泡沫の記
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2004年10月23日(土) |
身勝手だが幸せな晩年 |
新潟で直下型の大地震。まだ余震も続いている。 テレビではつぎつぎと被害情報が報道されている。
今年は夏の高気温や台風、地震と天災が続く。
野菜の高値が続いている。
大根もキャベツもほぼ500円だ。 魚屋がぼやいていた。(ツマの大根やネギなどの高騰で) きっと、お代り自由のとんかつ屋も泣きが入っているだろう。
ずっと前、災害ニュースを会社の昼休みに見ていたら 同僚の若い女の子が「いい加減、飽きた。もう(報道を)止めて 欲しいよね〜」と言っていた。 自分にリアルな被害がなければ、関係ないと思っている。 選挙もそう、自分が行ったって世の中は変わらないと 平然と言ってのける。 確かに世の中はそう簡単には変わらない。 でもそのことと、選挙に行かないことは別次元だ。 棄権は権利の放棄なのだから、税金が上がろうと景気が 回復しなかろうと文句を言う権利はない。
本家の伯母の痴呆が、すでに始まっていることを 今日初めて知った。 いろんな記憶が一緒になってしまったり、 久しぶりにあった孫(30才過ぎ)と3時間も話した挙げ句 その孫が帰ってから「いまの娘は誰だね?」と家族に 聞いたらしい。 伯父の介護で散々苦労した家族はたまらないだろう。
ただ、回りへの迷惑を抜きにして思うと、 忘れていくというのはなんと幸せなんだろう。 少しづつ、少しづつ、新しい記憶から忘れていく。 生きてきた分だけの苦しい哀しい記憶を 全て生々しく引きずったまま死ぬのはいかにも辛すぎる。 死を強く意識することもなく、静かに老いていけるとしたら こんなに幸せなことはない。 父も最近、物忘れがひどくなってきた。 最初のうちは娘の私も嘆いたものだが、 父にとっては、幸せな晩年を送ってほしい。 虚弱だが、身体にいま問題もなく無理をしなければ 普通に日常を送っている。 以前から言ってはいたが、ここのところオーロラを 見に行きたくなって思いは募っているらしい。 子供の頃からの友達に一緒に行かないか、と声をかけてみる つもりだと今日も言っていた。 身体が動くうちに、やりたいことはやっておいて欲しいと 思うし、父に残された時間はそうないだろう。 (海外旅行はかなりのエネルギーが必要だから)
明日は、墓参りに行く予定。
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