ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年01月20日(月) やれば出来る

二十四節気の「大寒」一年で最も寒さが厳しい頃であるが

今日は随分と暖かくなりまるで春のようであった。

過ごし易かったがこれも異常気象なのかと思う。

やはり暖冬なのだろう。地球温暖化が原因かもしれない。


夜明け前にいつものように詩を書いたが

何を勘違いしていたのだろう「大寒」を「大雪」と書いてしまった。

直ぐに気づけば書き直すことが出来たのに全く気づかなかったのだ。

詩はそれなりに最後まで書けていたがお粗末この上ないものとなる。

まあどんな時もあるものだと笑ってごまかすしかない。


昨夜夜中に雨が降っていたらしく今朝は濃い霧が立ち込めていた。

車のライトを点灯しおそるおそる職場へと向かう。

やがて霧が晴れると真っ青な青空が見えた。

何と清々しいことだろう。心の霧も晴れたような気がしたのだった。



工場の仕事はまた糞詰まり状態となる。

金曜日から入庫している車検整備がまだ済んでいなかった。

大型車なので同僚も手こずっているのだろう。急かしてはならない。

今日は今日の予約があったが手を付けることが出来なかった。

その上に新たな予約がありいったいどうなることだろう。

同僚には大きな負担を掛けるが精を出してもらうしかない。


経理は大口の支払いがあり切羽詰まっていた。

ありったけの現金と預金を搔き集めぎりぎりセーフとなる。

またゼロからのスタートであった。月末までの勝負である。

荒波に放り出された気分となり無我夢中で泳ぐしかない。

溺れる者は藁をもつかむがその藁さえ見つからないのだった。

嘆いたところで何も変わりはしないので「負けるもんか」と思う。

私ならきっと乗り越えられる。不思議とそんな自信が湧いて来ていた。


午前中整形外科へ行っていた義父がお昼に帰って来る。

今日は首にギブスをはめる予定だったが取り止めたとのこと。

首を全く動かすことが出来なくなるので車の運転も出来なくなるのだそうだ。

引き続き痛み止めと湿布で様子を見ることに決めたらしい。


そんな状態だと云うのに午後から田んぼへ行くと言うからおどろく。

早く田起こしを済ませないと田植えの準備が出来ないのだそうだ。

まだまだ先の事だと思っていたが米作りの何と気忙しいことだろう。

勇ましく出掛けて行くのをはらはらしながら見送る。

とても81歳の傷病者とは思えなかった。

どれ程心配しても本人次第なのだろう。「やる気」が義父を助けている。


日が暮れてから電話があり随分と捗ったとのこと。

その話しぶりがまるで子供のようで微笑ましく思った。

義父の辞書には「無理」がないのだろう。常に「やれば出来る」のである。


明日は明日の風が吹くが心配し過ぎてもいけない。

成るようにしか成らないのが世の常である。

私には与えられた日常があり織るように過ごすしかなかった。

これ以上もなければこれ以下もないだろう。

やがては一枚の布を織りあげることがきっと出来るのに違いない。




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