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花の匂い(種/キラとあの子)(捏造二十代)。
2009年01月06日(火)
この花は彼女のために。
鐘の音が遠くから響いていた。
一度、二度、三度。決められた数だけ鳴らされる葬送の鐘だ。
南半球の島国のオーブは、これから冬が始まる季節だった。キラは目を細めて薄く雲が広がった空を仰ぐ。庭園には、キラと冬咲きの薔薇だけが存在していた。
鮮やかな赤い色。大人の拳ほどもある大輪の薔薇は、アスハ家の庭師が丹精を込めた結果だ。現在の当主はさほど庭造りに興味はないようだったが、数年前から女児が暮らすようになってから庭には花が増えた。
「とうさま!」
薔薇園を十字に区切った道から、幼子が駆けてくる。白のワンピースと濃い青の外套の裾が動きに合わせて跳ねてる。
幼子の紫の瞳を見つけ、キラはやわらかく笑った。
「やあ、おかえり」
「ただいま!」
しゃがんだキラの首に、彼女はしっかりと抱きついた。黒い喪服に回される小さな腕をキラは抱きとめ、もう一度おかえりと言った。
「動物園はどうだった?」
「あのね、キリンさんがいたのよ。てんてんがついてた」
「そっか、キリンは斑があるんだっけ」
「ぶち?」
「てんてんのことだよ」
首からそっと離したキラが教えると、彼の娘は「わかった!」とにこにこと機嫌よく笑った。
寒空の庭園の中、子どもの可憐さが周囲を明るくさせる。その屈託のなさをキラは心から可愛いと思う。
二十代に入るかどうかのうちに『父親』にはなったが、決して頼りがいのある父になれていたかは自信がない。それでもこの子はキラが思った以上に明るく真っ直ぐ育ってくれている。
「どうしてとうさまはいかなかったの?」
立ち上がり、自然にキラの手を取った彼女は、同じ色の目をした彼を見上げる。
大きな紫の目、癖のない栗色の髪。やや東洋人めいた肌の色といい、まぎれもなく血縁である彼女に、キラは少し困ったように笑いかける。
「僕は、お葬式があったからね」
「おそうしき?」
「そう。カガリのお供しなきゃいけなかったんだ」
亡くなったのは今二人がいるアスハ家に連なる分家筋の令嬢だった。まだ十代半ばだという赤い髪の令嬢。キラは面識がなかったが、きょうだいであるカガリは知っていたようだった。
若い人が亡くなるのは嫌だな。
カガリはそう呟いていた。キラも同感だ。不慮の出来事で奪われた若い命は、悲しみしか運ばない。
白い花に囲まれた赤毛の少女。目を伏せた白い面差しが、キラに遠い思い出の少女を彷彿させた。
自分もかつてああして、誰かの命を奪い、誰かの葬列を生み出していた。
「…とうさま?」
「…ごめん、なんでもないよ」
「…………」
子どもの前では泣かない。出来るだけ笑っていたい。育ててくれた母の笑顔を思い出し、キラは左手に握った小さな手を軽く握り直す。
しかし、父親の感傷が伝わったのか、まだ七つにもならない娘はおもむろに喪服の足に抱きついた。
やっちゃったかな、とキラは内心で自分にためいきをつく。素直で屈託がない分、この子は感受性が高い。カガリのように直感で他人の痛みに気づいてしまう。
「大丈夫だよ」
僕は、大丈夫。
手を伸ばし、キラは小さな栗色の頭を撫でる。
しかしまだ小さくとも女の子のその髪を見ていると、かつて守りきれなかった紅い髪の少女を思い出してしまう。
フレイ。もう何年も音にしていない名前だ。
葬儀の後、薔薇を見に来たのはフレイを思い出したからだった。紅い花のように華やかに笑っていた彼女は、戦火に散り、今はもうどこにもいない。
彼女とは、決して幸せなことばかりの恋じゃなかった。辛くて苦しい日々もあった。それでも嫌いになったことはない。
好きだった。恨んだことも、憎まれたことがあっても。ただ好きだった。時を経ても、あの恋は忘れない。
「ありがとう、さ、カガリのところに行こう」
生きながら伝説になってしまうほど誰かを殺めた自分が、こうして家族を得ている現実を恥じたことはない。罪は罪として、幸福は幸福として、割り切らなければ生きていけないと気づいたからだ。
そして、抜け出せない苦しさを覚えたとき、こうして抱きついてくれる小さなぬくもりに、きょうだいや親友では埋められない何かが満たされる気がしていた。
それは光のようにすべて照らしてくれるわけではない。けれど、ささやかな、可憐な花を見て心やすらぐ気持ちに似ていた。
ようやく顔を上げた幼子は、笑いかけるキラを見上げて、ほっとしたように頬のこわばりを解いた。
「じゃあ、寒いし、あったかいお茶でももらおうか」
そっと足から離れさせ、キラはいつものように左手で手を繋ぐ。利き手を万一のときのために空けておく癖は、親友から習った。
「うん!」
淡い花がほころぶように笑う、小さな女の子。今のキラにとって何にも代え難い。
どうか、この子が、自分のような存在に不条理に命を奪われることがありませんように。
戦争してた人間のくせに、何て図々しいのよ。
強く祈れば、紅い髪の少女の気の強い声が返ってくるような気がする。綺麗な眉をひそめて、高い声で、キラを非難する少女のすがた。キラが愛したフレイ。
…わかってるけどさ、フレイ。ごめんね。
だけどどこかで。
『ほんとしょうがないわね』
そんな捨て台詞を残して、ふいっと顔をそむけるような君がもしいてくれるなら。
「キーラー?」
「あ!」
「カガリだね」
遠くから聞こえた若い女性の声に、年齢が若いほうがはしゃいだ声を上げた。
「いくね!」
「えっ、ちょっ…!」
しっかり繋いでいたはずの手を離して、ぱっと外套が翻る。
さきほどまでの態度はどこへやらでキラのきょうだいのほうへ行ってしまう娘を、キラは呆然と見送る。空いてしまった手が少し寂しい。
父親とは、こういうものなのだろうか。
なった割には実感に乏しいのは致し方ないにせよ、カガリに勢いよく抱きついていく少女に、キラは諦めの混じった笑みを浮かべた。
離れたところまで迎えに来たカガリは、飛び込んできた子どもを受け止めながら、やはり嬉しそうだ。子どもに好かれていやがるような女ではない。
薄い雲の隙間から、金色の太陽が顔をのぞかせた。
ふと咲き誇る赤い薔薇に向かって、キラは手を伸ばした。
花弁が触れるかどうかの位置で、そっと手のひらを上に向けると、かつてキラの手の中に滑り込ませてくれた白い指先の残像が重なる。
あの手を、永遠に守れたなら。
何年もの間、何度も思った。悔いたところで彼女はもういないとわかっていながら、この痛みはきっと消えることはなく、切り捨てることもできない。たとえ、キラが今はもう他の人を愛しているとしても。
つかの間だけ目を閉じると、太陽のあたたかさがキラの手のひらを包んだ。
それはまるで、あの少女の手のぬくもりのようで、キラは思い出の中に向かってそっと笑いかけた。
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ミスチルの『花の匂い』のフレーズからお借りしました。
タイトルからしてもそのままですが。
日だまりに手を伸ばして、誰かの手のぬくもりを思い出す、っていうとキラのイメージかな、ということでキラとフレイさんの思い出と赤い薔薇。
あの子はタイニープリンセスのあの子です。捏造です。
どうでもいい話ですが、タイニープリンセスは椿の花の一種です。小さくて可憐というイメージの花です。でも椿なので毅然としたところもある、という勝手なイメージをつけてます。
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