まれながらも、ちいさな発見に心から感嘆し、素直に喜ぶことの出来る女性。
そんな彼女の姿勢(性質)こそが、人が最も羨み妬むものではなかろうか。
住み慣れた家を離れ施設で暮らすという現実は、どの居住者にとっても辛い選択だったろう。 どんなに受け入れたように見えても、心から満足して暮らしている人はいないだろうと思う。
攻撃する側の老人たちの心の痛みも忘れてはならないなぁ・・・。
老人になったら皆、仙人のようになって、強い風にも嵐にもなびかず平穏に暮らすのだろう。 ーというのは、わたしの勝手なイメージだった。
年寄りには年寄りの世界があり、色んな刺激を受けては何かしらのアクションを起こして生きている。 わたしたちと、なんら変わりはない。
このような辛い出来事もまた、それぞれの暮らしに心に色が付いて、豊かに彩られる。 ということなのかもしれない。
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