ぶらんこ
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2008年12月08日(月) おにぎり

以前、ある方の日記に「初めて使った外国語を記憶している」というのが書かれてあった。
そのときの状況、心の動き、そして自ら発した言葉。それらを鮮やかに覚えていることがまた嬉しい、とも。

なんとなくわかる感じがして、にこにこしてしまった。
こころにも「それ」があったからだ。


当時、彼女は6歳。
幼い頃からある程度の英語を聴かされて育ってきたせいもあり、耳からの理解力はあったと思う。
でも、日本語環境において自ら英語を発することは殆どなかった。少なくとも、母親に対しては。
(興味深いことに、父親とは「それなりに」英語で話していたらしいけれど)

そんなこころさんがアメリカの小学校へ行き始めて間もない頃。確か、初めて「ランチボックス」持参で学校へ行った日だった。
わたしは彼女のためにお弁当を作った。日本から持ってきたお弁当箱におかずを入れ、小さなおにぎりを別に2個。


学校からの帰り道、ランチどうだった?と、こころに訊いた。
実を言うと、少し不安があったのだ。
他の子供達はサンドイッチだろう。こころの変わったお弁当を見て、からかったりはしないだろうか。 とか。

意外にもこころは「お弁当、すぅごく美味しかったよ!」と即答した。あぁ良かった。でも、気になったのでさらに訊いてみた。
「みんな、こころのお弁当見て、何も言わなかった?」


言われたよ。
こころがお弁当開けたらみんなジロジロ見て ya---k!! って言った。おにぎり食べてたら stink! っても言ってた。だから教えてあげたの。

なんて?

stink じゃない。これはすっごく美味しいの。おにぎりっていうのよ。わたし、大好き!って。

あなた、それ、英語で言ったの?

うん。

マミィにも言ってみて。

嫌だ〜〜〜。(恥ずかしそうに)

じゃぁ、「おにぎり」っていうのはなんて言ったの? onigiri?

rice-ball.


おぉ〜〜〜〜〜。 と、ここでわたしは感動した。すっごい!よくそんな単語が出てきたモンだ。
かっこいい! と、こころを褒めると、だって本当に美味しいんだもん。みんな知らないくせにさー。と言っていた。


思うに、あのとき彼女の中で、英語⇔日本語のスイッチが出来たのではないだろうか。
英語から日本語、日本語から英語の、「訳」という箇所を通る流れではなく、もっとスピーディーな何か。



もう随分前になるが、米原万理さんの『不実な美女か貞淑な醜女か』という本を読んだことがある。
その中に、「耳から入ってきた言語は記号化されて脳のなかを渡り、言葉としてクチから出る」というようなことが書かれていた。
それを読んだとき、なぜかもう瞬間的に、まさしく!そのとおり!と、納得した。

こころさんのおにぎり体験は、それをよく表していると思う。
あのときわたしが、そんな言葉知ってたんだーと言うと、ううん・口から勝手に出てきたの、合ってるよね?と言っていた。
きっと、彼女のなかの英語の発想がrice-ballという単語を引き寄せたのかもしれない。
(余談だが、逆に今、日本語の「おにぎり」という成り立ち、響きもまた良いなぁ・・・と、あらためて思う)




ところで、こころにその話をしてみたら、彼女はすっかりと忘れてしまっていた。
何年か前に話したときには、しっかりと覚えていたのに。
人間の脳(心?)って、面白い。








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