今までだって何回も辞めたいと思ってきた玉投げだけど、今日ほどむしろ恐怖と悲しみを持ってついでに涙目にさえなって辞めたいと思ったことはなかったかもしれない。それほど今日は散々な結果だった。やってる途中も散々だったけど終わってみるともう散々を通り越して無残悲惨。まじ辞めたい
昨日までのイメージなんてなんの役にも立たなかったし、きっとこれでいけると思った作戦なんて、幻どころか不要なものだったと痛烈に身にしみた。どんどんスコアが悪くなっている。こんなにやっててこんなにひたすら悪くなっていくものなんだろうか?むしろ疑問。まじ辞めたい
ハウスボールで悩んでいるよりいっそマイボールだと思い切って買ったのに、ますますフォームはくずれていくし、悪い癖はついてくるし、いったい何が悪いんだろう。
始める前の私に戻りたいと最近切に思っている。
色々忙しくて、夜もあまり眠れなかったりで。なのに今朝は5時前から目が覚めてしまって、なんとなくぼーっとしているのに、いやなことばかり思い出して、一つイヤなことを思い出すと、芋づる式に「そういえば、アレもこうだった」等と忘れてしまっているかと思っていた事まで、しっかり思い出したりして、益々眠れなくなってしまった。
引っ越しのあと母上に言われた強烈な嫌み、そこから思い出す数々の悲しい言葉。連れ合いに言われた言葉から自分の位置が意外と低いなと気づいた事。そうして順位の事を考えるといつだってわたしは一番ではなかったと思い出し、もう悲しいとかないのだけど、ため息は出た。
いっそ早く明るくなればいいのに、5時前はまだ暗くて、夏ならもう明るいよねと思うと暑い夏がとても恋しく感じた。
結局起きたけど、イヤな記憶のアップデートは心をシュンとさせたのだった。
介護認定員、初めて見た、会った。こういう立場の職種の人の言い回しみたいなのが面白かった。かーちゃんと話しているのだが、相手が私ならきっと「カチン」と来るだろうなと思った。「がんばってきたのね」とかって若造に言われたくない。若造といっても40は軽く過ぎているのだが、かーちゃんからみたらひよこだ。
しっかり受け答えしているつもりでも、時々「あ〜そっちへ行ったら敵の思う壺やがな」と苦笑してしまうこともあったりして、後学のために覚えておこうとおもったのだ。私がこの状況になるときにすっかり惚けていたら役に立たないけどね。
どのような結果がでるのか、よくわからないけど、週に1回ぐらいデイサービスに行きましょう的な結論になりそうな気がする。
誰が説得するんだろうか?
誰だってぴんぴんころりで死にたいよね。たぶん自分はそうやって死ぬんだと思っていたと思うのよね、うちのかーちゃん。だけど死に方は選べない。そしてまだ死なない気がする。そうなると老化が激しく静かにこっそり知らないうちに首根っこをつかんでいて、だんだんぼんやりとしてくるのよ。自分でもぼんやりしているのは自覚があるのだけど、自覚があるほうがツライよね、きっと。
娘の私と一緒の時は楽しいし、血流上がるしそんなに老化って感じないけど、1人の時はやっぱりそれなりにウロウロオロオロしているような気がする。そうして子どもは成長して保育園に行くように、老化は介護認定員を連れてくる。ショックだろうか。ショックだよねきっと。
自分はおうちで知らないうちにあの世に行くつもりだったのに、赤の他人がやってきて自分のことを勝手に色々決めていくのはとてもツライかもしれない。
いつかやってくる自分のその時は冷静でいたいと切に願っている。
取り立てて書くことも無いような気がするけど、この前書いたのが6日で、そうかかなり書いてないから何か書こうかなと。うちの母上がちょっとやばい。下り坂を転げるスピードが速いような気がするので、この前会ったときから約一週間だけど、より一層やばくなっているのではないかと心配であるのだ。
なんといってあともう少しで95才。人類未到の領域に達しているわけで。もちろん100才超えの人もたくさんいるので、そういう人からみたらまだひよこかもしれないが、まぁ、なんといっても平均値は超えてるわけで。
こっちも高齢者の仲間入りをしてしまったからには、介護とか言われてももうムリだし。だからといって施設には入りたくても入れない人が行列を作っているという噂だし。これからどうなるのかと思うとなかなか心安らかにはいられない2025年のスタートとなってしまった。
時々風邪ぐらいひかないとダメかもしれないとマジ思う。
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