スイス日記
もくじ|カコ|ミライ
2004年07月17日(土) |
ちょっと考えたこと。 |
大学の同じ学科、同じ専攻分野の2年後輩(女)がこの分野ですごい成功をおさめていることを最近知りました。どれくらいすごいかというと、私にはすごい自信家の知り合い(男)がいるのですが、彼には実際それぐらい自信を持ってもいいのではないかと思われるほどのすごい能力が有って、周りも実際それを認めていて、且つ、彼は俺は毎日16時間も仕事をしたよーという一種の自慢話のもと、本当に有言実行してすごい大きな成功を収めました(新聞にも載りました。)。で、私の後輩はその彼の成功の少なく見積もっても5倍ぐらいの成功を今回収めたと私は思います(全然具体的でなくてすみません。)。
前述の自信家の彼や、フレッドくん、数名の友達・・・彼等は本当に秀才の域に達していて、私などの手の届く人たちではありませんので、彼等が成功したと聞いても、ああー自分の能力を発揮して頑張ったんだなあと思うだけです。でも、後輩の彼女は、一見、秀才肌には見えないひとです(もちろん、女の人は爪を隠すのがうまいですし、見せていないだけかもしれません。)。こうなると、嫉妬の感情とともに、私と何が決定的に違うんだろう?と考えてしまいます。
で、いろいろ、彼女のこの選択は正しかったよなーとか考えました。でも、それって結局、結果論だなあと思いました。彼女が成功した後で考えてみて、ああ彼女はよい選択をしたなあということはできたとしても、彼女の成功を知る前に、彼女の選択が正しいかどうかなんて、はっきりいって本人の彼女にすらわかってなかったのではないかと思うのです。(もちろん、私からは見えないだけで、彼女の能力に見合った結果だったのかもしれませんが。)
で、自分の人生についても少し考えてみました。私の場合、根が楽天的で自信過剰なせいか、自分がこれぐらいできるだろうと思ってる分の70〜80%ぐらいの結果しかいつも出せません。で、たまに、小さな成功ですが、自分にとっては、すごい、やるじゃん!って思うような成功をした時には、何か偶然のようなものが働いて自分の能力以上の結果が返ってきたと感じるのです。結局、自分が自分の心底から、今回は成功したなーと思えるような時には、必ず、ああ、あの時偶然あの選択をしてよかった、今考えたらひやひやだけどというような場面があるものです。で、その場面場面で正しい選択をするか、間違った選択をするかというのは、もちろん時流を読む訓練をしている人たちにとっては必然なのかもしれませんが、私にとっては、ただの偶然、運です。結局頑張って、自分の身の丈にあった結果をこつこつ出していって、たまに偶然よい選択をして大きい成功をするかもしれないし、成功なんて、この先死ぬまでないかもしれない。そういう人生を歩んで行くんだろうなあと思いました。成功なしの人生というのもなかなか味わいがあってよさげですしね。ただ、努力をして、身の丈にあった結果を出し続けるということはしていかないといけないなあーと思いました。
最近、ごたごたしてて、余りちゃんとやってないので、もうちょっと頑張らねば。 まじめなカルージュでした。
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