プープーの罠
2003年08月18日(月)

断片をセロテープで

いつも盆暮れ正月帰った試しがないから
久しぶりに会ったおじいとおばあは、
続柄的名称じゃなくて本当に
おじいちゃん、おばあちゃんという風貌、
すこし小さくなっていた。

おじいは入れ歯になってもよく喋る。
どこの誰が癌だ、死んだ、結婚だ、出産だ、
どちらかというと野次馬。
常識、普通という言葉がやたらと出てきて
家からほとんど出ない人の『常識』というのが
どれだけ井戸の中のものなのか
気付くこともないだろうけど。
つられて似たような話をしている母親もまた然り。
とにかくそういう話はあんまり立ち入りたくない。

顔見せに寄っただけですぐに帰ろうと思っていたのに、
晩ご飯食べてけと引き止められ
おばあと母親は夕食の準備を始める。
私も手伝えばいいものだけど
そう思う頭とは裏腹に
完全な無気力状態で
金魚鉢みたいなライトを眺めるだけ。

ここに金魚入れたらおもしろいよなぁ、
いつ見てもそんなことを思う。


多分電球の熱で煮えるけど。

イイ歳した無気力な孫に
おじいは嬉々として質問をしてくる。

1年先のことすらも見てやしないのに
50年先のことを聞かれたって困る。

なかなか会えないから、聞く機会がなかったけど、と言う。

どうしてこう血の繋がっている人達は
シャッターで覆い隠しているその中のものを
こうもズバリと突ついてくるのだろうか。
核心をついたことを言われると私は
不愉快になるという とても原始的な反応で、
適当にはぁとかふぅとか相づち打って
答えない。

おじいは埒があかないと諦めたのか
もう寝る、といってしょぼしょぼと立ち上がり
次はもう会えないかも知れないから聞きたかった、と言う。
「でもお前は何も喋らないんだな。」と言う。

どうしてこう血の繋がっている人達は
ダイレクトに私を叩きのめしてくれるのだろうか。

私は一緒にいない人との生活習慣や思考を
受け入れることができない。
物理的距離も時間的距離も
そのまま自分と相手との距離になる。
そして分かり合うのに必要な、
膨大な量の隔たりを埋めるという
人間関係の醍醐味をはなから放棄してる。

滅多に会わないからと言って会う度にお金をくれることに
けっこう傷つくということをおじいは知ってるだろうか。
私は出張『孫』サービスじゃない。
オレオレ詐欺と大して変わらない。
血が繋がってる分タチが悪い。

そんな帰りの車の中で


母親はおじいに触発されたのか、
日頃思っていたであろうことをぶちまけられた。
「あんたはホントに喋らない。」から、まぁ
先日ここに書いたような
「このうちの辞書に『和気藹々』なんてゆう言葉〜」を
載せようと努力しないのは何でだ、というようなこと。
車という密室の中でそんなモノを吐き出されたら
あっという間に空気が淀む。
雨が降ってて窓も開けられやしないのに。

会話がないことに対して
母親は何も言わないまま不満を募らせていたわけで、
それをうちの『普通』だと思っていた私もまた
井戸の中の見解であったわけですが。

私はお世辞や嘘でその場を取り繕ってまで
人と折り合いをつけようとは思ってない。
そんなもの欲しくないの。

なーんて言ったらヒステリー起こして
責め立てられるのは分かってるから言わない。
分かる?
うちは会話したらきっと崩壊するわよ。

本当に腹を割ろうとしたら
私は母親を全否定するだろうし
母親も私を全否定するだろう。

自分に聞く耳もないくせに
こちらには一方的に腹を割れと言う。
会話がなくても通じ合えると思ったら大間違い、と言う。

通じ合ってるなんて思ってないわよ。
通じ合う気もないもの。
通じ合わなくたって血は同じなのに。
血が違ったらそもそも接点なんて何もないのに。

どうしようもなくイライラする。
忘れていただけで、私はうちにいる時
いつもピリピリしていた。
血が繋がっている限り、
一生他人にはなれない。
接点なんて何もなくても。

重く沈んだ空気の中、
何も言わない私に話し掛ける母親。

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「プープーの罠」 written by 浅田

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