ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年12月03日(水) 木枯らしと裸樹

ひゅるひゅると風が唸り声を上げ真冬並みの寒さとなる。

朝の冷え込みはなかったが日中の方が気温が低くなった。

暖かく着込んでいたが急な寒さが身に沁みるばかり。

最強寒波だけあって明日の朝はかなり冷え込みそうである。


今日の強い北風に煽られ銀杏の葉がすっかり散ってしまった。

今朝はまだ黄金色に輝いていたのだ。何と儚いことだろう。

地面にうず高く積もった亡骸を見ると切なくてならない。

それでもこの冬を乗り越えて行かねばならないのだ。

若葉の季節までひたすら耐えるその健気さが尊く思う。



仕事は車検と一般修理が入庫しており

今日も義父の腕の見せ所であった。

どんな不具合も確実に直すのである。

日本一高齢でしかも優秀な整備士だと思う。

私はそんな義父が誇らしくてならない。


事務仕事は一段落しており整形外科へと向かった。

リハビリ前には血圧を測る決まりになっているのだが

何と174もありあたふたと驚く。

U君の計らいで腹筋と腰上げ体操は取りやめとなる。

それだけ慎重に私の身体に向き合ってくれているのだろう。


4時半に帰宅。少しだけ炬燵に潜り込んでいた。

夕食の支度を始めると何となく身体がこわばって来る。

昨日もそうだったのだが入浴前の緊張ではあるまいか。

食後には抗不安薬を服用するのだが直ぐには効かない。

「何のこれしき負けるもんか」と思う。

脱衣所と浴室に暖房を点け準備万端にしておく。

「よっしこれで大丈夫」と入浴をするのだった。

血圧は154、さほど高くはなくほっと胸を撫で下ろす。

何とも臆病で大げさかもしれないが簡単に死ぬわけにはいかない。

寒い冬の間は毎晩こんな有り様であった。

とにかく少しでも不安を和らげねばならない。


今朝は急逝したお客さんの息子さんに会ったが

「少しも苦しまずにぽっくり死ねて良かった」と云っていた。

そんな一言で寂しさが癒されるはずはなかったが

故人にとっては幸せな最期だったのかもしれないと思う。


ようは「死」に拘らないことだ。

人は皆生まれた時からすでに定命が決まっているのだそうだ。

ただその定命が「いつ」なのか誰も知らずに生きている。

災害や事故に巻き込まれて命を落とす人。

闘病の末に養生敵わず命を落とす人。

自分で自らの命を絶つ人もいる。


どんな死に方をするのか私には分からない。

分からないから日々を精一杯に生きようとする。

裸樹にはきっと若葉の季節が巡ってくるが

人は死を持って全てが終りを告げるのだ。


「永遠」ならば魂だろう。何度でも生まれ変われるのだそうだ。

私の魂はいったい何度目の魂なのだろうか。


※以下今朝の詩


   折り紙

きちょうめんではない
だから歪んでしまう

正方形の折り紙を
さんかくにするとき
真っ直ぐにしようと
いきをととのえたが

隅っこがずれてしまう
また正方形に戻して
再度試みてみたのだが
どうしてもゆがむのだ

いつまでたっても
折り鶴が出来ない

折り紙はとうとう
ぐしゃぐしゃになって
どうしてくれるのだと
叫んでいるのだった

願いを込めて祈りつつ
ぶきようなじぶんがかなしい

真っ直ぐに貫くことは
なみたいていのことじゃない

新しい折り紙を用意する
こんどこそこんどこそとおもう





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