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celeste blue



ごぶさたしています

2022年01月24日(月)

久しぶりにエンピツ日記にログインしました。
何年ぶりでしょうか。
もう日記の書き方も忘れてしまいました。

日記を書かなくなったのは、まさに家事、育児、仕事に追われて時間がなくなったから。
けっして書くのがいやになったわけではありません。

簡単に近況を報告します。
あれから、勤めていた病院を辞めて透析クリニックに転職、数年働き、今は訪問看護師をしています。

子育てはまだまだ続いていますが、赤ちゃんのころに比べたらだいぶん楽になりました。
あくまでも、比較して楽になったというだけで、大変なのは大変です。

今日はこのへんで。
また、これからちょこちょこ日記を書いていけたらいいな、と思います。

おやすみ。


大往生

2015年03月06日(金)

いわゆる「施設」に入ってもう20年近くなる祖母を訪問すると、いつも大声で笑ってくれました。

 わはははは

と笑い、少し静かになり再び、

 わはははは

と笑いまいした。
ずいぶん前から重度の認知症ですが、でも笑っている祖母に会えるので私はたびたび祖母の施設を訪れるのが好きでした。

祖母は私が生まれたころからそばにいました。
私のアルバムには祖母がそばにいる写真が多く貼ってあります。
祖母と兄と公園で遊んだ記憶がたっぷりあります。
幼いころから、私と兄のそばに祖母は寄り添ってくれていました。

若いころ、奉公していたときのこと、戦争時代のこと、敗戦のときのこと、おじいさんと結婚したときのことなど、私の知らないことをたくさん教えてくれました。

いつしか認知症がすすみ徘徊をしだして警察のお世話になることも何度かあり、やむをえなく施設に入所することになりました。
こういう歳のとり方もあるんだな、と私に教えてくれているんだと思いました。

私が高校1年生のときから、祖母との二人暮らしが始まりました。
お弁当に必ず入っていた紅しょうが。
母より上手だったオムレツとポテトサラダ。
白菜の浅漬け。
年末に作るおもち。

朝、私を起こす声。
祖父のお仏壇に供えるごはん。
飼い猫の「太郎」に語りかけるときの柔和な瞳。

祖母との思い出はまだまだたくさんあるけれど。
あるけれど……。

先日、祖母は亡くなりました。

享年100歳。
大往生でした。

私が大学受験のとき、祖母に言いました。
「私が一生懸命に勉強してずっと養ってあげるから長生きして」
養ってあげたわけではないけど、長生きしてくれました。

「若いころの苦労は買(こ)うてでもせよ」
一人暮らしを始めて寂しくてたまらなかった私を慰めるために、よく言ってくれた言葉です。
今も身にしみています。

私が遅まきながら「ひ孫」を連れていったとき。
誰がきてもわからないくらいひどい認知症なのに、私の生後11ヶ月の長男の顔を見たとたんに、
「あぶぶぶぶーー」
と赤ん坊をあやしていたおばあちゃん。



親戚が集まりました。
涙のない葬儀になりました。
ありがとう、の言葉に満ちた2日間でした。

幼いころから私を知るかけがえのない親族が、長男と次男坊をあやしてくれていました。
そっか。
こうして、世代は受け継がれていくんだ。
万が一、私がいなくなっても、この人たちがこの私の宝物たちを気にかけてくれているんだろうな。

いえ、私は長生きする予定です。
わが子たちが巣立つまで。
できれば、孫の顔を見られるまで。

おばあちゃん、約束、するね。
ありがとう。


もう少し

2014年11月12日(水)

「太郎を眠らせ 太郎の屋根に雪 ふりつむ
 次郎を眠らせ 次郎の屋根に雪 ふりつむ」

三好達治の詩だったと思います。
小学校か中学校のときに国語の授業で習いました。
当時は「別々の家や離れにこどもたちが寝ているんだなぁ」と安直に考えていたけど、今はなんとなくこの詩の意味がわかるような気がします。
気がするだけで、うまく表現できません。
ただ、共感するだけ。

詩や短歌って、作者の心のほんの一部に触れただけ感動します。
それが、好きです。
だから私も短歌を詠み始めたのかもしれません。
私の心の一部でいいから誰かと共感したかったのでしょう。

三好達治、あまりよく知らなかったけど、もう少しよく知ってみようかな、と思うのでした。

久々のエンピツ日記、読んでくれてありがとう。
こうしてときどき、こどもたちがおだやかに眠ってくれた夜は、日記を書き進めていきたいと思います。

おやすみ。



2014年03月29日(土)

去年の4月、ふたりの息子を保育園に預けました。
それまで通っていた週に3回の保育園とは違い、集団生活を強いられます。
だいじょうぶかな、情緒不安定になったらどうしよう。
そんな、親の心配とはうらはらに……と言いたいところですが、案の定、長男、情緒不安定になりました。

それでも、そんなことにかまっていたら働けません。
働かないと、この子たちが将来、困るのは目に見えています。

心を鬼にしてなきじゃくる子どもたちを保育園に預け、お迎えに行くと満面の笑顔で走りよってくるわが息子たち。

息子が入院しても付き添うこともできず仕事に行き、これって親としてどうなのよ、と思うことしばしば。
そんな心苦しい1年が過ぎてようやくわが家らしきものが建とうとしています。

それもひと悶着もふた悶着もありそうなのですが、それでも、家族に住む家。

完成を楽しみに待っているところです。

長男、次男坊、ともに新しくできるわが家で、のびのび育っておくれ。



2014年02月06日(木)

次男坊、原因不明の熱を出して1週間。
原因不明……というわけではないのですが、インフルエンザでもなく風邪薬も効かず、熱が上がったり下がったり。
はてさて、この先どうなるのでしょう。

おやすみ。


登りたい

2014年01月12日(日)

今年も明けてもう半月が経とうとしています。
この日記を読んでいただいている皆さま、前年に変わりなくお付き合いくださいませ。

今年はまたいろいろと変わることが多い予定。
またそのつど報告していきます。

とりあえず、長男・次男坊は元気にしています。
私は相変わらず育児、家事、仕事に追われています。
自分の時間は今は育児に費やす時間……と思うようにしていたけれど、夜、睡眠の時間すらありません。
でも、それも「今」だけのこと。
あと数年したら、懐かしい日々になるのでしょう……(たぶん)。

今年はひとつ、山に登りたい。
どこでもいい。
日帰りハイキングでいい。
六甲から有馬に抜ける道でいい。
生駒山で山上遊園地でもいい。
摩耶山を途中からケーブルで登ってもいい。

山に登らなくなってもう4年。
毎週のように山に行っていた私。
禁断症状は、もうとっくに過ぎていますが、ときどきむしょうに山に登りたくなります。
それとも、もう、山からは遠ざかったほうが、いいですか?

おやすみ。


あなどれない

2013年12月22日(日)

クリスマス。
私が幼いころは、サンタクロースは物語の中の存在だと思っていました。
なぜかといえば、クリスマスプレゼントは母が買ってくれるもので、サンタクロースの存在は知らなかったからです。

そんな家庭に育ったため、長男が生まれたときも、とくにクリスマスだからプレゼントをあげるという習慣はつけないようにしようと思っていたのですが、途中から方向転換。

 プレゼントをあげるのではなく、夢を贈ろう。

もちろん、プレゼントを贈るのですが、それはあくまでもサンタクロースからの贈りもの。

そして今日、少し早かったのですが年子兄弟にクリスマスプレゼントを渡しました。
もちろん、サンタさんからの贈り物、として。
ふたりともとても喜んでいて、長男は「サンタさん、ありがとうーーー」と宙に向かって叫んでいました。

でも、あとで長男に聞いてみると「これって、パパが買ってきてクリスマスツリーの下の置いたんでしょう?」と。

子どもの目はあなどれません……。

お、おやす、み……。


自分のため

2013年12月14日(土)

毎年恒例の忘年会でした。

恒例だけど、かつてのように一芸を披露する人はほとんどいません。
毎年思うけど、ちょっと(かなり)寂しいけれど、仕方がないのでしょう。
あの、誰かが何かをしなければいけない使命感。
誰かが何かをすることで、あの場所をみんなで支えてきたと思っていたけれど、私の錯覚だったのでしょう。

錯覚だったとはいえ、私は唄いました。
毎年変わらずしていることを、今年から変えるということをしたくなかったからです。

とはいえ、私も変わりました。
みんなの一芸を一生懸命に見ていられなくなりました。
会場はつねに子どもがうろうろしてざわめき、私は私で自分の子のことで手がいっぱい。
そんなに広い会場ではないのに、前でしゃべっている人の声が届きません。
だから、一芸披露する人が減ってきたのかな……。

といっても、私の一芸は宛先の決まっている手紙なので、極端な話、誰も聞いていなくてもいいのです。
手紙が無事に宛先に届けばいいのですから。

今年の歌は「子守唄」にしました。
十数年前に、旅人宿のオーナーが歌った曲に歌詞を与えなおしたものです。
おそらく誰もわからなかったと思うけど、よくできた歌詞になったな、と思います。

来年も唄います。
そして、来年も同じ思いをするのでしょう。
それでも、私は唄います。
自分のために。

おやすみ。


不審者

2013年12月07日(土)

子どもを2人連れてエレベータに乗ろうとすると、ザックを背負った若者が乗ってきました。

 あ、山、だ……。

靴とザックとその特徴のある服装と。
見るだけで山やさんとわかります。
それも長けた人。

思わず声をかけました。

「どこですか?」

「摩耶です」

「紅葉ですか?

「う〜ん。上はもう落ちてましたね」

短い会話だったけど、それだけで山を感じました。

ありがとう。

おやすみ。

って、誰でも声をかける私って、不審者?


逃げ

2013年11月05日(火)

階段とエスカレーターがあると、積極的に階段を昇っていました。
徒歩30分内の距離なら、交通機関をなるべく使わずに早足で歩いていました。
電車の中で座ることはあまりなく、重い荷物も「ボッカ訓練」にしていました。
疲れを感じても「まだまだ体力が足りないからだ」と思っていました。

それが今は……。
エスカレーターやエレベータを第一選択で利用し、惜しみなくタクシーを使い、電車の中では空席争奪戦に参加、荷物はできるかぎり軽く、軽く。

そして口癖は「疲れた疲れた」。

先日、マンションの階段を仕方がなく昇っていたとき、ふと、かつての自分を思い出しました。
山に登るために日々体力づくりをしていたころ。

今は育児を理由にして、体力づくりをサボっているように思います。
確かに育児は疲労を伴いますが、もっと体力があったら育児も少しは楽になるのかもしれない。

そして何よりも山登りを再開したときに、体力がなくなったと嘆くことのないように。
山が逃げていったと愚痴らないように。

明日からまた階段を積極的に使っていこう。
山から逃げているのは、私自身なのですから。

おやすみ。

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celeste [MAIL] [アルバム「紺と碧」]

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