御言葉に寄せて
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ヨハネ書 15-5 わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。 人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、 そういう人は多くの実を結びます。 わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
マタイ 5,6,7 の教えは人間の語る教えではなく、権威ある者の教えであった。出来ないと言って逆らうのではなく、権威ある者も考えを知る事が出来て感謝な事なのである。
マタイ6章で イエスは祈りを教えて下さった。感謝と希望の祈り。そして5章に続き主の喜ばれる人生への対処の仕方。人間が自分の力では成し得ない対処。 イエスにより頼む事が対処。
マタイ5 今まで、人間が思っていた幸せとは違う幸せを教えて下さった。 人間が悩み、苦しみ、答えが見つからない事に関して、イエス・キリストは明確に答えを出されたが、それは到底肉に在る物が成しえる内容ではない。 ただ、この高い倫理観を持っておられるイエスが私たちの内に住まわれていて、解決をして下さるのだという希望。私たちが頑張って成し遂げようとすると、あまりに高い倫理に絶望するでしょう。出来ないと認めて主に代わって頂く、そうするとイエス様は働かれて、人間には出来ない事をなして下さるのだ。
マタイ4章 イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない。』とも 書いてある。」
申命記6-16 あなたがたがマサで試みたように、あなたがたの神、主を試みてはならない。
(カナンの地への道中、イスラエル人は喉が渇き水を下さいとつぶやいた。そこで神はホレブの岩の上に立ちモーセがその岩を打つと水が出るようにされた。神はその場をマサ、またはメリバと名付けた。)
悪魔からの試みに対しては、御言葉によって対抗すべきである。
つる
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