SAY-TEN DAIRY 〜晴天日記〜

2005年08月06日(土) 60年目のヒロシマ

高校生の頃、初めて「ヒロシマ」に行った。
当時の原爆資料館に入った。
そこから出て来た時は、しばらく声も出なかったことを
今でも覚えてる。

思ったよりも小さかった原爆ドームの前には、
原子爆弾が炸裂したその直後、
たくさんの被爆者の方々がうめきながら
水を求めて、そこで息絶えて、
死骸の山になったといわれる川が、
幸福そうな男女のカップルをボートにのせて
静かに流れていた。

10代だったその時の、自分なりに感じた感情は
同じ広島生まれの浜省さんの歌、
『8月の歌』のなかでも歌われている
「充たされぬ想い」と「空回りの怒り」だった。

何なんだいったい?
平和とか戦争とか、いったい何なんだ?
そもそも俺たちが求めんとしている
平和とは何なんだ?

『BORN IN THE USA』を携えて、
B・スプリングスティーンがツアーで初めて来日したとき、
この場所を訪れ、やはりこの資料館を見学したという。
資料館を見た後の彼は、
しばらく平和記念公園の芝生の上で座り込んでしまい、
無言のまま動かなかった――――と聞いている。

あれから、僕は・・・大人になるにつれて、
この国の根底には「誤った歴史観」を持った輩が
まるで亡霊のようにうごめいている事実を
たくさん目の当たりにする。
そしてそれらは、
反省も自戒も、
そして目指すべき未来ヴィジョンもなく、
子供たちに引き継がれていく。

今。

大人の話ができない隣国からの「脅威」や、
「君を守る」といいながら、その実は我々を「アジアの盾」としか
考えてない超大国の「思惑」や、
友好の微笑みの下で完全に見下してる某国の「侮蔑」に
この国はその行くべき進路の選択を迫られている。

この広い世界の中で、
「原爆記念日」という日があるのはこの国だけだ。
そう、この国だけなのだ。
ならば、世界に伝えるべきメッセージは
自ずと決まっているではないのか?

それがあの遠い日の過ちに対する“償い”でもあるし、
ちょうど60年前の今日、ヒロシマで亡くなった方が
望まれている事だと思うし、
我々が次の世代へと繋いでいけるたったひとつの事だと思う。

まだ間に合う。
世界はギリギリの淵に立たされているとしても、
まだ間に合うはずだ、きっと


(2年前に書いた自分の日記を、加筆して引用しました。
書いた当時と、世界はあまり変わっていないのですね・・・)



○ LOVE / JOHN LENNON


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