真珠姫の戦い - 2004年12月03日(金) もう飽きちゃったのね。 --- 母が来た。 ちなみに数日前からアメリカの叔父が来ている。 今日は同居している祖父母の金婚式の祝いを兼ねて、 祖父母と母、叔父、叔母とわたしの6人でちょっとした料亭へ行った。 左ハンドルに慣れた運転手の叔父は、右に曲がる度にウィンカーじゃなくてワイパーを動かしてしまう。 花束を渡したり、プレゼントを渡したり、写真を撮ったりと、 終始和やかだった。 祖父母もとても嬉しそうで、アルツハイマーの進んだ祖父も今日だけはしっかりした顔をしていた。 そして何故かわたしの小さな頃の話が出て、突かれる。 「この子は小さい頃から恐くてさ、お人形投げて遊んでたもんね」 とか、もう10回以上言われてるんだけど、まだその話とかされる。 もう忘れなさいよ、わたしも22よ。 その後祖父母を家において、叔父、叔母、母とわたしで叔母宅へ。 そこで今後の、祖父の話をする。 既に話の内容は、祖父の葬式の話だった。 葬儀はどうするか、お墓はどうするか、残った祖母はどうするか。 あまりにも凄まじい内容だった。 さっきまで、一緒にご飯を食べていた人が死んだ後の話をしているのだ。 そして死ぬまでにいかに祖母が苦労するか、 それをどうやって姉弟が助けて行くか…。 叔父は普段、電話で連絡をとっているだけなので祖父がどれ位死に近付いているのかを知らなかったようで、 話が進むにつれて表情を険しくしていた。 だが、険しい顔をしても始まらないのだ。 全てはきっと、あっというまなのだから。 暗い話だった中、一応わたしからも今後について切り出す。 入社後は数カ月で今の祖父母宅を出るつもりだったのだが、(会社が遠すぎるので) 祖父がいなくなった後の祖母の為に、わたしがあと数年今の家に残ることにした。 もし転勤になったらその時はその時である。 伴侶を失うと、残された方は確実に鬱になってしまう。 そうなった時に誰かが側にいないといけない。 だったらわたしがこのまま何となしに居座るのが一番祖母にとって自然だろう、と。 その話をして、わたしは3人から頭を下げられた。 ごめんね、もうしわけないけど、おねがいします。 「ううん、大丈夫です」と返すのが精いっぱいだった。 この時の気持ちは、言葉では表現できない。 わたしは祖母や祖父の犠牲になったつもりは無いのだから。 遠く離れた叔父や母たちの代わりに面倒を見ている訳でもない。 血の繋がった老人と、共存していくだけのこと。 現実になれば共存と言うと聞こえが甘過ぎるけれど、 「面倒を見てやっている」なんて気持ちはわたしにはさらさらない。 なんだか頭を下げている大人達の顔にかかった影が、返ってわたしには重く感じられた。 わたしは誰かの犠牲者になるほど甘くはない。 孫としての責任で一緒に住んでいく訳でもない。 ただ、そういう流れで、自分の周りがこういう環境で、 自然に、一緒に暮らすだけのこと。 それはそれできっと楽しい生活になるし、いい時間を作っていけると思う。 わたしがそれを選んだのだ。 嫌々選ばされた訳ではないのだから。 犠牲者だなんて偽善者ぶった考えは大嫌いだ。 今日叔父の話を聞いていて、 やっぱり海外に行きたいなぁと思った。 日本は外側から見ないと見えない部分が多い。 やっぱりわたしは日本人なのだ。 日本がどんな国なのか、どうしていけばいいのか、考えて行きたいから。 本当に中国行けるかな。 久々に母に洋服を買ってもらって満足。 でも、あなた様のメールがわたしに「バイバイ」と手を振っています。 ...
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