* たいよう暦*
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あ。
と、朝の通勤途中に、思った。
いつもの朝の道。 短かった建物の影が、ながくなってる。 あきらかに。
日陰がまったくない道を、自転車こいで駅まで向かった夏。 今は、ちょっぴりはみ出はするけれど、影をつないで行くことも できる。
あき。
が、ちょっとづつやってきているみたいです。
おいっこ、めいっこ、見事に水疱瘡に感染。 なつかしき、できものと薬のあとがおもしろく。 いやがられながら、「記念やから」とかなんとかわけのわからない理由をつけて 一緒に記念写真をとりました。
うどんと温泉とジェラートで体を作った翌日。 なぜか蕁麻疹が出てきた。 しあわせすぎた、むくいかも。
わたしの体は、いま、うどんと温泉とジェラートでできている。 それ以外のものは、なんにもまじっていない。 あぁ、こうふくこうふく☆
さぶいさぶいさぶいさぶい、さぶいっ。
ぎりぎり、9月に間に合った!
ずうっとつぼみをつけていた、身の丈130センチあまりのひまわりが、 今日無事に咲きました。 朝晩の涼しさに、大丈夫かな、と気をもんでいたけれど、 そんな心配をものともせず、見事に”たいよう”を咲かせてくれた。 「よくがんばりました」 ごめんね、来年はもうちょっと早く蒔いて、思う存分太陽の光を あびさせてあげるね。
ながいながいながい2年3ヶ月の旅から帰ってきたと、 友人達から連絡がきた。
「いってらっしゃい」と船で出発する彼らを見送ってから そんなにもたったのか、と思う。 あれから私は変われたかな。 あれから彼らは変わったかな。
心をこめて。 おかえりなさい。
今日は「子供」が「親」の参観に来る「子供参観日」。
親がどんな風に仕事をしているか。 どういうところで働いているか。 仕事とはどういうものか。 というのを、身近に体感してもらおうといううちの広報部の企画。
何年かに一度思い出した頃に行われるこの企画。 客観的に見て、これはなかなかいい企画だなあと思う。
私が子供の頃、毎日遅くにしか帰ってこないサラリーマンの父親が、どんな所で何をしているかとても興味があった。 でも、とうてい知りえないことであったし、「働く親」を見る機会にほとんどめぐまれなかった。 「働く親」のありがたさを、ちゃんと理解できたのは、自分が社会人になって働くようになってからだと思う(遅いなあ)。 子供の頃に、そういう機会が持てるというのは、子供にとっても親にとってもいいことだなぁと、だからこそ思う。
いつも鬼瓦みたいな顔して怒っている隣の部の部長さんが、課員の子供を思いっきり笑顔で話しかけている姿だとか、 「へえ!こういうふうに仕事してるん!」という子供の声に、いつもより元気に電話に出ている隣の課の人とか、 いつもむずかしい顔して歩いているむこうの課の男の人が、すっかりお父さんの顔で子供を案内している姿だとか、
ちょっとづつしあわせな光景がつづられるいつもと違う会社の雰囲気が、なんだかいい感じの一日でした。
ひまわりの種から芽がでた。 御堂筋で、初めてセミの声を聞いた。
まごうことなき、夏がやってきた☆ 今年はどんな夏になるかな。
「ここは中国か!」 と、思う瞬間がある。 新しい家からの朝の通勤時。 駅に近づくにつれ、どんどん自転車が増えてきて、気づけば10〜20数台の流れの中にいる。 みんな同じ方向にむいて似たような速度で、一群となって走っている。 道路だって、「車の通るところ」というよりは「車は通らせてもらっているところ」。 自転車が大きな顔して、ど真ん中を突っ走っている。 横断歩道じゃないところを、車の途切れ目にすいすい自転車も人も渡る。 ごく当たり前の顔をして。
「ここの習慣」が、とっても新鮮でおもしろい。 私の通いなれた駅では、自転車が一群になってたどりつくことなんてなかったし、道路は横断歩道しか渡れなかった。
私も当たり前の顔をして、ちょっと「ここの習慣」をまねてみる。 「おもしろい」なんてことを思っていることを微塵も感じさせない顔をして。 まねっこまねっこ。 それがいつか本物になるんだろうな。 それがここに「住む」ってことなんだろうな。
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