創造する人への敬意






ようやくSちゃんから電話があった。
5月末に来る予定だったのに、延期になった。
彼女と話していると、言いにくそうにお願いをされた。
以前、Sちゃんが来たときに見せた「クルクル回る」ものが欲しいらしい。
何を見せたか、とっさに思い出せなかった。
私が本を見ながら適当に作ったフラッシュのことだとわかった。
  
 もしかして、私が作るってこと?
 

 いえいえ、自分で作りたいんです。
 作ってCD-ROMにしてお祝いにしたいんです。

彼女が作るならとほっとしたけれど。
ということは、作り方を私が教えるということになる。
非常にまずい。
作り方も何も、本を片手にごくごく基本的な動きをつけただけ。
Sちゃんが来るまでに、フラッシュの操作を、私が覚えないといけなくなった。

SちゃんもNちゃんも、実際に手に取ることができる作品を作る。
そして独創性、創造性豊かだ。
反して、私はモニターを介して見るものしか作れない。

彼女たちは自分の創り出すものを大切にする。
何かを創り出す人は、全てそうだと思う。
子供の頃、お茶会の席で、茶碗を見るときに平伏する様に
違和感を覚えた。
 どうして器に人間が頭を下げて最敬礼しないといけないの?

伯母に叱られた。
 お前は何もわかってない。
 器に対してではなく、作った人に対して尊敬の念を
 示しているのよ。

この言葉は、30年以上経った今も、深く心に残っている。

人が作った物に対して、何も感じないどころか、
ばれないだろうと簡単に盗む人は多い。
絵画は、模写することで自分の腕を磨くけれど、
これはいつか自分のオリジナルを作るための道だと思う。

特にインターネット上では、人の作品を簡単に盗む。
文章、音楽、画像など。
自分で創り出せないならば、せめて作り手に対して
借りられる物ならばお借りすると、こちらからお借りしましたと
表示するのが筋だと思う。

今まで、私がこの日記にコピーライトをつけなかったのは
ネットに上げると、いくら自衛しても無駄だと知っているから。
使っている写真は、jpgに圧縮してあるし、コピーライトの
文字は、消しにくいように加工してある。
これはささやかな抵抗だけど。

わかった上で、私はコピーライトを日記につけることにした。
トラブルに遭遇したときに、権利を主張できるように。
自分が書いたものに対して責任を持つために。
そして、誰かが創り出す作品に敬意を表するために。

2005年06月05日(日)

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