2004年06月20日(日) |
2003年 ヒキコモリ・入院・一人暮らし |
年越しは病院の屋上で車椅子に座りながら迎えた。 付き合ってる人とは別れた。
整形外科での入院。 人間関係にしんどくなって過食が出始めた。 最終的には腕も切るようになって、人前に出るのが辛くなった。 ベッドのカーテンを閉め切る事が多くなった。 リハビリもさぼりがちになり、逃げるように退院した。 リハビリをサボっていた分、全然歩けるようになってなかった。
杖をついて歩いてるうちに足の骨が痛くなり10m歩くので精一杯だった。 また引きこもり始めた。 時間を潰すためにネットをし、はまっていった。 本当に一歩も外に出なかった。 朝方寝て、昼に起きてからご飯以外はずっとネットをしていた。
7月、家にいるが辛くなって、怖かったけれど外に出始めた。 体重は去年、増えたきり止まっていたのがみるみる減っていった。 いや、減らした。食べる量を少なくして外に出る回数を増やして。 太った自分を人前に出すのは恥かしかったけれど、それ以上に体重を減らしたかったし、ヒキコモリ生活には飽き飽きしていた。
20歳になった。 徐々に歩ける時間が伸びて昔の体型には戻せていなかったけれど友達と遊べるようになってた。 9月、ファッションの販売のバイトを始めた。 その時には強迫的にバイトでの服装を考えたり、体重を減らさなくてはと思いつめ、 初めて自己誘発嘔吐をはじめるようになった。 吐きやすいものを底にして、動けなくなるまで食べて指をつっこんで・・・。 苦しかった。 自分がもう一歩病の境地に足を踏み入れた気がして怖かった。 食べても吐いても満たされない。体重は減らない。お金は水のように流れていく。 バイトはすぐに辞めてしまった。 もう、死にたかった。 満足にバイトも出来ない。バイト先の人を困らせた。 体重を減らしたい。運動したい。幸せになりたい。愛されたい。 どれも自分のせいで駄目で、余計自分が要らないと思った。 過去にしがみついて、未来に希望を見出せなかった。
10月、2年前に元気をくれた沖縄に旅行に行った。 その時初めて、生きようと思った。生きたいと言葉に思えた。 2年経ってもここから見える海と空は変わらない。 海はいつだって波を立ててる。 私が死んでも生きてもこの海や空は変わらず明日も明後日も続いてく。 だったら生きてもいいのだ。生きよう。私なんかちっぽけだから生きてても。 そう思った。
沖縄から帰ってきて、東京の空気が重く感じ、所狭しとある建物に威圧を感じて 私が「生きたい」と思うようになったと報告した家族や親戚の反応は思った以上で、私に重くのしかかった。 家で憂鬱に過ごしているうちに母に依存し始めた。 自分でもどうして良いかわからなかった。 このままでは母までも精神を病んでしまうかもしれない恐怖と、自分を落ち着ける為、 母から離れる事を決意した。
入院。
一ヶ月順調に過ごして、退院と同時に一人暮らしを始めた。 入院中に毎日散歩していた+拒食が入り始めたのでまた体重は落ち始め 一人暮らしをして節約に燃えすぎて、私の人生で2番目に少ない体重になった。 ガリガリではなく健康体重だったけれど。でも私は満足してた。 一人暮らしは楽しかった。自分で買い物に行ってアパートの物を揃えて。
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