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再録:デジタルのあちらとこちら(笛/三上亮)(再録)。
2009年01月13日(火)
Akira-Mikami.com
パソコンを慣れた手つきで立ち上げ、デスクトップの表示が落ち着くまでそう長くはかからない。 ひかえめな桜色に塗られた爪をキーボードの上に落としかけてはまた手元に戻す。幾度も繰り返すその行為に対し、忍耐が切れたのは本人より隣の席の後輩が先だった。
「…せんぱーい、もうさっさと打てばいいじゃないですかー。理由なんてつけずに、ちゃっちゃか『こないだはごめんなさい。』で充分オッケーですよー?」
語尾を伸ばした同じ課の後輩は、最後に「どうしてためらうんですか?」と無邪気に付け加えた。当の彩はただ息を吐く。
「どうして、私が謝らなきゃいけないのかって思ってるの」 「…これでもう三日ぐらい昼休みにそうやってるクセにー。喧嘩した彼氏さんからメール来てないってバレバレですよ」 「………忙しいのよ。今だってこっちにいないし」 「出張の多い人なんですねえ」
大した感慨もなく後輩はそう言った。彩はさっさと見切りをつけたのか、パソコンの表示をメール送受信画面からインターネット画面に切り替えた。 慣れ親しんだマウスを器用に操り、お気に入りフォルダから『公式サイト』と表示されているページを左クリックで選ぶ。 フラッシュムービーが始まったそのページを、後ろから覗き込んだ後輩が意外そうに首をかしげた。
「へー、先輩ってサッカー好きなんですかー。っていうかむしろ三上亮?」 「………まあね」
認めるのが癪な気がするのはどうしてか。 頬杖でも突きたい気分だったが、生来の性格がそれを許さず、彩は黙ってインデックスからトップメニューページに飛ぶ。 本人の写真画像が使用されているのは公式サイトだけだ。顔を見るのも妙に腹立だしく、さっさとメニューボタンの上から三番目、日記のところをクリックした。 一日ごとにテーブル分けされている本人直書き込みが売りの日記が画面に勢揃いした。
「マメですね、このひと。ほとんど毎日じゃないですか」 「暇なんでしょ」
知る人が聞けば、さっきと言っていることが違うと気付いただろう彩の言い草は、事情を知らない後輩が気付くはずもない。 一日数行とはいえこまめに書き込まれている本人の日記に、彩はこっちにメールを寄越す暇はなくとも日記を書く余裕はあるのかと、今頃遠い場所にいる一応恋人とやらに別の意味で呆れた。
「…この人見栄っぱりよね。日記なんて一週間に一度ぐらいでいいのに、なんでこんなにムダにマメなのかしら」 「先輩は、好きなものほどけなしたがる人ですよね」
えへ、と笑った後輩の観察眼は侮れなかった。
「愛情が裏返しっていうか、言葉遣いは悪くないのに、というかそのせいか、ちょっと厳しい感じになるんですよ」
お前、いっつもそうだよな。可愛くねえ。
突然胸によみがえった声に、彩はらしくなく本気で動揺した。 喧嘩の原因はやさしさのない自分の一言だった。吐き捨て出ていく後ろ姿。閉められたドアの音に、振り返りもしなかった。
「…可愛くないって、ほんとね」
ぽつりと彩が呟くと、後輩がまた首をかしげた。
「そうですか? 少なくとも、休憩ごとにメールチェックして、昼休みにごめんなさいの五文字が打てなくて三日も悩んでる先輩は、可愛いですよ? 恋する乙女じゃないですか」 「…乙女って、この歳でも言えるの?」 「いいんです。恋に落ちたらいくつだって女の子に戻れるんです」
力説した後輩が本気なのか冗談なのか彩にはわかりかねたが、慰めてくれていることは確かなので、そっと微笑んだ。
「ありがとう」 「いえいえ。先輩は美人ですから、今の彼氏さんがダメでもきっとほかの人が見つかりますよ」 「………………………」
うっかりそうねとは言えず、彩は返答に難渋した。 つつつと未だ開きっぱなしになっている、プロサッカー選手の公式日記に視線を戻す。まだ昼だというのに、今日の分はすでに更新されていた。 そういえば、いつ戻ってくるかも聞いていなかったことを思い出し、彩はまた沈鬱な思いに駆られた。自分が悪かったと認めるのなら、すぐ謝ってしまえばいいのだがタイミングを逃したままなのでどうもメールを出しづらい。 ためいきを押し殺し、今日の分の日記を読む。 簡素な文体は実にあの彼らしい。それでいて妙にまめまめしいところも。 今日の日記は、その点が若干異なる部分があった。 文章の一番最後に、わざわざ一行空けてそれまでの内容とは別個であることを示した一文。
『 明日帰る。』
一瞬何のことか彩はわからなかった。 けれど、一般のファン向けに相応の敬語を使っているその前の文とは一線を画した書き方。
「……………………………………私?」
思わず声にまで出してから、自惚れかもしれないと己を叱咤した。 けれど一度思ってしまったことを否定するのが嫌で、少し熱くなった頬を片手で押さえて隠す。
「…先輩?」 「……バカみたい」
こんなところに書き込むなんて。 笑い出しそうな気持ちを堪えて、彩は画面の一文に指を伸ばした。 液晶ディスプレイから伝わるかすかな温度。指紋がついても、後で拭けばいい。
「…素直じゃないんだから」
どっちがだ、と黒色の目を細めて文句を言いそうな三上を思いだしただけで、何となく笑みが浮かびかけたが、口許ではなく目許で笑う程度にとどめた。
「せんぱい?」 「…ちょっとね」
意味ありげに視線を返しながら、彩は明日の予定のことを考える。 差し当たって大きな予定はない。上司と、専属となっている常務の仕事にトラブルさえなければ定時に上がれるだろう。 そうしたらまず買い物に行って、蓮根と筍とこんにゃく、それから鶏肉ときぬさやを買って先に帰っていよう。人参と干し椎茸はまだ残っているはずだ。 筑前煮が出来上がる頃には、きっといつもの『これから行く。』の一文が携帯電話に送られてくる予感があった。
仕方ないから、待っててあげるわよ。
彩は胸中でそっと呟いた。 ついでに公私混合はよくないと言っておくことも必要だろう。
「…一体何やってるんだか」
呆れた笑みにある、不器用でも確かな愛情。 無機質なデジタル文字がそれを教えてくれた。
*********************** どうにこうにも、三上のお姉さんが代名詞のみで書くのが難しかったため、デフォルト名使用中です。彩さんといいます。
以上ここまで再録。2002年の1月。 あーそうそう当時中田の公式サイトっぽくこんなの書いたー…と読み返して思い出しました。 なつかしい。
先日ある方に「ジャンル何だっけ?」と訊かれ、「笛」と答えたら「ホイッスル!?」とものすごく驚かれました。 驚かれるならまだいい。 現在のWJジャンルの人に「それ何でしたっけ」と言われるよりは。 ところで正規更新を年単位でやっていないくせに未だ「笛ジャンルにいます」とか言っていいのかしら(やめたほうがいい)。
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