たとふれば こころはきみに よりながら

2005年11月11日(金) 深夜のひとりごと

 今、思うこと。


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 なぜって?
 そこには、妬む余地すらないから。

 しかし、ねたみというものは、
 その奥底に願望が潜んでいる。
 だから、仮に妬み感情がうかんだ、としたら、
 その奥底にある、「自分のほんとうの願い」を、
 見極めればいいのだ。

 例えば。

 わたしは、器械体操が苦手だった。
 子ども時代から。
 でも、そのことで上手な子をねたんだりしなかった。
 上手でいいなあ〜、とうらやましがることはあっただろう。
 
 はじめっからかなうわけのない分野は、
 ある意味、どうでもいいということだろう。

 けれど、これが、
 音楽関係の分野なら、多少のねたみがあったかもしれない。
 いや、ねたみというより、ちょっと粘着系の「うらやましい」だろう。

 自分が全く苦手分野の「うらやましい」は、
 言ってみれば、「さわやか系」(笑)

 少し話がそれた。

 他人が無性にうらやましかったり、
 誰かが何かのことで、ほめられていたとして、
 それに心のどこかがひっかかるとき。

 それは、自分がその人の成功してる何かで、
 何らかの成果を体現したい時なのだろう。

 冷静に、自分の願いをみきわめて、
 それをかなえてやるのが、自分への愛情なのだろう。

 時々、こころの中で、自分に切りつけている。
 それは、自分がはずかしい存在だと思う時があるから。

 そういう幻影をなくしたい。
 努力と成果のチカラで。


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higurashi

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