| 2025年11月25日(火) |
月に兎が居ると信じていた頃 |
ぽつぽつと小雨降る朝。直ぐに止んだが曇り空の一日。
気温はそう低くはなかったが肌寒さを感じた。
冬の陽射しの有難さをつくづくと感じる。
二日ぶりの山里であったが銀杏の葉がもう散り始めていた。
なんとあっけないことだろうと切なくてならない。
地面にはまるで亡骸のように葉が積もっており
昨夜の雨で濡れそぼっているのも哀しい。
とうとう終りかと思う。銀杏の木は裸樹になるしかない。

義父は午前中に歯医者さんへ行く予定だったが
出掛けに酷く苛ついておりその矛先が私に向かって来る。
些細なことであったが朝一ともなると辛いものだ。
散々喚き散らし出掛けると何とほっとしたことだろう。
ふと「こころの整備士」を思い出した。
義父の愚痴を受け止めてやらねばいけない。
黙って頷きながら聞いてやるべきだった。
仕事は大型バスの車検が入庫しておりそれなりに活気がある。
今週は次々と予約が入っており忙しくなりそうだ。
経理は大口の支払いがあったが振込入金があり大助かりだった。
通帳の残高を確かめると月末も何とかなりそうである。
どうかこのまま年末まで順調にと願わずにいられない。
2時半に退社しその足でカーブスへ向かう。
何となく身体を動かしたくなったのだ。
早く家に帰ってもごろごろと寝るばかりである。
身体を動かせば心も動く。そうしてリフレッシュして行く。
薄っすらと汗をかき何と心地良かったことだろう。
土曜日だけではなく火曜日も通ってみようかと思う。
4時には帰宅しており少しだけ横になっていた。
大相撲が終わってしまったので夫はロス状態になっている。
一日中留守番をしておりどんなにか退屈なことだろう。
夕食後、熊本を震源地とする大きな地震があった。
四万十市は微震であったが大分市はかなり揺れたようだ。
友のことも気になったが避難所に身を寄せている人達を思う。
家も家財も失いその上に地震では何とも憐れでならなかった。
師走が目前となって来たが避難所で年を越すことになりそうだ。
高齢者や幼い子供も居ることだろうと案じる。
雲間から三日月が見えていたがもう刃ではなかった。
日に日にふっくらと優しい月になることだろう。
月の満ち欠けは当たり前のことかもしれないが
古代からどれ程の人の心を翻弄したことだろうか。
新月の暗闇に悲しい思いをした人もいるかもしれない。
満月になれば愛で酔いしれた人もいるだろう。
地球があるから月があると現実的に思うことも容易いが
もし地球が消滅しても月は残るのである。
そうなればもう三日月を見ることも叶わないだろう。
長いこと生き永らえて来たが月に兎が居ると信じていた頃
幼い瞳には数え切れない程の希望が映っていた。
※以下今朝の詩
共鳴
ぴんと張り詰めた透明の糸 その糸が薄紫に染まるのだ
顔も声も知らないひとである けれども確かに魂が宿っていた
胸に込み上げて来る熱い想い それが感動でなくて何だろう
糸を手繰り寄せることは出来ず ただそっと触れてみるのだった
風が吹けば揺れるだろう 冬ならば冷たくなるだろう けれども哀しむことはない
薄紫に染まった糸が もしぷつりと切れるのならば その切れ端を探す旅に出よう
魂はきっと私を待っている
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