20数年前 新築のこのマンションに同時に入居したSさんが引っ越して行かれた。 繰り返しこの日記にも書いたことだけれどそんなに親しく交流することがなくても 人間というのはだれかの心の小さなパーツを担っている。 Sさんもわたしの心のどこかに確かに存在していたのでしょう。 遠くへ行かれて小さな空洞がぽっかり空いたことに少々自分で動揺している。 通りすがりにご挨拶をしたり 年に一度の総会で時々お会いするだけの方であったのに なぜ動揺するのか? 人はやはり生きてそこにあるだけでこの世に大きな恩恵を与えているのだ。 それぞれが大きなパワーを発しているのだ。 そこがたとえ病床であろうと 遠くの外国であろうと 確かに生きてあることに 確かに歩みを勧めていることに 大きな勇気をもらっている。 過酷な天才があちらこちらで きな臭いいさかいがあちらこちらで その中でただ生きてあること みなさま誇りを持ってあすも歩いて参りましょう。 と、 何気なく日記をしたためていますが、 なんと前回より1年 経っていた。 まことに月日の経つのは… 本日の夕餉 にら入りだし巻き玉子焼き かぼちゃと京がんもの煮物 なすの味噌汁 トマトサラダ
暑い三連休。 職場に提出しなければならない文書をやっとの思いで嫌々作り上げる。 わたしが作家であったなら高級割烹旅館にぜひ缶詰にされて締め切りぎりぎりまで原稿を書かずに美味三昧と… そんなよき時代はすでに遠い過去 出版業界は困難な局面を迎えていることでしょう。 わたしが読み続けてきたアメリカの幾人かのミステリー作家の最新作はいずれも日本で出版される兆しはない。 シリーズなのに!20年以上読み続けてきたあの小説の中の人々はもはやわたしの親戚のようですらあるのに! 翻訳権を買って出版してももはやペイしないのでしょうね。
この日記のサイトにおいても言えることだけれど 人々の暮らしぶりを長期にわたり垣間見させていただっくのは楽しくもあり日々の励みになるものだ。 そういえば武田百合子の「富士日記」に流れる人間味ある空気感にわたしはさんざん慰められた。 このサイトでのたりたさんの日記のようにね。 町歩く人 バス停に佇む人、ただそこにいるだけではない脈々と流れる暮らし その文脈の途中の人場面 人々の日記を詠むことでそんな考え方ができるようになったのかもしれない。 本日の夕餉 白米 大根味噌汁 桜エビのさつまあげをショウガ醤油で 水菜と焼き海苔をオリーブオイルと醤油のドレッシングで これだけで十分。 三連休の読書 「あの頃」武田百合子著 武田 花編 中央公論社 武田泰淳亡き後の富士の別荘も描かれている。 蒲公英さん ありがと。 盛岡寒い?暑い? 空は澄んで高いですか? 体に気をつけてね。
どこかでその人が暮らしていると思うだけで あの優しく真摯な人がひたむきに生きているというだけで どれだけの多くの方の勇気につながったことでしょう。
わたしにとっての彼女は 岬の突端で嵐の日も吹雪の夜も一新に明かりを巡らせている灯台のような人 トーチを掲げてひたすら前進している人
その人が逝ってしまった。 その日記からたくさん愛をいただいた。 何もお返しができなかった。
しんどいけれど勇気を出して過去の日記を読ませていただいた。 毎日楽しみに読ませていただいた懐かしい日記 そのすべてどこを切手もたりたさん たりたさんのひたむきさ満載 ジューシーなたりたくみさんの想いがてんこもり
ねえ たりたさん さびしいです。 わたしなどに親切にしてくださり本当にありがとうございました。 演奏会 朗読会 生のたりたさんにお会いしたかったけれど ご迷惑かと尻込みしたままこんな風になってしまいました。
思い切り両手を広げて時間を捕まえればよかった。
蒲公英さん さびしいですね。 盛岡 もう寒いですか? 蒲公英さんも存じ上げないうちにグランマですものね。 この時の速さは時代の趨勢でしょうか タイミングをがっつり捕まえなければ… PCが壊れて蒲公英さんのアドレスがわかりません。 教えてください。
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