My life as a cat
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2019年06月19日(水) 誰を救いたいのか

寄付金を頼まれたことが心に引っかかって、人助けということについてこのところずっと考えていた。どんなにちゃんとやっていたって人は人生のある時点で窮地に陥ることがある。地震や津波で家を失うとかそんなこと。思い出だってたくさん詰まっていただろうに、お金だけで解決できないだろうけど、せめてお金があって新しい家を買えたらずっといい。そんな人達はやっぱり助けたいと思う。でも一方で永続的に助ける側、または助けられる側という立場に立ち続けるのは絶対によくない。助けられる側はどんどん自立するチャンスを奪われていく。助けないことも人助けということもあるのだ。恵まれない人を救済したいというアイデアは時に傲慢だ。自分を世界の中心に据えて、自分と同等のものを持っていない人を哀れんで、助けたいと思うこと。そしてそういう正義感に燃える人は、実はその人自身の気持ちを助けたいと思っていることが多いものだ。自分がそうだったからわかる。もっと若い頃いつも誰かを助けなければとかそういう気持ちに囚われていた。それで、自分自身は暮らしの中で満ち足りていたかといえば全くもってそうではなかった。自分の足元がふらついていて、辛そうな人々の中に自分自身を投影して誰よりも自分を助けたいと思っていたのだと思う。現に自分の心がすっと満ち足りて、これでいいんだ、こうやって日々を過ごしていければいいんだ、と思えるくらい落ち着くのと同時に人助けしたいとかいう気持ちは消え去った。遠くの誰かを救いたいという気持ちに囚われて、自分の目の前にいる大切な人々の心の動きに気付かないのではいけない。自分の目の前にいてくれる人々に精一杯集中して気持ちを注ぐべきだ。

(写真:今日のにゃんこ。彼女が階下の雄猫に追い回されている時、わたしは酷くなる寸前まで割って入らない。でもそれで猫も自分の身を守る術を学んでいく。ここへ来たばかりの時は追い回されては物影に隠れてびくびく震えていたのに、今では近所でボス猫のようにふるまっているのだから、それも困ったものだが・・・。)


Michelina |MAIL