うわの空日記


ワルシャワに暮らす主婦ゲラッチの日常です。

2005年01月30日(日) 逢いたい人は

小学校の時も中学校の時も、卒業するのがすごくイヤだった。
新しい学校で上手くやっていけるかという不安はそれ程無かったんだけど、今までの日常が過去のものになっちゃうのがすごくイヤで。

仲の良い友達と毎日のように会えなくなるのは、まぁ良い。
友達なんだし、連絡もマメに取るし。
仲の良い友達が、卒業と同時に突然過去の人になる訳じゃあ無い。
(時間をかけて、自分の選択だったり時の流れだったりして過去の人になっていく場合が多いけどね。)

それより恐いのは、「日常」が卒業と同時に突然「過去」になると言う事。
普段一緒に居るグループは違ったけど、何となく気の合う友達。でもその人と「グループ」の枠を超えてまで、蜜に連絡を取り合うかと言うとそれは無いだろうなぁ、と分かってるから。それが辛い。

同じクラスだったってだけで、それ程共通点があったわけでもない人。
学校という枠で区切られてなかったらきっと同じ時間を共有しないであろう人。
そんな人達の事を最近よく思い出す。歳なのかな?

私は高校の時寮に入ってたんだけど、おかげ様でかなり濃い人間関係を経験した。
アメリカの女子寮ってのは(訴訟を恐れて)それはそれは過保護&過干渉なんだけど、そんな中に文字通り「閉じ込められて」3年間生活した。

なのに卒業と同時に今まで毎日生活をともにしてきた大量の人達があっと言う間に私の日常から消えた。
寮生は海外からの留学生が多かったから、卒業と同時に2度とアメリカに戻らない人達も居る。
同窓会に行っても(遠いから行かないけど)、会いたい人たちは居ない。

超仲良くしてた友達とはまだやりとりがある。
でも思い出すのは「隣の部屋に住んでたコ」とか「英語の授業だけ一緒で、答えあわせを一緒にしたコ」とか、当時はそれなりに付き合いのあった人達。

大学の友達も外国人が多かったし、私が仲良くしてたアメリカ人は同窓会とか嫌いなタイプばっかりなので、ピンポイントで各自と連絡を取らないと会えない。というか、連絡取れても遠すぎて会えないんだけど。

しかも会ったところで、きっとお互い変わりすぎてる。懐かしいねぇ、以上の会話で楽しめるとしたら、それはその人との「新しい出会い」であって、以前の付き合いの延長ではない。
以前の付き合いはあくまで過去のもので、今は存在しない。

過去の私と今の私も違うよね。同じ私だけど違う。
別に今の私に不満があるとかは全然無いんだけど、じゃああの時の私はどこに行ったんだろう、と青年文学のような事をゲラ夫に言ってみたら。
「存在しないんだよ、昔の自分は。」
と冷たく言われる。
「永遠なんて無いってそういう事でしょ。」
うん、まぁそうなんだけど。
「仏教徒のクセに流れ行くものに執着してちゃダメじゃん」
そんな事言われても。
むぅ、これが諸行無常の響きありなのか?


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