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2006年02月14日(火) さちこい。「どきどき」

第一話→「てのひら」
第二話→「趣味」




 先生はとても先生らしくない。一般の先生像というものを抱いて先生に接しようと思うとたぶんびっくりしてしまう。最初はそんなことなかったのだけど。
 最初。そう、最初はどうだったんだっけ。ゆっくり思い出してみる。最初。
 夕方。オレンジ色の光が窓から差し込んでいた。斜めに、長く、机の影が伸びていた。思い出の中の教室はきらきらきれいに光っているんだけど、実際はそんなことなかったかもしれない。先生は教卓に座っていて私は自分の席に座っていた。
「お前、赤点わざと取っただろ」
 先生がぼそりと言った。私は首を振った。赤点を取ったのは、その日体調が悪くて。
 先生は眼鏡の奥の目をちょっと上げた。
「わざとだといいなって思っただけ」
 先生の顔は夕日の色に染まってた。
 思えば最初から先生は子供っぽい。オトナの振りしてみんなの槙ちゃんとして振る舞っているのをみると時々吹き出してしまう。みんなに言いたい。あのね、槙ちゃんはね、私の前ではちっとも先生っぽくないんだよ。もちろん言えるはずないんだけれども。
 付き合い始めて三日目の夜、通っているピアノ教室に先生がやってきた。何故かって送りたいからって先生は言う。だからいつも自転車で行くのに私は歩いてピアノ教室に行った。学校じゃ会えない先生と長く会っていたかったから。
 約束どおり、ううん、約束よりもずっと早く先生はいた。子供っぽいだぼっとした白いパーカを着て教室の玄関に座っていた。ふだん学校では絶対見ないジーンズ姿の先生。先生は座ったまま、教室から出てきた私を見上げた。
「けっこピアノうまいのな」
 先生は思ってたよりもずっとカジュアルな格好が似合う。
 二人で夜道をゆっくり歩いた。先生は右、私は左。ぽつぽつ街灯が道を照らしているけど、それでも私たちの街の夜は暗いまま。おじいちゃんおばあちゃんだけで暮らす家が多いからかもしれない。私のピアノ鞄を先生の右手が持つ。私は両手を後ろ手に繋いで静かに歩く。鳥のほーほー鳴く声。小さい頃から聞いているけれど、この鳥がどんな名前でどんな姿をしているのか知らない。
 先生と私二人の間に漂う沈黙。それすらも心地よい。私の足音と先生の足音が重なるから。
「サチコ」
「さち」
 先生の呼び掛けを訂正する。けれど先生はやっぱり私をサチコと呼び掛けた。私はため息をつく。かわいいじゃん、俺だけのあだ名、サチコ。それを聞いたときだ、初めて先生を子供っぽいって思ったのは。以来いつでも私の前での先生は子供っぽい。
「なぁに? 先生」
「手繋ぎたくない?」
 私はびっくりして立ち止まってしまった。けれど先生はひるまずに私の方へ左手を差し出した。
「だ……だめだよ、先生。見つかっちゃうよ」
「暗いから大丈夫だって」
 でも、と言い淀む私に先生が言った。
「いいじゃんドキドキして。スリル満天」
「……先生の馬鹿!」
 叫んだら涙がこぼれそうになった。だって先生。先生がいくら子供っぽくたって、先生はやっぱりみんなの槙ちゃんで私だけの槙ちゃんではなくて。誰かに見つかったらみんなの槙ちゃんとして先生が罰せられてしまう。先生がいくら子供っぽくたってやっぱり先生はオトナだから、大人としての責任をとらされてしまう。そんなの私はいやだ。先生を苦しめるなんていやだ。
「サチコ、したくないんだ」
 先生がうつむく。街灯の光に眼鏡の影が先生の顔にすらっと落ちる。眼鏡の奥で目を伏せる感じが、教壇で倫理を教える姿と全く違った。
 先生が、みんなの槙ちゃんじゃなくて、私だけの先生になった。完全に。
「先生」
 私の唇に、そっと先生の小指が寄せられた。喋るな、という合図。先生は私の目線の高さまで背中をかがめた。私の唇に触れていた先生の小指が、次は先生の唇に当たる。
「小指もだめ?」
 真剣に言うので、私はにらめっこに負けて吹き出してしまった。すると先生は私に背中を向けて歩き出した。なんだよー、と子供みたいに、たぶんふくれっつらで呟いて。
 先生はちっとも先生らしくない。付き合い始めて、初めて知った。
 私は少し早足で先生の背中を追った。そして、先生の左手の小指に私の小指を絡めた。初めて知る先生の体温。私より熱かった。
 先生はちょこっと振り返って、微笑んだ。先生のまなざしが優しい。すると、なんだか目を合わせていられなくって、私は俯いた。俯くと、繋いだ小指が目に入る。先生の小指は節くれだっている。ごつごつした。私の短い指と合わせるとひどく長く見える。
「先生」
「何、サチコ」
「どきどきする」
 先生がぷはっと吹き出した。
「だろ? ドキドキして、最高だろ?」
 小指で、先生は私を引っ張る。
 先生の体温で、私の小指までじんわりと熱を帯びてきた。
 熱は、小指だけだったんだろうか。
 いつも一人で帰っていた味気ないピアノの帰り道が、先生といるだけでほんのり色づいたように見えた。いつも聞く鳥の鳴き声すらも、普段より幸せに聞こえる。小指を繋いでいたせいかもしれない。帰り道の間、ずっとずっと、どきどきしていた。


 そんなこともあって、私は気づいたらピアノをやめてしまって、先生は私に倫理ではなくて世界史を教えるようになっていた。それでも、私たちの関係は、最初のあのときから変わっていない。先生はやっぱりみんなの前では槙ちゃんだけど、私の前では子供に帰ったような先生だ。
 社会科準備室に行くと、予想通り、コーヒーと紅茶が置いてある。コーヒーは先生の。紅茶は私の。今日のおやつは何だろう、と思うとカップとカップの間にチョコレートが山積になっていた。
 先生は椅子の上でふんぞりがえる。
「俺、モテるんだよ。羨ましい? サチコ」
 私は先生の前の椅子に座って、チョコレートの山を一つ一つ物色した。かわいいラッピング。この中に本命が混じっているのかもしれないと思うほど凝ったものもある。だけど、先生は、私の物だからあげない。
「チョコ、食べるの?」
「槙ちゃんとしては食べなきゃいかんでしょ」
 先生が箱の一つを開ける。その小指を、わざと絡め取った。何? と先生が私を見つめる。先生の目線に照れて目を逸らすことはそれほどなくなった。けれど――初めての頃を思い出しちゃったからだろうか。
「先生」
「サチコ?」
「どきどきする」
 先生は微笑んだ。あ。あのときと、記憶の中と一緒の笑顔。この笑顔に、あのときから、弱い。ずっとずっとどきどきする。
「俺もどきどきする。あー、サチコ、俺へのチョコ、忘れてねえかな〜って」
「……他の子からのチョコあるもん」
「どきどきするなー。どんなチョコだかな〜」
「先生って」
「何?」
 先生が小指をくいと曲げた。密着して、体温が伝わってくる。先生はやっぱりあったかい。
「子供みたい」
「サチコに合わせてるんじゃん」
「絶対嘘」
 先生は小指を持ち上げる。私の小指と先生の小指が、私の唇にひっついた。
「……サチコ。チョコは?」
 先生のこの私に勝ったように笑う顔が、憎らしいけど、大好き。これを見ると、やっぱり先生は私よりも年上の大人で、私を軽くあしらっているんだなって思ってしまう。先生は子供だけど、やっぱり、大人だ。
 私は空いた左手で鞄の中をまさぐって袋を取り出す。
「手作りなの」
「うん。これが欲しかった」
「これがよかったの?」
「うん。これがよかった」
「チョコ、食べるの?」
「だってサチコのチョコだろ?」
 先生は空いた右手で私の作ったいびつなチョコを食べる。私の作ったチョコを。一生懸命噛んでいる。
 熱で指先に溶けたチョコを先生は舐めた。やっぱり、体温、熱いんだ。
「……おいしい?」
 聞いてみると先生は笑った。
 あ。私の好きな笑顔。
 うまいよ、と静かに言ってくれる先生は実はやっぱり大人の男なのかもしれない、少しだけそう思った。







 途中まで書いてあって、途中からメッセをしながら、さらに携帯メールをしながら書いたためか、非常に途中から投げやりな内容になり、一貫性もなくなり、まぁそんなこんなで久々の、突発日記連載「さちこい。」です。
 ちょうどバレンタインだったのでバレンタインになっちゃったんですが、時期が違っていたら、確実に過去話だけで切っていたと思う。……適当ぶりが、さちこい。な感じ。

 ……月曜に更新できなかった。待っている人がいるかどうかはいざ知らず。マァそんな感じです。ゴメンヨ!

 ……時間も深夜なので寝たいので、この辺で(投げやり)




一言ございましたら。

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