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2014年01月03日(金) |
(先祖への)感謝の気持ち 〜 友人のブログを読んで思ったこと |
久しぶりに 友人のブログを訪ねた。 私と同じくらい、更新していなかった。 けど、最新のコメントに 足跡を残した。 いくつかの項目を読み、この項目が私の琴線に引っ掛かった。 その場にコメントを残さず、もし心の余裕ができたら、寄り道してね とだけ残して来た。
本文は こちらです。
30歳からのリスタート - 2010-10-03 -
>> 家庭の事情でサラリーマンを続けることは困難となり、退職後に占い師兼エネルギー療法家として再出発している 先輩に 今の調子の悪さの原因を見て貰ったところ、先祖(多数)の未浄化霊が...という見立てだったそうな。 その先輩は、仕事においても頼りになり、社内での人望も厚く、友人はプライベートな相談も当時は していたそうな。
『未浄化霊』 その言葉を読んだ途端、ほっほ〜 来たか〜 ってのが、正直な最初の感想。 ね?コメントを直接残すとなると、かなり心象が悪い。(^_^;) 喧嘩を売るつもりもなければ、責めるつもりもないし、 何より私が霊媒体質なので、霊の存在を無視することはできない。 だけど だからこそ 私は知ってる。 先祖は、子孫のことを大切に思い、心配してくれはするけれど、悪さなんてしない。 先祖の霊(それも多数!!)をひとまとめにして、どんな器にだって入れることなんて できない。
違う日にちにコメントとして、 先輩で良かった ツボを買わされなくて良かった と書き込みしました。
ま、先輩じゃなかったら、たぶん見てもらうなんてしなかったんだろうけどね(笑)
さて。 『ひとまとめにした先祖の霊』に 友人は感謝の念を伝えることにしたところ、体調が良くなったそうな。
ここから夏海考
『ありがとうございます』
は、感謝の言葉と同時に 神の名前を呼ぶことだ ということを 以前教えて貰いました。
宗教ちっくでしょ?(笑) 私が霊媒体質なだけに、類友とは良く言ったもので、出会う人は 何かしら『霊』に関わってくる人が多い(^_^;) 前出の、『ありがとうございますの神様』の話をして下さったのは、輸入家具や雑貨を販売しているお店の店長さん。(宗教家 でななく)
で。
これは、宗教の話でも、神様の話でもなく、『精神』の話です。 自分が どの 方向を 向いているか?
ありがとうと言えることに出会った。 ↓ ありがとうございますと言った(心の中で思った) ↓ それが習慣となった
これで 何が変わるか? 落ち込んでいた 調子が悪くなっていた心が 体調が 良くなるのか?
うん。 なるよ。 断言できる。 どうして?
ありがとうと言えることに出会った → 『ありがとうと言える』出来事をとにかく探す → 小さなことにでも『ありがとうと言える』と言えることに(無意識ちゃんが)気づく
↓
ありがとうございますと言った(心の中で思った) → 感謝できた事柄を 自分のものとして認識する → 認識することによって、ありがたい事なんだと(無意識ちゃんが)思う
↓
それが習慣となった → 世の中、感謝できることで いっぱいになる → だから (何だか分からないが)幸せな気分になる
== ここで注意 ==
友人のブログにも書いてあったけれど、「これだけ感謝してるんだから...」は、大きな間違いだった。 上記の一連の作業の中に、一度も『ご先祖様』は 介在していない。 私の場合、前出の店長にとっても、「ありがとうございます」は、誰かの為にしている訳じゃないの。 自分が『ありがたいこと』に出会った から ありがとうございますと 感謝の意を告げる。または思う。
たぶん、友人は感謝を告げる『相手』が、先祖の霊として存在して、 感謝の念をお題目のように唱えることで、先祖の未浄化が浄化されると教えられたから これだけ感謝しているんだから という 誤った方向を向いてしまった。
注目すべきは、先祖の未浄化霊 ではなく、素直に感謝できる自分 なんだと思うの。
そして、再び体調不良(元の状態)になって 先輩に聞きに行く。
・・・・・その人が 先輩で 本当に良かったね。
その手のことを商売にしている人に視てもらうみは、お金がいる。 良い人であれ、悪い人であれ、それを商売にしているのであれば、報酬を求めるのは、ごくごく当たり前のこと。 私には、私の体や心や精神や魂をメンテナンスしてくれる人がいて、彼女と仲良くしているけれど、それを商売にいる以上 お金を支払わないといけない。 彼女は、カフェのオーナーなので、ツボを売ったり宗教に勧誘したりしないありがたい存在です。 商売にしているけれど、それは 判る人にしか判らないオプションでしかなく、普通の人は そのオプションに気づいてはいない。
去年のお盆の間(1ヶ月ほど)、生きている人やら 死んでいる人やら 色んなモノが入れ替わり立ち代り私にアプローチして来て たいそう困った。 アプローチしてきている相手が分かっていても、困ることは一緒。
それが、たくさんの先祖の未浄化霊を器に押し込めたもの なんて 訳の判らないものに向かって、感謝の意を唱えることが最終目標になっていたんじゃぁ、自分の魂が浮かばれません。
感謝とは、自分の責任において のみ するものであって だから どうなる ではなく、 感謝の気持ちが存在することこそに 意義があり、 小さなことをありがたいと思える自分がそこにいること が 幸せにつながるんだと思います。
追記
これを入力していたら、音信不通にしていた『パパ』から電話がありました。 ガンの手術をして以来、怖くて連絡を取ることができなかった相手です。 酒屋だと勘違いして電話をくれた この偶然に ただただ感謝です。
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