ぶらんこ
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以前、ある方の日記に「初めて使った外国語を記憶している」というのが書かれてあった。 そのときの状況、心の動き、そして自ら発した言葉。それらを鮮やかに覚えていることがまた嬉しい、とも。
なんとなくわかる感じがして、にこにこしてしまった。 こころにも「それ」があったからだ。
当時、彼女は6歳。 幼い頃からある程度の英語を聴かされて育ってきたせいもあり、耳からの理解力はあったと思う。 でも、日本語環境において自ら英語を発することは殆どなかった。少なくとも、母親に対しては。 (興味深いことに、父親とは「それなりに」英語で話していたらしいけれど)
そんなこころさんがアメリカの小学校へ行き始めて間もない頃。確か、初めて「ランチボックス」持参で学校へ行った日だった。 わたしは彼女のためにお弁当を作った。日本から持ってきたお弁当箱におかずを入れ、小さなおにぎりを別に2個。
学校からの帰り道、ランチどうだった?と、こころに訊いた。 実を言うと、少し不安があったのだ。 他の子供達はサンドイッチだろう。こころの変わったお弁当を見て、からかったりはしないだろうか。 とか。
意外にもこころは「お弁当、すぅごく美味しかったよ!」と即答した。あぁ良かった。でも、気になったのでさらに訊いてみた。 「みんな、こころのお弁当見て、何も言わなかった?」
言われたよ。 こころがお弁当開けたらみんなジロジロ見て ya---k!! って言った。おにぎり食べてたら stink! っても言ってた。だから教えてあげたの。
なんて?
stink じゃない。これはすっごく美味しいの。おにぎりっていうのよ。わたし、大好き!って。
あなた、それ、英語で言ったの?
うん。
マミィにも言ってみて。
嫌だ〜〜〜。(恥ずかしそうに)
じゃぁ、「おにぎり」っていうのはなんて言ったの? onigiri?
rice-ball.
おぉ〜〜〜〜〜。 と、ここでわたしは感動した。すっごい!よくそんな単語が出てきたモンだ。 かっこいい! と、こころを褒めると、だって本当に美味しいんだもん。みんな知らないくせにさー。と言っていた。
思うに、あのとき彼女の中で、英語⇔日本語のスイッチが出来たのではないだろうか。 英語から日本語、日本語から英語の、「訳」という箇所を通る流れではなく、もっとスピーディーな何か。
もう随分前になるが、米原万理さんの『不実な美女か貞淑な醜女か』という本を読んだことがある。 その中に、「耳から入ってきた言語は記号化されて脳のなかを渡り、言葉としてクチから出る」というようなことが書かれていた。 それを読んだとき、なぜかもう瞬間的に、まさしく!そのとおり!と、納得した。
こころさんのおにぎり体験は、それをよく表していると思う。 あのときわたしが、そんな言葉知ってたんだーと言うと、ううん・口から勝手に出てきたの、合ってるよね?と言っていた。 きっと、彼女のなかの英語の発想がrice-ballという単語を引き寄せたのかもしれない。 (余談だが、逆に今、日本語の「おにぎり」という成り立ち、響きもまた良いなぁ・・・と、あらためて思う)
ところで、こころにその話をしてみたら、彼女はすっかりと忘れてしまっていた。 何年か前に話したときには、しっかりと覚えていたのに。 人間の脳(心?)って、面白い。
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