泡沫の記
DiaryINDEX|past|will
2005年07月31日(日) |
日記の意義について考えてみる |
日記のための話題、という気がしてきてさきほど長々書いた日記を消した。
特定の個人ではないにしろ、読まれることを意識して書くと、 わざわざ注釈を入れたりして、とてもへんてこな日記になってしまう。 その時点で、すでに日記の持つ「記録」としての役割は、 かなり薄くなってしまうような気がする。
それに純粋な感情の吐き出し場としての日記だとしたら、 多少なりとも人目を気にして書きにくい。 長じて公開の是非に行き当たることになる。 かと言って、単語の羅列だけの日記だったら、 わざわざここで書く意義が自分にとってあるだろうかと考える。
どうしても、日記のための日記を書いてしまいがちで、 自分にとって「意義のある日記」について考えているけれど、 まだうまく言葉という形に出来ない。
◇ ◆ ◇
未熟な頭をフル回転させて何度も読み返し、書き直しているうちに 稀に、自分にとって端的で満足な一文が、なんとなく出来てしまうことがある。 たぶん二度とは書けない、自己満足出来るような書き現しができたときは、 とても嬉しい。 それは、他者の目にふれるかもしれないからこそ使う神経がもたらした、 自分のための成果のようなものだろうか、などと考える。
考えるべき重要な点は、他にもある。 例えば文章のスタイルは、最たるものかもしれない。 満足のいく「自分スタイル」が出来てくれば、案外書きやすいのかもしれない。
・・・なんてこの日記、うまくまとまらず残念。
|