2012年12月18日(火) したいことと、できること。

昔、友達が言っていた。
「したいことと、できることは違う。
それがわからない奴はダサい」と。

わかっていても、
してしまうのが人なんですね。
それはおそらく、ダサい、ではなく
格好悪い、と言うのですね。

でも
格好イイ人なんて、そうそういないさ。

あたしはどこまで踏ん張れるだろう。





2012年07月13日(金) ぜったい。

自分には絶対にこれがないとダメだ、と
断言できるものが少ない。

多くあったらあったで
それを守るのに必死になるのだろうが

それにしても少ない。
情が薄いせいだろうか。
あるいは
所有した瞬間から
失うことへの怯えや
守るために努力が発生するんだけど
そういうのを
嫌がっているせいなのかもしれない。

なんにせよ
いまがふらついてて、
なんかよくない、というのはわかる。



2012年06月23日(土) 裸の爪

3月を過ぎてから、ネイルアートをよくするようになった。

花をつけてみたり
ラインストーンをつけてみたり。

今日久しぶりに
爪から色を落として、短く切った。
色の消えた指先、
でも思っていたより寂しく感じなかった。
ナチュラルはナチュラルでいいもんだなと
至極当たり前のことを思う。

「飾る」ということには
「武装する」という意味もあったのだろう。
飾れば
充実した女を演じることができて
上から物を言うことをじさないくらいの
自信をみなぎらせることができる

そうやって
強くわがままで女王さまのようにしていれば
あらゆるものから身を守れるのだ
攻撃は最大の防御だから。


戦わなくてよくなる時なんて
一生来ないんだろうな



2012年06月16日(土) 想像力。


あたしの自慢の想像力は
肝心な時に働いてくれない。

ちくしょうって
あたしも言いたい。

ちくしょう。



2012年04月14日(土) 日本酒を飲みつつ。

ある日のこと。

「あの男は、君に合うんじゃない? 彼にしなよ」
「えー? どうですかねー?」

きゃッきゃ、きゃッきゃとはしゃぐ人たちを見て

その男はあたしのものなんですけど


思った。

口には出せないひみつのこと。

優越よりも不愉快が強いのは
ただの独占欲か、それともまともに嫉妬か。

判断つきかねる。



2012年03月25日(日) ありがとう。さようなら。

今日 12年眺めていた風景にさようならを言いました。
そこが嫌いになったわけじゃない。
むしろそこは、あたしにとってとても特別で大事な場所。
今のあたしの思考の一部を強固なまでに作ってくれて
あたしを人として成長させてくれた場所。

でも
ずっと続けて行くことに不安を感じたりもしていた。
あたしはいつまでここにいるのかしらって。
責任感もやりがいも達成感も安息も得ることができるけれど
慣れた手触りのそれらを守り続けるには限界も近かった。

きっかけがなければ、あたしはそこを去ることができない。
だって、好きなんだもの。
好きだから、離れることができなかった。
けれど、好きだけではやっていけないこともある。
物理的な。体力的な問題で。

夏前に、その場所の仲間に「年度末でここを去ろうと思う」、とメールをした。
ずっとチームを組んでやってきた彼はすぐに電話をかけてきて言った。
「いてほしいけど、でも、高井ちゃんはよくやったよ。もう休んでいいと思う」。

その言葉にあたしが泣いてから半年が経ち
今日を迎えた。

いつになく念入りに身繕いをし
シャツに袖を通し、タイを絞める。
前髪をきっちりと留め、深呼吸。
どんな瞬間もアルカイックスマイルを崩さずに。
あたしは、ここで、育ててもらった。
まずそのことに、心からありがとうと言いたい。

ひとつひとつの動作は流れるように過去になる。
指先の感触ひとつ
鳴る音ひとつ
足を一歩踏み出す距離感ひとつ
匂いも 熱も すべて
あたしのセンサーはそれ仕様に冴えている。
当たり前だ
12年だもの。

終わりの時間を迎えると
年の離れた後輩たちが色紙をくれた。
もらえると思っていなかったからほんとうにうれしかった。
まだ若い彼女たちがくれた色紙はとにかくにぎやか。
やさしいお姉さん、と彼女たちは形容した。
うん
ありがとう。
あたしはそういうふうになりたかったんだ
今はもう去ってしまったけれど
昔あたしをかわいがってくれたやさしいお姉さんがいた。
あたしは、彼女みたいになりたかった。
「写真撮りましょうよ!」て囲んでくれて
なんだか気恥ずかしかった。

とても賢い彼女たちは、あたしが伝えたこと以上のことができるようになった。
あるいは、あたしがしていることを真似て覚えた。
背中を見られている、とわかっていたから
あたしは自分が手本となるように注意を払った。
ついておいで。君たちならできるはずだ。よく見て。よく考えて。
言わなくても彼女たちはそれを汲んだ。
偶然気付いたかのように褒めると、彼女たちが言う。
「高井さんがしていたから」。
それはあたしの成果ではなく、彼女たちの思考の成果。
気付いて動けたということ。
その考え方は、これから先彼女たちを必ず助けると信じている。

あたしを育ててくれてありがとう、と同じように。
あなたたちを育てさせてくれてありがとう、と思う。
好きにならせてくれてありがとう。
大事な子たちです、と胸を張って言わせてくれてありがとう。

そしてずっと一緒に戦ってきた仲間たち。
言い尽くせないほどの感謝。
支えてくれてありがとう。
言い合ったりしたこともあった。
でもそれがあったからこそチームになれた。
ほんとうにほんとうに、ありがとう。



帰宅して
ひとりになって
タイを解いた

ふと
彼氏さんのことを思った。
心のなかで呟く



あのね
あたし 今日
あの場所と別れたんだ。



そのとき
あたしは初めて泣いた。



さみしい。
さみしい。
さみしい。
さみしい。
さみしい。さみしい。さみしい。さみしい。さみしいよ。さみしいよ。
帰れない。もう帰れないんだ。
積み上げてきたものを
あたしはもう十分だと捨てた。
それはあたしの判断
でも、さみしいよ。すごくすごく、さみしいよ。
あたしにとって替えのきかないものだったんだもの。


でも
帰ってはいけない。
あの場所にいた以上の素敵なものを作らなければならない。
むずかしいけど、やらなければならないと思う。
前に進もう。前に進もう。
この喪失感と戦って、それが終わったら。
別の歩幅で前に進もう。

ありがとう。
ほんとうに。
ありがとう。



2012年02月19日(日) ゆとりだとか

バンドのライブが18日にありました。

その準備やらなんやら バンド内のゴタゴタだとかで
ストレスに耐えかねて胃炎でぶっ倒れたのが先々週の水曜日。
会社の人が付き添って救急病院に運ばれるという事態。
どうしてこんなになるまで思いつめてしまうんでしょう。
毎度毎度毎度毎度。

夜、病院に迎えに来た母は用意周到で
「入院になった? パジャマ持ってきたよ?」と言いました。
あたしが胃潰瘍で突如入院したこと・やっぱり胃炎で倒れたことがあったから。
ありがとう。そしてまた心配かけてすみません。
付き添ってくれた会社の上司も、ひさも、ありがとう。

数年前からストレスを感じると吐くという、じゃっかんの吐き癖があるのですが
吐けば楽になるからいつものものだと思ってたんだけど
今回は違ったみたいです。

二日間療養しました。
仕事もすべて休んだ。



18日は無事にライブしてきました。
「お客さん」や「交流」のためにフェイスブックやツイッターやらに登録しました。
個人情報ダダ漏れ。心のダダ漏れ。

だから、ここを切り離した。

あたしは。
あたしは。
あたしは。

そういう自己主張を、人の目にがっつり触れるところに出すには
あたしは気が小さすぎる。

だって
いつだって自信なんかないし
にこにこしてるくせに実はすごい対人ストレスがあって吐いちゃったりとか
そんな人の明るい歌とかさ
うそっぽいじゃん

嘘じゃないんだよ。
嘘じゃないんだけど
あたしは一人遊びが好きなんです。


人の目を気にしすぎるのだ。
そういう性格なのだ。

倒れるまで、多分あたしは、人に「助けて」って愚痴ったりしなかったと思う。
そういう性格なのだ。

ライブを終えて、緊張とプレッシャーから解放されて、
あたしはやっと、彼氏さんの家でぐっすり眠った。
言葉もほとんど交わさず セックスもせず
お気に入りのぬいぐるみを連れて、
夕方までぐっすりと、ぐっすりと。

起きてから、彼氏さんとテレビを観ながらお鍋を食べた。
時折彼氏さんはあたしの顔を見て頭を撫でた。


そんなにしんどいならやめちゃいなよって
きっと言いたいだろう。
でも安易には言えないのだ
あたしがそういう性格だから。


損だ、とか、生き辛い、とかは、もう、いいのだ。



今日食べたお鍋はおいしかったし
「今日はやたら甘えるなぁ」と彼氏さんが笑ったし
ぬいぐるみたちは相変わらずかわいかった
あたしはきっとそれだけで
じゅうぶん幸せです