SAKURA'S STUDY DIARY
さくらのきままな毎日 一日一読一書 A reading and a writing for a day
自分自身が書いていて不快な内容なので、一部は伏せます。 さくらさんは朝、ごはんを食べながら新聞を読む。 読んでるのは地元英字紙。大きな文字だけ拾い読みして、興味のある記事だけ最後まで目を通す。それから、スヌーピーのマンガと、天気予報、「譲ります」のページと、スポーツ面。 さて、今日もいつもと同じように、ご飯を用意して新聞を広げた。 一面は、真っ赤な死体の写真だった。 これで、3度目だ。 この国に来て、一面に死体の写真が何の細工もされずに大きく載っているのは。 今日の写真はガザの誤爆の件だった。写真の下に「血のプールに……」と書いてあったけど、まさにその通り。真っ赤な血の海に、2人。先日は、パキスタンの閣僚を狙ったテロ。車の中に残ったドライバーの体。それから、最初に目にしたのは、この国での公開処刑で、刑の執行後に係官がつるさがった体をチェックしているところ。 気分が悪い。 なんで、こういう残虐な写真を、一面に大きく載せるのだろう。 死体で無いにしろ、イラクで殺されたトルコ人の人質が、頭に銃を突き付けられている写真も掲載されていた。 この国は宗教的な戒律にウルサイ。 検閲は厳しく、おねーちゃんの裸な写真なんてのももってのほかで。 国内はもちろんのこと、日本から送った雑誌などでも、ばっちり開けられて真っ黒に塗られる。検閲はいわゆるえっちぃ雑誌だけではなく、例えば普通の女性ファッション雑誌に載っていたのミュージカルの広告も、衣装の胸元が大きく開いているが故にマジックの黒い線が大きく入っている程で。要は、それが低俗な肌みせか、芸術なのかということも関係なく、おねーちゃんであれおばちゃんであれ、女性の肌見せの写真は塗りつぶされるのだ。 さくらさんは女なので、別にえっちぃものが見られなくてもこれっぽっちも困らないし、こちらの国の人にとってはノースリーブにミニスカートが裸同然なんだから、仕方ないとは思う(でも、衛星テレビで欧米の映画やドラマはたくさんやっている。えっちぃシーンはないけど、女性の肌は平気でうつるらしい←伝聞なのはまだテレビが来ないから)。 そりゃ、まるで厳しいガッコの校則チェックのように、個人宛のファッション雑誌を勝手に開封してまで塗りつぶすのは納得いかないけどさ。それだって「ダメ」と言われたら従わざるをえない訳で。外国人だからOKと言うわけではなく、私が見て何にも思わないモデルの長い手足も、こっちのおじさんには刺激が強すぎるという基準で検閲しているんだろうから。 でも、だからこそ疑問に思うのだ。 女性の肌にはそんなにも躍起になるのに、どうして殺された人の姿はいいのだろう。 普通の人間だったら正視するのに耐えられない写真が、どうして一面トップなんだろう。 宗教で禁じられてないなら、どんなに残虐なものでも平気で人目にさらしていいのだろうか。それだけが、真実を伝える手段なのだろうか。もちろん、見なくちゃ分からないことだってある。残虐だからって目を逸らしちゃいけないことだってある。でも、はたして全ての写真が本当に必要なのだろうか。 ああいう写真を載せ続けたら。 きっと、残虐さに対する感覚は麻痺していくだろう。 人の体が通常有り得ないことになっている写真が、ノースリーブのおねーちゃんの写真よりも受け入れられるという感覚を、私は理解できないし、したくないとも思う。 少なくとも、公になる新聞の一面トップはやめてほしい。 朝から不快な気分にはなりたくないから。
AOISAKURA
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