2005年02月10日(木) |
「Always Together」 |
これはね、最近サイトに載せた曲なんですけどね。 以前も日記に書きました。だいぶ前。 9月か8月か・・・。 今確かめたら8月20日の日記でした。 旅行から帰ってきたら愛鳥のみーちゃん(本名水無月さん)が ぐったりしてたんですよ。 みーちゃんとはね、昔からの付き合いで 私の一番の理解者(自称)私の一番の友達(自称)むしろ家族(自称) 今日はちょっとその話をしたいと思います。
私がまだ1〜2歳の頃、山吹家に一羽の鳥が迷い込んできました。 それはとても綺麗な色をしたインコでした。 はじめは誰かの家で飼ってた鳥が逃げてきたのかな?って思ったみたいです。 だって明らかに日本ではいないインコやったから。 一応張り紙みたいなんはしたみたいですけど 飼い主が見つからないのでうちで買うことに。 犬とか猫飼うことを考えれば鳥なんてたやすく飼えるじゃないですか。 確かメスだったと思うんですよね。 んで、一羽だけじゃかわいそうだからオスを飼うことに。 その後すぐ3羽の雛が孵りました。 そのうちの1羽がみーちゃんです。 残りの2羽はマンションの人のお家へもらわれていきました。 当時インコなんて飼ったことなかった我が家にとって3羽飼うだけでいっぱいいっぱいだったんです。 私はね、雛からインコを育てられることがすごく嬉しかったんです。 当時2〜3歳くらいだったと思うんですが、一生懸命世話したのを覚えています。 親鳥と一緒にしてると親鳥が殺しちゃったりしたことがあったから 人間の手で育てることにしたんですね。 めちゃくちゃちっちゃいけど弟ができた気分だったんですよ私は。 だからね、大事に大事に過保護すぎるくらい大事に育てたんです。 おかげさまでみーちゃんはすごい手乗りになりました(どんな手乗りだ) その後すぐ、みーちゃんの両親が死んじゃったのでかわいそうなのでメスを1羽飼ったらすんごい増えました。 その子らも家族で育てました。 でもね、その子供らはあんまりなついてくれなかったんですよね。 きっと私がみーちゃんをかわいがりすぎたから。 人間で言う「不良息子娘」みたいな感じ。(笑) そんな中でみーちゃんは私をずっと慕ってくれました。 私もみーちゃんが大好きで学校であったことを全部みーちゃんに話してました。 隣に住んでた一人暮らしのおっちゃんがびっくりしたそうです。 隣のベランダから子供の喋り声が聞こえる。でも相手の声は聞こえない。 もしかしたらちょっと危ない子やと思われてたのかも(笑) そんなこんなで私とみーちゃんは本当に仲良しだったんですよ。 でもね、クラブ活動を始めてから時間がなくなってきて
「ごめんな。明日朝早いから構ってあげられへん。」
って言いながら世話をあんまりしなくなりました。 毎日水と餌を変えるそんな簡単なことすらしなくなった時期もありました。 中には餓死して死んでいったインコもいたし 真夏に日射病で死んでいったインコも居た。 本当に酷いことしてたな、って思います。 籠の中の鳥だから私がちゃんと面倒見てあげないと駄目なんですよ。 私の勝手で籠の中で飼ってるんだから私がちゃんと世話をしてあげなきゃだめなんですよ。 そんな簡単なことすら当時はわからなかったんですよ。 それでもみーちゃんは私を嫌いにはならなかった。 まぁ私しか構ってくれる人がいないから当然といえば当然なんですけど 私は全然みーちゃんに答えてあげてないなって思って。 みーちゃんは暑い日も寒い日も私の帰りを待ちわびてたんですよ。 学校で遅くなる日もバイトで夜に帰ってくる日も いつだって私が顔を出せば「おかえり」って暖かく迎えてくれたんです。 みーちゃんは今16歳です。いや、15歳かな・・・? 15年間ずっと私の側にいてくれた大事な友達であり、家族なんです。
去年の8月 私と両親は2泊3日の旅行に行っていました。 鳥の世話は仕事があって旅行にいけなかった姉に任せていました。 旅行から帰ってきて一番に「ただいま」を言いに行きました。 いつも喜んで出てくるみーちゃんは巣箱の中でじっとしてました。 呼んでも出てこないしずっと目を瞑ってたからびっくりして そのまま病院に連れて行きました。 っていってもうちのインコは病院なんて今まで一度も行ったことがなくて 行きつけの病院なんてないし、動物病院なんてほとんどが犬や猫しか見てくれないじゃないですか。 鳥を見てくれる病院を見つけるだけでも大変でした。 案の定、病院へ行っても「原因がわからない」と言われ 年も年やったから寿命なんかなって思ったんですけど、納得できなくて 本間は検査とかしてもらいたかったんだけど「体に負担がかかるから」とか言われたら無理強いするわけにもいかないし、 とりあえずなにか食べさせないといけないって言うことで先生が無理やりみーちゃんの口をこじあけて餌をあげさせてくれました。 だけど、全然食べてくれないから口の中からチューブを入れて無理やり栄養剤を押し込むんですよ。 私だって異物を飲み込むのなんて嫌なのにみーちゃんは何の知らせもなく入れられるわけじゃないですか。 病気で食べられなくなったのならともかく、本当に寿命だったらどうしようっていう不安がよぎりました。 安らかに眠っていく年だったのだとすればすごい酷いことをしてるんじゃないかって思いました。 だけど、どうしても死なせたくなくて 私の勝手だってことは十分わかってたけど死なせたくなくて ほとんどつきっきりで看病しました。 「Always Together」はこのとき作った曲なんです。 15年も飼ってるのに、一番近くにいたのは私なのに分からないんですよ。 寿命かどうかも分からないんですよ。 この時に私は思い出したんですよ。 私はねずっと獣医さんになりたかったんです。 鳥を見てくれる獣医さんなんて決して多くないし、動物病院は保険が利かないから馬鹿みたいに高いし。 私が獣医さんになってあげられたらいつでも見てあげられるわけじゃないですか。 だけど現実はそんな簡単にはいきませんでした。 獣医さんになろうと思えば動物実験だってしなきゃいけないし、当たり前のことだけど勉強もしなきゃいけない。 みーちゃんを守ってあげたくて昔からずっと心に決めてたのに私はあっさりその夢を諦めてしまったんです。 すごい後悔しました。 なんで何もしてあげられないんだろうと思いました。 もしここまでして助からなかったらどうしよう。 死ぬときは安らかに楽に眠らせてあげたい。 でも、失いたくなくて・・・。
看病のおかげでみーちゃんは元気になりました。 本当に良かった。 今現在も元気です。 私ね、今までいっぱい酷いことしてきたじゃないですか。 だから今度こそちゃんと面倒見てあげようって思ったんです。 どんなに忙しくっても絶対毎日顔を見せて水と餌を変えてあげよう。って思いました。
今日なんでこの話をしようかと思ったかっていうと 皆には後悔してもらいたくないんですね。 私みたいになっちゃ駄目なんですよ。 そして、自分の大事な人やペットが苦しんでるとき なるべく側に居てあげてください。 それが最悪な結果に繋がったとしても、悪いことではないです。 誰かが側にいてくれるだけでだいぶ気持ちは楽だと思います。 私が作った曲の中で一番思いの強い歌になりました。 まだ完成はしていないので載せられませんが、サイトに載る日が来たときは 是非聞いてください。
・・・しんみりしたところで 久しぶりにバイト日記。
今日ね、朝入るといつもシフトを確認するんですよ。 ボードがあってね、そこに今日仕事が入ってる人の名前が書いてある。 んで、店長の名前が12時からになってたから嬉しくって
「今日おらんの??」
っておっきい声で言ったら おばちゃんに叩かれた(笑) 事務所を覗くと店長の姿が・・・。 完全に聞こえてたな。 だってまさかいると思わんやん。 ってかなんでおんねん。5時間も早いやん。 かといって仕事を手伝ってくれるわけでもなく5時間事務所でパソコンに向かってました。 友達おらんのか。 ってか朝ごはんくらい家で食って来い。 朝っぱらからひやひやした一日でした。(まだ一日終わってねぇ――!)
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