朝は少し冷え込んでいたが日中は風もなく穏やかな小春日和となる。
SNSでもそうだがテレビからも「秋晴れ」と云う言葉が飛び交っていた。
立冬を過ぎ師走を目前としているからには季節は「初冬」だと思うのだが
反論も出来ずこれも人ぞれぞれの感じ方なのだろうと思う。
せっかく「小春日和」と云う美しい日本語があるのにもったいないことだ。
今朝は近くの地場産店に田舎寿司を買いに行っていたのだが
お店の前にそれは見事な小菊の鉢植えが並んでいた。
玄関先の彩に買おうかと迷ったが既に満開となっており諦める。
以前にも買ったことがあったが直ぐに枯れてしまったことを思い出す。
地植えをすれば毎年咲く花であったがプランターでは持たなかった。
植えっぱなしではいけないのだろう。私の怠慢のせいである。
10時からはカーブスへ行き心地よく汗を流す。
今日も心拍数が異常に高くなりコーチに心配をかけてしまう。
自分では軽く動いているつもりでも身体には堪えているのだろう。
次回は火曜日に来ることを約束して早目に帰路に就いた。
昼食に田舎寿司とラーメンを食べれば何とも幸せである。
お腹が一杯になれば後は寝るだけであった。
今日も3時まで寝てしまいどうしようもない。
「あんまりことだぞ」と夫に云われ後は自室で過ごしていた。
部屋には西日が射していて何と暖かいことだろう。
もちろん暖房も要らず快適なひと時であった。
しばらくSNSを見ていたが興味があるようなポストはなく
退屈しのぎに昨年の12月の日記を読み返していた。
自分で云うのも気が引けるが退屈しのぎには持って来いである。
あんなこともあったこんなこともあったと
つい一年前のことだと云うのに懐かしくてならない。
何でもないような日々のことでも書き残して置いて良かったと思う。
走馬灯のような大げさなものではないがその時の光景が目に浮かぶのだ。
多かったのは「死」の不安であったが今も生きていることが奇跡のようだ。
そうそう簡単には死なないのだなと改めて思う。
今夜のこの日記も一年後に読み返す時が来るだろう。
そうでなければいけないとひたすら願うしかなかった。
心細さと不安と危機感に満ちた日々である。
その上に日常の苦労や葛藤もあり生きたい欲を膨らませている。
書くことは生きることに等しくどれ程の救いになっていることだろうか。
「明日がある」と思えることは大きな励みであった。
どのような生き方であっても自分に誇れる日々が続くことを願って止まない。
※以下今朝の詩
赤子
冬の夜だと云うのに寝汗をかいた
赤子を抱いている夢を見る とてもちいさな赤子で おそらく未熟児だったのだろう
おむつもしておらず 裸ん坊の赤子であった
まだ目が見えないようだ あやしても微笑みもしない
気がつけば赤子を抱いたまま 走っているのである いったい何処に行くのだろう 安らぐ場所があるのだろうか
赤子には名前がなかった ただ生まれて来たことを 喜んでいるように見える
「あの子」なのに違いない あれは桜の季節のこと 私が殺めた赤子だったのだ
「おかあさん」と声がする 私は確かに母であった
もう51年の歳月が流れたようだ
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