.ありがとうございました。

どうも、こんばんは。
今尾るなの夫のYです。

二度目のご報告についても、たくさんの方からのメールを頂きまして本当にありがとうございます。
僕個人のメールアドレスから返信すべきなのでしょうけど、先日の投稿にも書いた通り、此処を閉鎖させて頂くので個別にお返事させて頂くことはきっと違うような気がするので、ご了承ください。
だけど、ちゃんと見ております。
妻名義のメールアドレスですが、彼女のスマホ経由で使えるメールアドレスからちゃんと確認ができております。

彼女のスマホも、年内いっぱいで解約を決めています。
何故年内いっぱいかと言うと、彼女のスマホに入っている連絡先のすべての人に彼女の訃報を伝えきれていないからです。

去年やその前の年末近くになると、何件か忘年会などのお知らせがメールに届いていました。
その中で、どれが元職場の人なのか、どれが学生時代の友達なのかが僕には分からない人が何人かいるのです。
だからと言って、無作為に「妻が亡くなりましたので、代わりにメールしています」とひとつひとつに送る気力が僕にはありません。

本当にまだ彼女がいないという実感があまりにも薄くて、自分自身の手で此処にも彼女がいないと書くことさえ苦しくなってしまうのです。


彼女が亡くなった日のことをたまに夢に見ます。
今朝も見て、起きた時に涙が溢れています。

今、仕事は平日休みなので今日は休みだったので良かったですが、これが仕事の日になると、一日ずっと重い気持ちが残ります。

亡くなった日の前日、僕は仕事が早く終わったので、お見舞いに行きました。
寒いと言って辛そうだったので、翌日に僕の母親がお見舞いに行くことになっていたので、カーディガンを持っていくように言伝をしました。

その前日に会った時がこれが最後になるだなんて思いもしませんでした。

「夏バテに気を付けてね。」
と、何度も僕の体調を気遣っていてくれたし、
「ボタンが取れ掛かっているよ。」
と、僕のワイシャツのボタンを取り付けてくれたりもしてました。

ただ、少しだけ体がだるそうでした。
無理しなくていいよ、と言ったけれど、
「だって奥さんらしいこと、最近できてないもんね。」
と、笑ってくれた。

そして、面会時間が終わる頃、僕が帰る時に
「またね」と、彼女は言った。

僕も、また次は休みの日に来るからね、と伝えた。

これが最後に交わした言葉でした。


翌日、僕の母親が父親と一緒に見舞った時に体調が急変していたそうです。

意識を失ってしまい、僕の方に危ない状態だと連絡が来て、急いで向かったけれど、電車の人身事故と遭遇してしまい、駆けつけるのに時間が掛かってしまった。

「お兄ちゃん(僕のこと)が来るまで、頑張って。」と、母は彼女に言い続けていたそうです。

でも、間に合うことはできませんでした。


歌舞伎役者の市原海老蔵さんが、奥様の小林麻央さんを看取った時に麻央さんが「愛してる」と言って息を引き取ったというエピソードを知っていたけれど、僕らには、そんなことができなかった。

間に合ったらできたのかもしれない。
でも、僕が着いた時には彼女の顔の上には白い布がかぶされていた。

僕の代わりに母が手をずっと握りしめていたという。
その場で父が見ていただけでした。


彼女を連れて家に帰ってから、僕はずっと側にいました。
父と母には休んでもらって、嫁いでいた妹たちも来てくれたけど、一旦家に帰ってもらった。
彼女のお父さんも高齢だから我が家に泊まっていただいたのは覚えている。

真夜中、蝋燭の番をしていた時にふと、彼女が動いた気がした。

僕は彼女の顔の上の布を取って見た時に、初めて涙が溢れました。
それまで、ずっと何が起きていたのかを理解していなかったのだと思います。

彼女が動いた気がして、手を触れた時にとても冷たかった。
その時にようやく全てを理解しました。

横になっている彼女を抱き締めて、僕は泣いていました。
強く抱き締めても、抱き締め返してくれるわけではなく、ただ冷たい体が僕に何も返してこないだけでした。


葬儀は家族葬という形を選びました。
僕が上手く動けなかったせいもありますが、彼女の訃報を誰に知らせていいのかも分からなかったせいもあります。

それでも喪主を務めたけれど、僕の父、彼女の父親がいたおかげで何とかできたに過ぎませんでした。

葬儀会社の計らいで、お通夜などで故人様の好きだった曲を流せますよ、と言われた。
僕は自分の曲を流す気もなれなくて、でも、彼女の好きだった曲が何も思い浮かびませんでした。

すると、妹が「お兄ちゃん、これ!」とCDを渡してきました。

それはスピッツの「愛のことば」でした。

2012年12月07日に彼女が此処の日記で書いている通り、彼女に告白した時に僕は彼女のためにこの曲をアコギで弾き語りをしました。

そうだ、この曲しかないと僕も思いました。
まさか、此処で書かれているなんて思いもしませんでした。

あの時に渡したフォトアルバムに一緒に見た風景の写真が収められていました。
それを彼女の棺に入れました。
僕たちの思い出を持って行ってほしかったから。

幸い、彼女のパソコンから同じ写真のデータが残っていましたので、僕も同じものを印刷して、彼女が遺した作品として何枚か写真立てに入れています。
彼女がいないと感じないのは、きっと彼女の撮った写真に囲まれているせいなのかもしれません。



「本当にるなさんは亡くなったのですか?
此処の日記を閉じないでください」とメールをしてくださった方に、以上の僕からの言葉を読んで、僕の気持ちを分かってくだされば幸いです。
亡くなった詳細については僕も書きたくない部分がありましたが、信じてくれと言うのも違う気がするので複雑な気持ちなのです。
もう、僕も此処に書くのは最後にしますので、どうか14日まで見守ってやってくれたらと思います。


「いつか彼女のことを音楽にしてみてください。」とメールしてくださった方、お気持ちをありがとうございます。今すぐは無理ですが、いつか彼女の歌を作って自分で歌えるくらいになれたらと思います。
彼女の病気が発覚してから一切楽器に触れずに来ましたので、また一からやり直せたらと思います。


最後に、
僕の妻の本当の名前だけ公表させてください。


僕の妻、「まい」のことを見守っていてくださった皆さん、本当にありがとうございました。
「まい」は、幸せだったと思います。
此処の日記を通して、直接交流があったのか、僕は何も知りませんが、顔の見えない人同士でも優しい交流をしてもらえて幸せだったと思います。

「まい」のためにも、僕はちゃんと生きていこうと思います。
「まい」のためにも、笑顔でいたいと思います。
短い間でしたが、「まい」の夫である「よしき」の言葉を読んでくださってありがとうございました。


よしき2019.10.10.

2019年10月10日(木)


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