2004年06月26日(土) |
落ち込み落ち込み励まされ |
昨日の授業、昔っから知っている声優さんでかなり浮かれてたんだけど いままでの先生にない(ある意味真逆の)理念を持っていらっしゃる方で すごいいいスパイスをもらった反面 ものすごいショックを与えてくれた。
録音スタジオに連れて行かれ 1回、目を通しただけでハイ本番 私たちはまだまだ下手っぴですから、一瞬前に渡されたものをサラっと上手く読めるわけがありません。 入りが早過ぎたり遅すぎたり同じテンポになってしまったり。 普通に考えるならNGです。録り直しでしょ。 ところが今の編集技術はすごい。 PCを使って音声の入る場所や間隔を簡単に直すことができるのだ。 間を直すだけでそんなに変わるものなの?と話を聞いただけならそんなに気には留めなかっただろう。 しかし実際にその違いを聞いてみると明らかに違う。 大学時代ラジオドラマをつくる授業で音声の編集作業をやったことがあるのでできることは知っていた。 でも役者の立場で改めてその技術を考えると恐ろしいものがある。
私は今文章を読む時、間やテンポが同じになってしまうことに悩んでいる。 気持を入れて、みんなに語りかければ、普通に言えばそんなことにならないのは知ってる。 簡単なことなんだよ。 気持を入れればいいんだもん。 普通に言えばいいんだもん。
…でもそれが今の私の越えられない壁。 越えなくてはならない壁。
それなのに、昨日の授業は今までの私の悩みを「そんなことしなくてもいいんだよ。ミキサーの仕事だから」と言ってのけたようなものだ。
これはもうかなりの衝撃。 役者の仕事をほとんどではないが少なくもないその一部を取られた屈辱。 今自分が越えようとしているものだから尚更だ。 これからの時代芝居で声優を取るのではなく声質とキャラで取る時代がくるかもしれないという。 今既にそんな時代がやってきているのかもしれない。
それじゃあ声優は役者の仕事じゃなくなってしまう。 それは違うよ!絶対に!!
もちろん、芝居をすることまで音響スタッフにやらせていたら次の仕事はもう来ないだろう。 もしくは、気にいられているプロデューサーにしか使ってもらえないだろう。
今はきっとまだそんな時代。 でも将来 声優は「声」が「優れている」人の仕事になって 役者の仕事でなくなってしまう時が来てしまうのであれば… …それは寂しいなあ…
この話を聞いて 受け入れられる人がいて (すんなり受け入れる人もいれば戸惑いつつも受け入れる人もいた) なんだかなんて言ったらいいのか分からない気持ちになったけど 逆に憤慨し反論する人も沢山いてとても安心した。
私は声優になりたい前に役者になりたいのだから。
注) 昨日の授業が全て役者の仕事であることを否定するものであったわけではないよ。 役者の勉強になったことは山ほどあった。 ただ、最後にそんな現実も突きつけられた。 それだけ。
それと、編集技術で「間」は自由自在に変える事は出来るけど 滑舌の悪さや抑揚の間違いは直すことが出来ないのであしからず。(^_^;)
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