★EMI’s style★
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11日ぶりの日記です。 実は先日、あたしの大好きなおばあちゃんがおほしさまになりました。 おばあちゃん子のあたしは未だにこの現実を受け止められずにいます。
去年は九州・湯布院へ、 今年の3月には中村勘三郎の襲名公演を観に東京へ行ったり元気だったんですけど、 あたしが救急に運ばれたあたりの5月頃からおなかの調子が悪いと話していて。 その時はただの下痢だと思っていたんです。 おばあちゃんもあたしたちも。 でも大きな病院に検査しに行ったら・・ガンでした。 スキルス性胃ガン、「僕の生きる道」の中村秀雄先生と同じ病気でした。 そう宣告されたのがあたしが札幌でのライブから戻ってきてすぐのこと。 余命1年と知り、ただただあたしは号泣でした。 病気一つしたことがなかったのに、ガン家系じゃないのに、 なんでうちのおばあちゃんがこうなるの??とパニックでした。 もう仕事どころじゃない、祭りどころじゃなかったです。 本当にショックで。 おばあちゃんには“ひ孫の顔が見たい”と言われていたので、 それも叶わないんだ・・とすごく自分が嫌になったりもしました。 その後当時84歳で手術も難しいとのコトだったので、 あたしたち家族は今まで通りに生活をしながら病気と闘う選択をしました。 退院をして今まで通りの生活をして、あたしも今まで通りおばあちゃん宅に通いました。 いつもライブで遠征した時はおばあちゃんにお土産を買って行ってたので、 今回も札幌、東京、大阪とお土産を渡して。 その度に“また行ってきたの??”と言われてたけど(笑) 相変わらず「スマスマ」や「スマステ」も見てたみたいで。 「ルーレットボーリング」のセットには驚いていました(笑) うちの母の大きな仕事の成功にも喜んでいたし、 あたしとデパートへお買い物へも行ったし、ホント普通に生活してました。 ただだんだん食欲が衰えてきて、先月救急に行ったんですよね。 そしてその数日後に血圧が急に下がったのと脱水で入院することになって。 病院へはあたしも仕事の帰りにほとんど毎日寄りました。 やっぱ孫が登場すると喜ぶみたいで(笑) 最初は個室だったけど、大部屋になると同じ部屋の患者さんもいい方ばかり。 ドクターにも看護師さんにも恵まれました。 で、ますます食欲がなくなり、個室に移動して輸血していたんだけど、 意識が朦朧としていても耳はしっかりしていたみたいで。 亡くなる数時間前にはあたしの名前を呼びましたから。 で、手が冷たかったから手を握りながらあたしもうたた寝をしていたら、 急に呼吸が変わり始めて。 それを見つけたのはあたしで、すぐにナースコールをして。 手を握りながらそのまま眠るかのように息をひきとりました。 ほんの3分間の出来事でした。 あたしはその場から離れられず号泣。 しばらく泣き崩れました。 ドクター曰く、この高齢でおなかの痛みもなく抗がん剤も使わないことは、 すごいことですごい患者さんだった・・とお話していました。
その後はバタバタでした。 宣告された夏から少しずつ覚悟はしてきたつもりだったけど、 あたしの心もぐじゃぐじゃで泣きっぱなし。 “何でおばあちゃんのことを拝まなきゃいけないの??”と現実を受け止められなかった。 しまいには納棺の時に鼻血は出るし(汗) とにかく今回は10年分の涙を流しました。 1リットルじゃ済まされないね(笑) お葬式では初孫のあたしが代表して弔辞??を読みました。 普段人前に出るのは仕事柄慣れているはずだけど、めちゃくちゃ緊張! 血の気がひけて手足冷たいし、おなかすいておなか鳴るし、最悪のコンディション。 涙どころじゃなかった(笑) 本番ではかむこともなく何とか成功しました。 みんなに褒められて嬉しかった(笑)
うちは昔から両親が共働きだったので、おばあちゃんはあたしの育ての親でもあります。 あたしは初孫なので、特にめんこがられていました。 それにあたしの良き理解者でもあり、味方でもありました。 中3で家出をした時にはかくまってくれたし(爆)、 本当は校則違反のルーズソックスもデパートで見つけると買ってきてくれたし、 ちょっとやばめの茶髪にしても“いい色だね〜”と褒めて??くれたし(笑) おばあちゃんと過ごした26年間の思い出は、書ききれません。 正直あたしの心はまだ不安定で、こみっとしくしく泣いている時もあるけど、 おばあちゃんが側にいると思って明日からまた仕事復帰します。
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