この世のような夢

2010年01月10日(日)




きれいごと?




大晦日から続く元旦は、「朝までテレビ」を観ていました。明け方の午前4時頃には月食を観賞。元旦の月食としては(明治時代以前は太陰暦のため)日本史上初の月食とのことでした。しばし、荘厳な気分に。

元旦。ハレの日なのにどうもお正月気分がしません。ハレと褻(ケ)なんてもう話題にもされなくなりましたが。憑かれたように初詣へ行くのもシャクです。

気分がスカスカなので、映画のビデオ(DVD)を観ることにしました。正月気分をゲットするための模索。結果・・・お正月中に昔の映画ばかりだけど、DVDやビデオで映画4、5本。映画館へ行って観たのが4本。


その1.2005年上映のものですが、インドネシアの青春映画「ビューティフルディズ」には単純に泣けました↓

http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=5319

これは女の子の友情の誓いのようなシーンから始まるのですが、まずはそんなことにも驚きです(日本じゃありえないかも)。登場人物の表情には、想い、があり、顔つきが何ともよろしい。

そして、物語はハイスクールでの「詩」のコンテストを軸に動き始めます。詩、が、人と人の関係性の触媒になるなんて何と豊かな国でしょう。日本じゃ詩の本なんてほとんど売れませんから。尤も、相田なにがしの「にんげんだもの」などというマガイモノでよければ・・・どうぞ(いくらでもございます)。

この映画では(ファンタジーっぽくない)愛や友情、あるいは、きまじめさや朴訥さ、切なさなど、どれをとっても、もう日本からは失われて久しいものばかり。そして。ストーリーは友情と愛の板挟みの中で展開されます。ワンパターンかもだけれど、こういう基本すら日本映画ではもうありえないのかなと思います。そういうものは「きれいごと」として茶化しますから・・・。


以下は、

DMMコム証券CM:
お金も大事プラン「ロックスター」篇 ↓

男: お前ら、ホントの事を知ってる〜。大切なものはお金なんかじゃない・・・(胸のあたりに手をあてて)ぜーんぶ、こんなかにあるってことを。

その言葉を聞いて涙を流す女性のファン。

オレ、きれいごと、言いました(テロップ)。



しかし、こんなCM、笑いにすら昇華できててないですね。これは、FX(外国為替証拠金取引)の広告ですが、素人向け、若者向け、の広告だからこそこわい。思わず「ゲーム脳」という言葉を思い出してしまいました。マネーゲーム? それって、ギャンブルなのでは? これこそが「きれいごと」の広告では? 昨年、知人のご主人が、退職金の何百万円かをこれで失ってしまいました。

次に、以下は朝日新聞・正月のスポーツ特集のメインビジュアル(漫画家によるイラスト)です。何故、ジャーナリズムが伝えるスポーツ記事が、こんなにも生活感のない「イメージガァル」による「きれいごと」で表現されるのでしょう。これじゃまるで報道のスタンスではなく広告屋のセンスです(コメントするのもむなしい。何でそういうところをこころの基盤とするかなぁ)。






その2.次に観たのはロシア映画です。

1.「動くな、死ね、蘇れ」
2.「ひとりで生きる」
3.「ぼくら20世紀の子供たち」 

http://www.cinenouveau.com/cinemalib2010/ugokuna/ugokuna.html

生きることの基本が根底に表現されているので、いきなり最初から心の胸元を鷲づかみにされ、その生活臭さや猥雑さに目が釘付けになってしまいました。「ひとりで生きる」にはネコや犬や豚や鳥やネズミなどの動物が殺されるシーンも出てくるのですが、ここではネコも犬もいわゆるペット扱いではありません。大人は子供に優しくもなく '対等' に扱われています。また、主人公に選ばれた男の子は、実生活でもワルだったようです。それだけに、そのリアリティに惹かれてしまいます。しかし、そうしたドロドロの世界を救済するかのように随所に抒情性が加味されています。「きれいごと」だらけの日本への、あるいは、(いろんな意味で)顔だけでお芝居してはるような日本映画へのアンチテーゼでした。



3.話題の韓国映画「牛の鈴音」も観ました。 ↓ 

http://www.cine.co.jp/ushinosuzuoto/

映像は、老夫婦の老いを真っ正面に据え、時間はたゆたうように流れます・・・。時間に追われる人生ではありません。ゆっくりと生きていくことに一期一会を感じます。おじいさんの表情に、人生の中の、永遠なるもの、が感じられて、頭の下がる思いでした。牛のそれについても同様なのは、いのちが老いることにおいては対等だからでしょう。通常の映画では、役者が「さあ見てくれ!」と演じているわけですが、ここでは違う。ドキュメンタリーでは、登場人物は〈観られる〉存在となり、観る側の姿勢も変化します。この映画では、登場人物を静かに観察できることのすばらしさを思わずにはいられません。


4.結局、詩歌の本などを眺めてのち、正月気分になれました。ハレの気分は諦観のような哀しさの中にこそ立ち現れるのだと思います。よって毎日がお祭りのような日常の連続からは、それを望むべくもありません。テレビは、明るくないといかん、明るくて当然、とばかりに語りかけてきます。でも・・・メジャーコードばかりの日常はしんどい。明るいばかりで、闇もなく、陰影すらないのはつらい。こころが乾いたらテレビや携帯の電波を遮断して深く潜るに限ります。


知り合いのおばちゃんの息子が昨年イギリス人の女性と結婚しました。赤ちゃんが生まれたので、エゲレスへ見に行ったのですが、赤ちゃんを寝かすときに日本の子守歌を歌っていたところ、そのおばちゃんはエゲレス人のお嫁さんに叱られたそうです。「そんな悲しい唄を歌わないでください・・」と。


日本人の多くが欧米メンタリティにかぶれちまって、日本の文化は薄っぺらくなるばかり。マイナーコードよ復活せよ! 猥雑、猥褻も、闇も、虚ではない「きれいごと」も・・・。



元 旦 の 空 青 々 と 淋 し け れ   



原 石鼎 作 / 「石 鼎 句集」 昭和23年




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