うわの空日記


ワルシャワに暮らす主婦ゲラッチの日常です。

2004年10月08日(金) 空気の読めない人

空気読めっていう言い回し、いつ頃から出てきたんだろう。
少なくとも私が日本に住んでた2000年ごろまでは、耳にしたことが無かった。
「浮いてる」なんて言い方は随分前からあったけど、これは本人が意図してかしなくてか、その場の状況になじんで無いって感じ。浮いてること自体が良い事では無いけど、まぁしょうがないか、みたいな視線が感じられる。

ところが「空気が読めない」ってのは、何かもう、完膚なきまでに人格をこてんぱんに叩いてる感がありますな。「空気読め!」って周りからの痛い視線が集中してるのに気づいて無い人。「空気を読まない」じゃなくて「読めない」ってあたり、もう手の施しようが無いって感じで。

先日ネット上の日記で、この言い回しを目にした。
書き手が女性で、付き合ってる相手が外国人。で、彼と日本に行くのはちょっとためらいがあるって話で。
「だって日本人みたいに空気読めないし、彼。」
これってキツイ! 
もしゲラ夫が友達にこんな発言してたら私、立ち直れないかもしれない。

だって外国文化なんだから空気が読めないのは当たり前じゃん。
自慢じゃないけど私なんて、日本でも空気読むの苦労してんのに。こんな私がそう簡単にポーの空気が読めるかっての!

例えばゲラ夫が日本に来たら、空気読めないのなんて当たり前。
でも当たり前だからって常に暴走されても困るけど。この辺はもう、お互い折り合いつけていくしかない。
ゲラ夫がどこまで学んでくれるか、学んだ上でどこまで自分でそれを取り入れてくれるか。周りの人間がどこまで「空気読めオーラ」をゲラ夫に強要するか。ゲラ夫のキャパを越えるオーラだった場合、どこまで私がゲラ夫を彼らから隔離できるか。美しきかな、共同作業。

これは日本だけってワケじゃなく、私だって今現在の生活で毎日続けてるわけだし>共同作業。だから彼が日本に来るって設定の時だけ彼を「空気読めない」で切っちゃうのはちょっと酷すぎると思う。

ま、日本に帰った場合、ゲラ夫に空気信号を送る係りの私からして既に空気読めてなくて、2人で暴走って確立も実はなかなか高いんだけどさ。


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