| 2025年11月23日(日) |
その時はその時のこと |
日中はぽかぽか日和。冬のおひさまの何と優しいことだろう。
なんだか春のようで身体から芽が出そうになる。
老樹であっても何を嘆くことがあろうか。
市内では「一条大祭」が行われており人出も多かったようだ。
昔から「小雪」の頃であり冷たい霙が降る年もあった。
市民は皆「一条さん」と呼びお祭り気分に浸るのである。
神社にはもう何年も参拝したことがないが
子供達が幼い頃には家族で出掛けたことが懐かしい。
たくさん並んだ出店の前に立っても何も欲しがらない子供達であった。
子供心に貧乏を感じていたのだろう。今思うと切ないものである。
綿菓子を買ってやれば大喜びした。あどけない笑顔が今も忘れられない

「一条さんやね」と語り合いながら家籠りの一日であった。
買い物には行っていたが後は殆ど寝て過ごす。
今日も4時前まで寝ていて夫が呆れ返っていた。
30分程自室で過ごしたが室温が25℃もありおどろく。
射し込む西日が眩しい。川向の山がきらきらと光っている
大相撲は千秋楽で夫と二人で優勝決定戦まで観る。
ウクライナ出身の「安青錦」が勝ち感動の初優勝であった。
夫が戦役を逃れるために日本に来たのだと云う。
それを聞くと何とも複雑な気持ちになった。
私は逃げたとは思わない。ただ相撲が好きだったのだと思う。
戦火の渦中で苦しんでいる人達の「星」になったのだ。
娘達はあやちゃんを残し一条さんへ行く。
夕食は不要とのことで炊事を免れ楽をさせてもらった。
夕食後自室で一服していたらほうずき色の空に三日月が見える。
それはか細くて折れてしまいそうな月であった。
「脳梗塞」「脳溢血」が頭を過る。
死は免れても半身不随になるかもしれない。
それが今夜かもしれないと思うと怖くてたまらなくなった。
いっそぽっくり死んだ方がマシだと思わずにいられない。
刃のような月である。それが向かって来るように感じたのだ。
どうやって立ち向かえば良いのだろうと途方に暮れるばかりである。
明日の事が分からない。それが不安でなくてなんだろう。
お風呂に入り髪を洗う。湯船に浸かりやっと気分が落ち着く。
「その時はその時の事だ」と思った。どうして拒めようか。
一日一日を縫っている。綻べば繕えば良い。
繕えなければまた新しい布を手にすれば良いのだろう。
眠ってしまえばきっと朝が来るのに違いない。
※以下今朝の詩
ゆらゆら
ゆらゆらとしている そよ吹く風のせいだろうか
あちら側とこちら側があり その真ん中に居るようだ
いつまでも優しい風とは限らず 肌を刺すような冷たい風もある
足は根のようであり 腕は茎のようである
昨日の事だろうか 明日の事だろうか
空に訊けば教えてくれる その正しさを信じるしかない
倒れるかもしれない 折れるのかもしれない
そんな不安を抱えながら生きている
|