日記...abc

 

 

- 2012年09月16日(日)

母が
「お父さんが入院、手術となると、私の体がもたないから止めて欲しい」
と言った。

8月の初めのことだ。


その瞬間に、フラッシュバックの嵐に見舞われた。

最初は怒りが私を襲い、
次に、気力が萎えた。
なにもかもが面倒になり、
どこかに消えてしまいたいと思うようになった。

おかしいと思いつつ、自分でなんとかなるかな、と散歩などをして
気を紛らわせたが、どうにもならず、病院へ行った。

精神科医の前で号泣した。

そんな9月前半だった。


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- 2012年08月06日(月)

父の腹部大動脈瘤のこと。

2010年1月にみつかった。6センチだった。

昨年は、7センチ。

今年は8センチ。


母の言い方が、私は気に入らない。


 この2年半、お父さんは幸せだった、私も幸せだった

(だからなに?)


結局、母は、このまま父が突然の死を迎えて欲しいと思っているのだ。

手術やら入院やらという心身共にハードなことに

耐える自信がないのだ。

しかし。

やり方は外にいくらでもあるのではないのか。


2000年の父の大腸の手術のことを持ち出し、

あのとき自分がどんなに疲れ果てたかを延々と言う。


だが。

父の命ということは、考えないのだろうか。


私は怒りを覚え、母に怒りが向くのを覚え、

怒りが憎しみに変わるのを覚え…


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- 2010年09月30日(木)

急に思い立って、別荘に行った。

行って驚いた。停電しているのだ。

ここに住み込んでいるぐっちさんが、しょんぼりしていた。

どうしたの、と聞くと

表の道路のあの大木が、大型トレーラーに倒されて、と涙ぐむ。
木が倒れるときに、電線を切ったらしい。

え?と私。

あの、数百年経っているという、楡の大木?

そう、とぐっちさん。

2人とも、停電よりも、大木に気持ちが行っている。


私は、別荘の裏口に止めた車のなかの食料品などそのままに、
表へと飛んでいった。


この付近は、昔ながらの森が残っている。

開発されて、かなり減ったけれど、それでもまだかなりの面積の森が
残っている。

その森に守られて、この別荘もある。


なかでも別荘への表の入り口に立つ、2本の楡の大木は、
私たちがここに別荘を買うときの決め手になったものだった。



行ってみて驚いた。
大変なことになっていた。

大型トレーラーがゆるいカーブなのに曲がりきれずに、
木にぶつかり、木の一番下の大枝がそのまま折れて、トレーラーを覆っていた。

木、そのものの損傷は見える範囲ではそうひどくはなさそうだったが、

それでもその光景は、私には充分に衝撃的だった。

別荘に戻ると、ぐっさんが、ひどかったでしょう、とそれでも先ほどよりは少し元気の回復したような顔で言った。







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- 2009年05月24日(日)

母は、叔母(すでに死去)といろいろあった。
母の頭痛のタネが叔母だった。

理由はわからない。
表の理由しか、私は知らない。

その次は、病気がちの祖父(母の父)と。
そして、同居していた父方の祖母と。

祖母が亡くなり
次に祖父も亡くなり
そして、ターゲットは私になった。





「ごく幼い頃から、私は、お母さんをお母さんと思ってこなかった」


幼稚園の頃までは
ママと呼びなさいというから呼んでいたけれど
母親とは思っていなかった。
母的存在ではなかった。
私の母は、祖母だった。

幼稚園の頃に
母と祖母の間で引き裂かれている自分を認識した。
でも、まだ無邪気でいられた。

10才頃、母と祖母の間でバランスをとるのが難しくなり
私は、祖母を捨てた。

捨てた、というと表現がきついが
祖母とは距離を置くようにして
表面上は、母に寄った行動をとった。

表面上は、ノーマルな関係に戻ったように見えたはず。


でも、祖母を捨てたときに、私は母をも捨てた。
母的存在を捨てた。

それ以来、私には母がいない。


それだけのこと。

それでいいじゃないか、と思う。

そういう関係もある。

それでいいじゃないか。


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- 2009年05月23日(土)

今日、病院に行かれなかった。
だから「明日、行きます」とメールをした。

「明日待っています。洗濯物があります」
と返事がきた。


これだけのことなのに、揺れる。


背後になにがあるというのだろう。


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- 2009年02月16日(月)

私が、関わりすぎたのだろうか。

きっとそうだ。

でも、関わらずにはいられなかった。

なぜ?

なぜだろう…。


友達だと思っていたから。

本当にそうだろうか。


*****


彼は、ある女性に恋をした。2人は、幼なじみであった。
かつて、お互いに、かわいい恋人同士だったこともあった。

そんな彼女に、彼は、改めて恋をした。


いまは、彼には家庭があり、彼女にも家庭がある。
子どもたちも、いる。

だから、恋、とはいっても、ピュアな、あくまで精神的なものだった。
私は、微笑ましく見ていた。

互いに家庭があっても、メールのやりとりをしたり、昔語りをしたり、1年に一度、帰省のときにちょっと顔を見に寄ったり、そんなこと、誰もとがめやしない。

そういう関係も、わるくはない。


彼は、女性にもてるタイプの男性だった。
それまでは、女性に好意を寄せられても、もちろん、奥さんを言い訳に、女性たちからのアプローチをたくみにかわしてきた。

ところが、あるときから、態度が変わった。

他の女性に好意を寄せられたときに、奥さんではなく、彼女の存在を、言い訳に使いはじめたのだった。

それはまずいのじゃない?と私が指摘すると、彼は怒った。

女房は女房で大切にしている、オレは家庭が大事だ、だけど、彼女は彼女で女房とは比較できない大切な存在だ、それのなにがわるい、と。

わるくはないけれど、彼女を理由に他の女性からのアプローチを断るのはよくないのではない?と私は、言った。

彼は、ますます怒った。

女房と彼女では、レベルが違う、同じ世界の人間じゃないんだ、土俵が違うんだ、と怒った。


あなたのそういう考えや行動が、奥さんをおとしめることになる、もっと奥さんを大事にしないといけないと思う、私は更に言った。

*****

確かに、私は立ち入りすぎた。

しかし、彼の友達の輪のなかで、彼の奥さんが、彼の行動によって噂のまとになっていることに、我慢がならなかった。

なぜだろう…。

私は、彼の奥さんと、直接顔見知りではない。

しかし、同じ、妻という立場を共有するものとして、彼の行動は、目に余ったのだった。

余計な忠告をした結果、私は、彼という友達を失った。

今回は、それでよかった、と思っている。

このままの状態で、彼と友達で居続けるのは無理だった。



しかし、なぜ、私は、立ち入りすぎるのだろう…。

ここから学ばねばならないことが、たくさんあるように感じる。


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- 2008年12月26日(金)

深淵をのぞくことは危険

とわかっていても

止められない。



私も怪物になり果てるのだろうか。


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- 2008年12月14日(日)

小学生の頃のこと。

道を、歩いていた。

母に先に行きなさいと言われ、母の先を歩いていた。

私は、うきうきと楽しくしゃべりながら、道の右はし、左はし
また右はし、と移動しながら歩いていた。


ふと、振り向いた。


母の怖い顔があった。


私が右に寄るとお前も右に寄る、左に寄ると左に寄る、
邪魔でしょうがない
どっちかに寄って歩きなさい
私の歩く前を邪魔しないで。



「私の歩く前を邪魔しないで」


こうして母の言葉が思わぬ時に蘇ってくるのには、心底まいる。






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- 2008年02月21日(木)

なにもかも、忘れてしまいたい。

なにもかも、解きはなってしまいたい。


なにもかも、時のすぎゆくままに。


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- 2007年07月11日(水)

長い間、日記をかかなかった。

それは、私の心身の調子がよかったから。



この数ヶ月、寂しい思いをすることもなく
涙を流すこともなく
元気に楽しく笑って過ごしていた。


ひさしぶりに私に訪れた、心休まる時間である。

長く長く、この状態が続きますように。


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