心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2013年06月13日(木) もちろん「底つき」は必要ですとも(その1)

今回は、重箱の隅を突くような話です。

ステップ1では、

・身体のアレルギー(渇望現象)
・精神の強迫観念(再飲酒をもたらすもの)

この二つを抱えていることを認めることが大切です。

ビッグブックでは強迫観念という言葉はあまり出てこず、代わりに「狂気」という言葉が目立ちます。例えば「ビルの物語」に、「知らぬ間にあの最初の一杯への狂気が襲ってきて、一九三四年の休戦記念日にまた飲み始めた」(p.12)というふうに使われています。

では、このアレルギー(渇望現象)と強迫観念が『12のステップと12の伝統』(12&12)で、どう扱われているか。ちょっと調べてみましょう。

12&12の目次(p.5)には、各ステップの概要が書かれていますが、そのステップ1のところには

強迫観念身体のアレルギー(Mental obsession plus physical allergy)

精神の強迫観念と身体のアレルギーとハッキリ書かれています。

ステップ1についての文章はp.29から始まっていますが、そのページに「強迫観念と身体のアレルギー」のことが書かれています。

スポンサーになってくれた人たちは、私たちが人間の意志の力ではどうしても打ち破ることができない、言いようのないほど強力な精神的とらわれ(meltal obsession)の犠牲者になっていたのだと断言した。

精神的とらわれと訳されていますが精神の強迫観念のことです。

自分の意志の力だけで、この強迫観念(compulsion)と戦って勝つ方法はなかったとも言った。

ビル・Wの文章は、同じ言葉を繰り返さない、同じ事を表現するのに違う言葉を使う、という修辞法が多用されますが、ここでも obsession を compulsion と呼び変えています。(それが同じ強迫観念に翻訳されているのはちょっと皮肉だ)。

私たちのとまどいにもかかわらず、その人たちは、アルコールに対する私たちの感覚がますます過敏になっていることを指摘し、それは一種のアレルギーだとも言った。

「私たちのとまどいにもかかわらず」の部分の原文は Relentlessly deepening our dilemma ですから、「私たちをますます深刻なジレンマに陥れたのは」という意味です。ジレンマとは二つのことの板挟みになることですが、その一つは前述の強迫観念(再飲酒をもたらすもの)、そしてもうひとつはここで「アレルギー」だと言っています。

そのアレルギーとは our increasing sensitivity to alcohol ・・・アルコールに対して私たちがますます過敏に反応するようになってきたことです。渇望現象のことですね。

続きを読み進めましょう。

アルコールという暴君が私たちの上に双刃(もろは)の剣(つるぎ)を振るった。

強迫観念と渇望現象の二つを「両刃の剣」という詩的な表現で表しています。(あぁ〜、ビルの修辞法ってめんどくさいね)。

まず私たちは、狂ったような衝動、飲み続けるようにと宣告されたような衝動にかられた。次いで、自分自身を破壊することになる身体のアレルギーに打ちのめされた。

渇望現象が、もっと飲み続けたいという狂ったような衝動である(だから酒量がコントロールできない)ことが分かります。この渇望現象がアレルギーそのものです。(飲んだせいで肝臓とか痛めるという話じゃなくて)。

この戦いで孤軍奮闘して勝利を得た者はほとんどいない。アルコホーリクが自分の力で回復できたことはほとんどない。これが統計上の事実である。

この渇望現象と強迫観念のタッグチーム相手に、自分の意志の力で戦って勝利し、回復できた人はほとんどいない(つまりあなたはアルコールに対して無力だ)ということを伝えています。

こうしてみると、12&12でも渇望現象と強迫観念というステップ1の情報について、ほんとうに簡単にではあるけれど、一応言及されていることがわかります。とは言うものの、こんなわずか数行の文章で内容を理解するのは無理なことです。ステップをやるための重要な情報を伝える役割はビッグブックに譲り、12&12はビッグブックを理解した人向けに補足情報として書かれたことが分かります。

ついでに、この数行を読むと、AAに新しく来た人に渇望現象と強迫観念について教えるのは、スポンサーの役割だということが分かります。

メッセージ活動に意欲的なグループでは「仮スポンサー制度」というのをやっています。12ステップはスポンサーと一対一のペアを組んでやるものですが、新しい人が相手となるスポンサーをなかなか決められず迷い続け、そのままAAを離れてしまうことがよく起きます。そこで、グループメンバーが仮スポンサーを務めることをします。(言わば仮にスポンサーを「あてがう」わけです)。それが本当のスポンサーシップに発展することもあるし、もし相性が悪いとなれば、日常の相談に乗りつつ、本当のスポンサーを見つける手助けをするのが仮スポンサーの役目になります。渇望現象と強迫観念について新しい人に伝えるのは、この仮スポンサーが適任じゃないかと思います。

「AAに行ったのに、渇望現象と強迫観念については教えてもらえなかった」という人がいるなら、それはAAがステップ1を伝える機能を果たしていないわけですから、私たちAAはそれを自分たちの問題点として認識して改善しなければならないと思います。

さて、12&12のページを先に読み進めると「底つき」について書かれています。最近では底つき不要論も出てきて、AAの本に「回復には底つきが必要だ」と書かれているのは古いんじゃないか、という指摘もあります。しかし、それについて話をしようにも、

「底つきとは何か」

という共通理解がないと、話がかみ合いません。少なくとも「AAの本では<底つき>はこういう意味で使われています」ということをハッキリさせないと、それぞれ違う底つきについて話してしまい、かみ合うはずがないのです。

(続く)


2013年06月04日(火) 危機と成長

このサイトへのアクセス数はこれまで3,000/日ぐらいだったのが、3月から6,000/日とほぼ倍増しています。3月の何が影響したのか(あのシンポジウムか?) 無差別なアクセスが増えている可能性もあるので、セキュリティ対策のためCMSのアップデートをしておきました。

さて、少し前に掲示板でこんな文章を取り上げました(文章は田辺等先生のもの)。

> G.キャプランという、かつて地域における精神保健活動で指導的な活躍をした精神科医は、危機は、人がそれまでのその人なりのやり方では解決できないが故に危機なのであるが、そうであるからこそ、人は平時以上に、新しい対処法、新たな取り組みへの助言や指導に耳を傾ける。だから、危機は、人がそれまでにない新たな方法を身につけて、大きく成長していくチャンスでもある、という主張をしています。
http://www.knt.co.jp/ec/2013/jhcpa56/aisatsu.html

キャプランの危機理論というやつです。

「危機」は、問題を克服できない状態です。そこには混乱と動揺があります。

「アルコール依存症になって、飲みたい酒をやめなくてはならなくなった」という事情そのものは危機ではないと思います。多くの人が自分なりのやり方で酒をやめてみようとします。そして、ある程度それに成功します。

自分のやり方で断酒が続いているうちは、その人に危機という意識はないか、あっても薄いものでしょう。このまま断酒が続いて酒の問題が解決されていくという希望を持っていますし、周囲の人もそれを期待します。

しばらくすると、再飲酒が起こります。目端の利く人なら、次は別のやり方で酒をやめてみます。それでも失敗すると、また別のやり方を試します。そうやって何種類かの解決手段を試し続けるうちは、やっぱりまだ「危機」とは言えないのだと思います。

やがて万策尽きます。その人の行動レパートリーの中に解決手段が含まれていないことが明らかになります。つまり自分のやり方では酒をやめられない、ということが分かります。これこそが本当の危機です。

その人は混乱し、動揺(絶望)するでしょうが、危機は成長へのチャンスだと言います。つまり自分のやり方では解決できなかったのだから、新しい方法を身につければ良いのです。そのために、それまで拒んできた助言や指導に耳を傾けることができるようになります。

イネーブリング理論とか底つき理論は、この「危機」を早くもたらすために、周囲が本人を手助けせずに突き放す必要があるという考え方でした。最近この理論が否定されつつあるのは、本当の危機が訪れるまでには長い時間がかかり苦しみや損失を不必要に増やすこと、また絶望して死を選んだり、危機に直面しても変わることが出来ない人が多い、という欠点があるからです。

人間には知能があって、未来を予測することができます。自分が飲まなくても、同じ病気の他の人が飲んだことを知って、再飲酒が自分の身にも起こる危険の高いことを知ることもできます。十分な情報を提供されれば、実際に危機と絶望を体験しなくても、いま自分が十分危機的立場に置かれていることが理解できる人は少なくありません。デタッチメントからコミットメントへと時代は変わりつつある(はず)。

AAで「自分の考えを使うな」と言われるのも、「新しいやり方を身に着ける」という考え方をすると理解しやすくなります。今までの自分が持っていなかった(持っていても使えなかった)やり方だからこそ、「新しいやり方」が必要なのです。

人は信念や信条というものを持ちます。信念や信条はどうやって身につくのでしょうか?

生きていれば大小いろんな問題が起きます。問題に直面して、人に教えてもらったり、自分で試行錯誤して、何とか解決手段を見つけ出し、問題を克服します。次に同じ問題が起きたとき、今度はもう試行錯誤を繰り返すことはせず、前回やってうまく解決できたやり方で問題を解決します。こうして成功体験を繰り返すことで、「こういう場合には、こう考えてこう行動すると良い」という信念・信条が出来上がります。

その信念・信条が、問題をうまく解決できているうちは「危機」ではありません。でも、解決できないからこそ危機になったのであり、そのときに「自分の考え(信念・信条)」を頼っていたのでは、危機を克服できません。

人間は、問題に直面し新しい対処方法を身に着けることを繰り返して、徐々に精神的に成長・成熟していくのだと思います。人生の中でこれがたくさん起こるのは、思春期から20代前半でしょう。この時期に若者たちは、現実にぶち当たり、苦悩し、そして精神的に成長していきます。

アルコホーリクはこの時期に酒を飲みだした人がほとんどです。他の人たちが、悩み、成長している一方で、アルコホーリクは苦悩を酒でごまかして、自分を成長させることがないまま、おじさん・おばさんになってしまったわけです。ジョー・マキューは、私のところに来るアルコホーリクの考え方はたいていティーンエイジャー並だと言っています。僕はむしろ加藤諦三の言った「五歳児の大人」という言葉のほうが合っているように思うことが多いのですが・・・。

こちらによれば、五歳児どころではない「二歳児」だといいます。こうなると霊的な幼稚園どころじゃない、乳児院だよ。

クズ野郎の正体、または二歳児にバスを運転させない方法
http://powerless.cocolog-nifty.com/alcoholic/2013/05/post-4525.html

話し変わって、「危機」は二種類に分けられるそうです。ひとつは「状況的危機」で、これは震災や事故、死別、離別などによるもの。予期し得ない出来事によって、それまでの安定していた状態が脅かされるものです。

もうひとつは「発達段階における危機」です。アルコホーリクの危機がどちらの危機なのか、言わずもがなでしょう。ある医師が「12ステップは、その人が大人になる過程で身に着け損ねたものを、まとめて身に着けさせてくれる手段だ」と表現したそうです。賛成です。

(身につけ損ねるばかりでなく、せっかく身につけたのにアディクションに耽溺する中で失ってしまったものも少なくないだろうと、考えています)。

アルコールの人も、薬物の人も、ギャンブルの人も、そのほかの依存の人も、ACの人も、みんな頭の中はティーンエイジャー(or五歳児or二歳児)みたいなものです。「精神的に若い」のと「精神的に幼い」のは違います。頭の中が幼いままで、社会から大人としての役割を期待されたら、そりゃ人生はストレスばっかりでしょう。解決は自分が成長することです。

12ステップは「今のあなたのままで良い」とは言いません。成長、つまり変化を要求します。

(ただ、世の中には「変えられないもの」もあります。例えば最近話題の発達障害などは、変化できないからこその障害です。変化できないものを変化させようとすれば、苦しみはかえって増大します。けれどまったく何もかも変わらないわけではありません。「二つのものを見分ける賢さ」が必要なのは言うまでもありません)。


2013年05月26日(日) チャーリー・Pについて

この雑記でもたびたび取り上げてている『ジョー・アンド・チャーリーのビッグブック・スタディ』。その片方のジョー・マキュー(黒人のほう)は、著書が何冊か日本語訳されて出版されているので、その人物像や来歴も比較的知られています。

しかし、もう一方のチャーリー・P(白人のほう)のことについては、どんな人物だったのか日本ではあまり知られていません。彼について分かる範囲で簡単に雑記にまとめておきます。

チャーリー・Pは1929年8月8日にオクラホマ州のタルサで生まれました。彼の父親は農夫をしていましたが、1929年に始まった大恐慌の影響で仕事を失い、カリフォリニア州へと移住しました。その様子は想像するしかありませんが、おそらくジョン・スタインベックの小説『怒りの葡萄』に書かれた様子そのものだったことでしょう。

(『怒りの葡萄』は、1930年代、オクラホマ州で食い詰めた農民一家が、カリフォルニア州へ移住して活路を開こうとするものの、そちらでも仕事はなく貧民キャンプで様々な苦難にみまわれるという小説で、映画にもなっています)。

チャーリーの一家は結局タルサに戻り、父親は職人の仕事を得ますが、暮らしは大変貧しかった様子です。1946年に彼は高校を卒業して陸軍に入り、ドイツに従軍しました。軍を離れた後は、タルサにある航空大学の教官になりました。

彼が最後に酒を飲んだのは1959年の秋のことだったと思われます(1988年8月のスピーチで彼が10,518日酒をやめていると言っていることから計算)。1965年に妻バーバラと結婚し、農場を始めました。オクラホマ州のハウス・オブ・ホープ・リカバリー・センターの共同創始者でもあります(1977年設立)。

ビッグブック・スタディの中で彼自身が語っていることによると、チャーリーの父親もアルコホーリクでした。オクラホマに戻った後、父親は氷を配達する仕事を得ました。骨の折れる単純労働を週に6日間こなし、土曜日の夕方に密造酒を買って帰ってきた父親は、子供たちの食費を確保しなければならない母親と大げんかをしました。やがて父親の依存症が進行し、家の中で家族に銃を向け、刃物を振り回すようになります。「これからお前たちの母親を殺す」と子供たちに言い残して、母親を連れて出て行ってしまったこともあるそうです。チャーリーははこのような環境で成長しました。

結局父親は、州立の精神病院に入れられます。1940年当時の州立精神病院は「病院」とは名ばかりで治療らしい治療は行われず、患者の処遇は極めてひどいものでした。チャーリーらの兄弟は、父親に面会するために70マイルの道のりをヒッチハイクして行きましたが、父親のいる病棟の様子は、チャーリーをして、もう神も人も信じずに自分の力だけに頼って生きていこう、と決意させるのに十分だったそうです。

チャーリーは自分に自信が持てず、女性に興味があってもまったく声がかけられないシャイな青年になりますが、一杯のウィスキーが彼の感情的問題を解決し、女性をダンスに誘い、家に連れて行って、36年製シボレーの後部座席で生まれて初めて念願のことを成し遂げました。これによって、彼は「アルコールによって物事をコントロールできる」感覚を味わったと言います。

彼によれば、アルコホーリクにはこの種の成功体験(?)があって、だからアルコホーリクは酒をやめていても、アルコールによって感情的な問題を解決しようとする「強迫観念」が(自力では)取り去れないのだ・・・と説明しています。

いまの言葉で言えば、チャーリーはAC(アダルト・チルドレン)の一人でしょう。けれど、チャーリーはそんな自分が他のアルコホーリクと違って特別だとはまったく思っていなかったようで、AAのビッグブックに示された12ステップに忠実に従った結果として回復したと明言しています。

依存症の人の中には、自分だけでなく親も依存症という人が珍しくありません。この人たちはアダルト・チルドレン(・オブ・アルコホーリクス)=AC(oA)と呼ばれます。また近年ACの概念が依存症でない機能不全家族に拡大されることにより、自らをACと自認する人は増えました。

12ステップをやる上で、ACかつアルコホーリクという人を、ACでないアルコホーリクと区別して扱う必要があるのか、という問題は繰り返し提起されてきました。少なくとも、ジョー・マキューも、チャーリー・Pも、「区別して扱う必要はない」という立場を取っています。

アメリカのAAメンバーで親もアルコホーリクという人の割合がどれぐらいなのか、統計は見たことがありません。しかしGrapevine誌を読んでいれば、そういう人の話がごく当たり前に載っています。じっちゃんから3代続けてAAメンバーなんて話も決して珍しいものではありません。アメリカにもACであるAAメンバーはたくさんいます。

長年AAメンバーとして活躍し、なおかつ施設のスタッフとして多くのアルコホーリクの回復を手助けしたジョーとチャーリーが、特別扱いの必要を感じなかったことを僕は重視しています。

例えば、「ならば子供の頃に親から受けた虐待についての恨みはどう棚卸しするのだ?」という質問は定番のものですが、子供の頃に親から受けた暴力について子供の責任を問うことはしません。しかし、恨みを抱えているのは現在は大人なのですから、大人として自分の考えや行動に責任は持たねばなりません。その点から見れば自分の落ち度や欠点は必ず見つかります。棚卸しや埋め合わせにおいて、特別扱いする必要はありません。

それは12ステップでトラウマのケアができるという意味ではありません。ジョーとチャーリーの著作でも専門家の手助けの必要性に言及があります。日本にトラウマケアの専門家が少ないのは残念なことですが(それは日本が平和で兵士のトラウマケアが要らないからですが)、日本でも探せば専門家はいます。しかし探すことすらせずに、近所の医者にかかっているだけの人は多いのです。

恨みには「私がこうなってしまったのは、私のせいではないのだから、私以外の誰かがこの問題を解決すべきだ」と私たちに感じさせる性質があります。でも代わりに解決できる人はいません。恨みが解決へむけての行動を起こす障害になっています。だから虐待への恨みを特別扱いしてしまうと、かえってその問題が解決できなくなってしまうのだと考えています。(特別扱いは回復の足を引っ張り酒を飲ませる方に働いてしまう)。

話がチャーリーからそれたので、元に戻します。チャーリーは、ビッグブック(英語版)初版のカバーを復刻して、ビッグブック・スタディの会場で1枚1ドルで売るというお茶目な面もあったそうです。(初版のカバーは赤と黄色と黒でデザインされたとても目立つものでした)。

ジョーとチャーリーが各地でおこなったビッグブック・スタディは、「ローカルなAAミーティングに出ていただけでは得られない経験と知識を運んでくれた」と評価されているそうです。

チャーリーが亡くなったのは、2011年4月21日。82才でした。51年あまりのソブラエティでした。ジョー・マキューが亡くなったのが2007年ですから、チャーリーのほうが4年ほど長生きしました。

これが「私のヒーロー」とジョー・マキューが呼んだ人物についての僕の知る限りの情報です。


2013年05月17日(金) 自分一人で12ステップができるか?

12ステップについていろんな質問を受けます。よくあるのが「自分一人で12ステップができるか?」というものです。

AAの12ステップをやるには、まずAAミーティングに通ってAAメンバーになり、そこでスポンサーを見つけてその人から12ステップを手渡してもらう、というのがもっとも一般的なやり方になります。AA以外の、○Aとか○○ノンというグループでもおそらく同様でしょう。

アメリカでは依存症の回復施設のプログラムとして12ステップが使われていることが多く、そこで施設のスタッフから12ステップを伝えられた、という人も少なくないそうです。日本にも(数は少ないけれど)そういう人もいます。

グループに加わるにせよ、施設の世話になるにせよ、人の集まりに加わることが求められます。また、12ステップは人から人へ直接渡されることが前提になっています。それは12ステップが、直接人から人へ手渡されることで始まったからです。

であるのに「自分一人で12ステップをやれないものだろうか」という考えが生まれてくるのには、いくつかの理由があるようです。

まず一つは、現在の日本のAAグループで12ステップに取り組む人が少なくなってしまったために、AAに加わってたとしてもスポンサーが見つからない(あるいはスポンサーがステップをやってない)という困った状況が生まれていることです。これはAA以外のグループについても言えることかもしれません。

また、何らかの事情で人の集まりに加われない、という場合もあるようです。直近のミーティング会場まで何時間もかかるとか、対人関係が苦手なのでグループに加わりたくないとか、あるいは仕事や家庭の事情でグループ参加に時間を割けないとか・・・。

まあその他にもいろいろで、中には人に頭を下げたくないのでスポンサーが頼めないという、首をかしげたくなる理由もあったりします。

話を戻します。

ビッグブックは12ステップを伝えるために書かれたテキストです。読んでみれば分かりますが、読者として身近にAAグループがない人を想定しています。この本が書かれた1930年代後半、AAメンバーはまだ数十人しかいませんでした。12ステップを全米に、いや全世界に伝えていくのに「直接人から人へ手渡す」というやり方に固執していたのでは、その目的は達成できません。

そこで彼らは一冊のテキスト(教科書)を書き、読者がその内容に従って回復し、それぞれの地方での最初のAAメンバーとなることを期待しました。この作戦が当たって、AAはここまで大きく成長できたと言えます(日本のAAがイマイチなのはビッグブックを軽視しているからでしょう)。

だから、一人で12ステップを出来るかと言えば、その答えはイエスということになります。

この答えに安心する人もいることでしょうが、実はそれは簡単ではありません。本を一冊読んで、その通りに実行することがいかに難しいか。ビッグブックは薄い版でも二百数十ページあります。12ステップに限らず、どんな分野であれ200ページ以上ある本を読んで、その中身を十分実践できた経験のある人がどれだけいるでしょう。途中で挫折した経験のほうがずっと多いのではないでしょうか。

本を読んで一人でステップに取り組める人というのは、「酒で死んでたまるか」(肉体的に死なないまでも社会的に死んでたまるか)という回復への意欲の強い人たちに限られるのではないでしょうか。今の日本でそこまでガッツのある人ならば、直近のミーティングまでどれだけ遠かろうと通うでしょうし、スポンサー候補がどんなに気に入らない奴でも頭をさげてスポンサーを頼めるできるでしょう。だから、一人でやる羽目にはなりません。

これが今の日本で一人でステップに取り組む人が滅多に出てこない理由だと思います。

12ステップの成立に大きな影響を及ぼしたカール・ユングは

「人はふつう、ほかの人と共に活動することで、決定的でスピリチュアルな経験をする」

と語ったそうです。12ステップの成果を出すには、人の集まりに加わって協力して活動することが最もたやすい道なのです。

それに、他の人と関わらずに12ステップを行うことはできません。確かにビッグブックは、読者が一人でステップに取り組めるように書かれています。それはそれぞれの地方の「最初の一人」には、仲間もいなければ、グループもミーティングも存在しないからです。

しかし12ステップは各所で人との関わりを必要とします。棚卸しのステップ5では、自分以外の誰かと一緒に棚卸表の中身を分析する作業があります。たいていの人は自分の過ちをすべて人に話すことにはためらいがありますが、この作業をないがしろにすると効果が出ないと書かれています。

また埋め合わせのステップ9では、自分が過去に傷つけた人に面と向かって埋め合わせをすることが求められます。これもできれば避けたいと思う人がほとんどです。

ステップ5とステップ9は12ステップのキモの部分ですから、ここを省略してしまっては12ステップとは言えなくなります。人と関わることを完全に避けて12ステップの効果は得られません。スポンサーはステップ5の相手をしてくれ、ステップ9のガイドをし、背中を押してくれます。12ステップだけが回復の手段だとは言いませんが、ステップ5と9を欠くなら、それは12ステップとは違うものです。

(周りに仲間がいない「最初の一人」はステップ5の相手を誰にすればよいのでしょうか。もちろんその答えもビッグブックに書かれています)。

ステップ10でも11でも人と相談することが含まれていますし、ステップ12では自分が他の人にステップを伝えることが求められています。

このように、一人でできると言っても、人と関わらずにステップをやることはできません。そもそも人は社会から隔絶して生きることはできず、必ず人と関わって生きているのですから、回復するときにも人と関わる必要があるのは、ごく自然なことだと思います。

一人で12ステップをやるのは困難だし、かといって12ステップの経験者も近くにいないというのなら、ステップの勉強会(スタディ・ミーティング)をやってみれば良いと思います。日本ではAAミーティングと言えば「言いっぱなし、聞きっぱなし」スタイル以外にあり得ないと勘違いされていますが、元々AAミーティングには形式の縛りはありませんし、海外ではスタディ・ミーティングはたくさんあるそうです。

どういうやり方をするかは自由ですが、ビッグブックをテキスト(教科書)にして、少しずつ読み進めながら、そこに書かれたことについての各自の考えを話し合っていけば良いと思います。そして、そこで得られた知識を実行に移すことで、徐々に成果は得られるのではないかと思います。忘れてはならないことは、回復はミーティングで起こるのではなく、そこで得られたことをミーティング以外の場で実践していくことで起こることです。だから、棚卸しと埋め合わせはしっかりやって欲しいのです。

人はふつう他の人と共同することによってスピリチュアルな体験をするというユングの言葉を憶えておいてください。


2013年05月12日(日) お陰様で

お陰様という言葉は神仏の加護に感謝する言葉なのだそうです。そういう意味では、僕のソブラエティはまさにお陰様ですし、皆様のお力添えあってのものです。今月は17年のバースディ・ミーティングを迎えることができます(その日まで飲まなければですが)。

17年前の連休明けに退院して、数日後にAAのミーティングに戻った日を僕のソブラエティの始まりとしています。

アルコールの専門病棟に入院したのですが、病棟の患者数は少なく、平均して10人前後でした。僕より先に退院していった人もいますし、僕より後で入院してきた人もいます。2ヶ月あまりの入院期間中に、一緒に入院していた人は合計で20人前後でしょうか。

そこの病院でもご多分に漏れず、退院後に断酒会やAAに通い続けた人は少数でした。何回か顔を出してもう行かなくなる人や、最初からまったく行かない人が多数でした。全員を追跡調査しているわけじゃありませんが、そこは田舎ですから、その後のその人たちの消息は漏れ伝わってきます。

今となって無事にやっているのは、AAか断酒会の人たちばかりです。AAや断酒会の世話にならずに年単位で酒をやめ続けた人もいましたが、10年を超えた人は誰もいませんでした。

僕にとってはこれがエビデンスです。サンプル数20は少なすぎるかもしれません。もっとサンプル数を増やせば、中にはAAや断酒会の世話にならずに長くやめ続ける人もいるでしょうし、実際そういう人を知っています。でもそれは全体からすればあまりにも少数です。アルコールは強力な敵であり、一人の力で打ち勝つことがいかに難しいか、このデータが示しています。

ひいらぎの話は理屈っぽいと言われます。確かに僕は理屈っぽい人なのでしょう。だからこそ、データにもとづいて判断しているのです。

聖書に「あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にする」という言葉があるそうです。

当時ユダヤの民はローマ人に支配を受け隷属していました。イエスは「あなたたちが真理を知れば自由になれる」と言いましたが、ユダヤ人たちは反論しました。「私たちは誰の奴隷になったこともないのに、なぜこれ以上自由になる必要があるのか」。人間には自尊心があるので、自分が奴隷だとは認めたくありません。実際にはローマに支配され、隷属していました。奴隷になっているという自分の真実の姿から目を背けていたのです。隷属状態から脱して自由を獲得するには、まず自分が奴隷になっているという真実を見つめなければなりません。

僕に言わせれば、彼らはローマの奴隷というよりは、自らの自尊心の奴隷になっていたのです。(これも本能の逸脱です)。

自分の力で酒をやめ続けることができる、という考える人も、やはり自尊心によって盲目にされているのでしょう。「私は酒をやめているのに、なぜこれ以上やめる必要があるのか」。

自分が自分の自尊心の奴隷になっている、という真実から目を背ける人たちの中から、ネルソン・マンデラは出てこないでしょう。アメリカでも解放されることを拒む黒人奴隷が少なくなかったそうです。

データは真理を(少なくとも真理の一面を)示しています。真理を見ることが、僕を奴隷状態から解放してくれます。ビッグブックの正式名称は『アルコホーリクス・アノニマス』(AA)といいますが、この本は最初は『出口』という題名をつけたそうです。しかし国会図書館で調べたらすでに『出口』という本が12冊あったので、13冊目の「出口」になるのを嫌っていまのタイトルにしたそうです。けれど、この本の内容が「出口」であることに変わりありません。

AAは、アルコールの奴隷・自尊心の奴隷状態から解放され、自由になるための「出口」です。少なくとも出口のひとつである事は間違いありません。まず必要なのは真理を見ることです。


2013年04月22日(月) ありのまま願望の落とし穴

アスペルガー症候群(ASD)である狸穴猫(まみあなねこ)さんが、当事者の視点で書いている「アスペルガーライフblog」を時々読んでいます。

最近読んでいて「おおっ」と思ったのが、この二つのエントリ

定型者の自己イメージとASD者のありのまま願望
http://maminyan.blog5.fc2.com/blog-entry-572.html
定型者の自己イメージとASD者のありのまま願望(2)
http://maminyan.blog5.fc2.com/blog-entry-573.html

この二つのエントリに目を通して頂いた前提で話を勧めるのですが、エントリ中の図

定型発達者の自己表出構造

で、「根っこの自己」と表現されているのは、むき出しの本能のことでしょう。(この本能とは12ステップで言う本能で、人間の持つ様々な欲求・欲望のこと)。

その上に載せられている「切り替えられる自己」の多層(複数レイヤー)構造は、「社会性」というものでありましょう。

私たちはこの複数のレイヤーを、場面ごとに切り替えながら使っています。その切り替えはかなり自動的に行われているのであまり意識されません。職場、家庭、趣味のサークルなどで、それぞれ別のレイヤーを使い分けているでしょうし、同じ職場でも上司相手と部下相手では違うレイヤーを使うでしょう。

社会性について少し掘り下げてみます。以前、自閉症協会の会長さんの講演を聴いたことがありますが、その講演の中で会長さんは

「なぜこの部屋の中に歌を歌う人がいないのでしょう?」

と問いかけました。50人、100人と集まっていれば一人ぐらい歌を歌うヤツがいてもいいはずだ。・・・いや、そう言われても、僕がここで歌わないのは、講演を聞いている最中に歌い出して「変なヤツ、頭のおかしなヤツ」と思われたくないからです。それが社会性です。

僕だって、部屋で一人でご機嫌なときはふんふんと鼻歌ぐらい歌っているかも知れません。そのようにどのレイヤーを使うかは意識せず自動で切り替えられています。

僕らは苛立ちをモノにぶつけたくなるときがあります。イライラして椅子を蹴ったり、紙を破いたりしたくなる・・でも、そうしない理由は、自制心の足りない未熟なお子チャマだと思われたくないからです。

人には共存の本能があり、社会に属したいという欲求があります。人から認められるという承認欲求を満たさないと、私たちは生きていけないのです。だからこそ私たちは社会性を身につけます。上の図はそれを多層のレイヤー構造として表現しています。

発達障害を持つ人(中でも自閉的特性を持った人)は、シングルレイヤーと言って、このレイヤーが多層構造しておらず、単層(あるいはせいぜい数層)になっていて、しかも、そのレイヤーは意識的な努力によって維持されている、というのです。

シングルレイヤーの人でも共存の本能があるので、一人は淋しい。だから人付き合いに外に出かけていくのですが、ぐったり疲れたり、あるいは失敗して傷ついて帰ってくる・・・一人のほうが楽で良いけど、一人は淋しくて・・これの繰り返しが多いんじゃないかと思います。

定型発達の人は多層構造を無意識に維持しているがゆえに、「根っこの自己」との乖離は意識することはあまりありません。しかし、シングルレイヤーの人は、そのレイヤーを意識的に維持しているからこそ、乖離を強く意識する結果になるのではないか。だから、疲れない付き合いや社会参加を求めて「根っこの自己」を受け入れてくれる人間関係を求める。それが「ありのままの私を認めて欲しい」という希求につながるのではないか、という洞察が、上記のエントリの主張ではないかと思います。それには僕も同意します。

では、この「ありのままの私」が周囲に受け入れられる可能性があるかと言えば、答えはノーだと思います。「ありのままの私」とは社会性を伴わないむき出しの本能であり、そのままで行動すればわがままで未熟な存在と見なされてしまうため、他者と衝突することになり二次障害のうつでも引き起こすのがせいぜいだと考えられます。

だからと言って、レイヤー数を増やそう、とか思わずに、自分があまり無理せず維持できるレイヤーを維持しつつ、「変人枠」を活用して社会の中に活路を求めなさい、という話でありましょう。

ここで話は「アスペルガーライフblog」から離れます。

なぜ発達障害の人がAC(アダルトチルドレン)の文化にあこがれるのだろうか、それは彼らのシングルレイヤー特性が理由なのではないか、という話をします。

アダルトチルドレン(AC)とは、アルコール依存症の親の元で育った子(ただし成人したもの)の中に、社会に適応しながらも心の中に大きな不全感を持った人たちが目立ったことから生まれた概念です。

人間は誰しも「家庭」という一番小さな社会の中で「社会性」を子供の頃に身につけ始めます。それが社会性の一番の基盤をなします。しかし、アルコール依存症の親がいる家庭の場合、その「一番小さな社会」は世間のスタンダードとは大きく外れた基準がまかり通っています(つまり歪んでいる)。子供はその家庭に適応しなければ生き残れないので、その家庭の(歪んだ)スタンダードを身につけつつ大人になります。しかし、その社会性は、その子が大人になって出ていった一般社会では通用しません。そこで、適応に齟齬をきたしたり、過剰適応に至った結果、大きな不全感を抱くことになります。

AC概念は定型発達者を前提としているでしょう。社会性イコール前述の多層(レイヤー)構造です。ただ、そのレイヤーが現実に適していない、ということです。

ACは新しい社会性を身につける必要がある(その点では回復の手法はアル中と変わりない)のですが、そのためには、古い役に立たなくなったレイヤーを捨て、「ありのままの自分」をいったんは明確に意識する必要があるのだと思います。

赤子のような本能むき出しの自分を意識しつつ、新たな社会性を身につけていく(現実生活に適した多層構造を再獲得する)のが、ACの回復であり、まさに「回復と言うより成長」なのでしょう。ACというのは、分厚いレイヤーを構築する能力が元々あるわけですから、再獲得にも見込みがあります。

しかしここにシングルレイヤーの人が乗っかってしまうとどうなるか。彼らは「ありのままの自分を取り戻す」というアプローチに魅力を感じます。なぜならそれは単層レイヤーで社会適応に苦労してきた彼らにとって魅力的な出口に見えるだろうからです。

しかし、分厚いレイヤーを獲得する能力を持った元来のACとは違って、この自称ACのシングルレイヤーの人たちは、本能むき出しの状態に留まってしまうか、あるいはせいぜい再獲得できてシングルレイヤーに戻るぐらいです。結局「ありのままの自分を取り戻す」アプローチは、彼らにとって出口ではなく、むしろ社会性を減じてひきこもりや無業にしてしまう落とし穴になっているのじゃないでしょうか。

AC概念がアルコール依存症の子供に限られていた時代は、このようなミスマッチは少なかったのでしょうが、概念が機能不全家庭の子供にまで拡大されたことが、AC誤認を可能にしたと言えます。

それが僕がAC概念を使わなくなった理由の一つです。

ではシングルレイヤーの人には「ありのまま」アプローチの代わりにどんなアプローチが考えられるのか。僕はそんなに経験があるわけじゃありませんが、一つのことは言えると思います。

それは、上に書いたようにシングルレイヤーの人にも当然に共存の本能があることです。彼らは他者からの承認を強く求めています(その希求がありのまま指向となって現れているとも言える)。その承認欲求を満たすことが彼らが自己実現へ近づく道なのだと考えます。

具体的手段は、個別のケースごとに異なるでしょう。例を挙げれば、無業の人の場合には働くことが自己実現であり、承認欲求を満たす一つの手段です。一般雇用が可能なら普通に働けば良いし、場合によっては障害者雇用でも、時々バイトするぐらいでも良いのですが、働いて金銭を稼得することは、一般的に認められやすい、つまり承認を得やすいことですし、それが本人の自信や生きる喜びにつながっている例は多数あります。もちろん、働くことは多様な策の中の一つに過ぎないことは強調しておきます。被災地のがれきの片付けに行くことから充足を得る人だっているのですから。

他者の承認を求めるのは、人間の重要な欲求の一つであり、それを否定してはならないのです。しかし「ありのままの自分」が他者の無条件の承認を得ることはありません。赤ん坊ならいざ知らず、大人にはその可能性は与えられていません。「ありのままの私」は自分一人だけが認めてあげれば十分であるはずです。


2013年04月18日(木) 山麓閑話

ステップやアルコホリズムの話ばかりだと何なので、たまには違う話でも。

最近「円安」なのだそうです。1ドル100円近くになっています。ただ、年配の人は1ドル360円だった時代を憶えているでしょう。

対ドル為替レート(1950年以降)

これは、1950年以降の対ドル為替レートのグラフです(wikipediaより)。太平洋戦争敗戦後の1945年から1971年までは、1ドル=360円の固定相場制でした。その後1ドル=308円の時代を経て、1973年に変動相場制に移行しました。

その後しばらくは、1ドル=180円から300円弱を行ったり来たりします。これがざっと10年間続きました。

1985年のプラザ合意から2年後のルーブル合意までの間に、1ドル=120円まで円高が進行します。これは各国政府による協調介入で、意図的にドル安(円高)を実現するものでした。

それから2007年ぐらいまで約20年間は、100円から150円弱を行ったり来たりです。しかし2007年からは、政策によって円高がさらに進み、2011年に戦後最高値の1ドル=75円を記録。その後も70円台が続きました。

円高が進むということは、日本円の価値がドル換算で上がるということです。1ドル=80円とすると、円の価値は1ドル=360円時代の4倍になったということです。

例えば、時給720円で働いている人がいるとしましょう。1ドル=360円時代なら、ドル換算で時給2ドルです。それが1ドル=80円時代になると、時給が4倍になって時給8ドルです。円でもらっている額は変わらないのに、世界の基軸通貨であるドルではどんどん時給が上がっている計算になります。

給料をもらう側からすれば、日本円でもらう額が増えるわけではないので、特にうれしくありません。しかし、給料を払う側の企業からすればありがたくない話です。特に輸出企業の場合、国内の生産コストが上がるので、国際的な競争に不利になります(自社の製品が勝手に値上げされてしまうようなもの)。

輸出が減る一方で、海外のものが相対的に安くなるので輸入が増え、結果としてGDPの伸び率が悪くなって不景気になります。これが円高不況と呼ばれるものです。1971年以降、長期的に見れば、日本はどんどん円高へと進んできました。この40年間、日本の経済は円高不況との戦いの連続だったと言っても過言ではありません。

一般に、輸出産業の生産性は高く、輸入産業は低くなります。しかし、円高になり不況になると、輸出企業は海外に生産拠点を移してしまいます。実際日本では1980年代以降、自動車や電機の企業がどんどん工場を海外に移転させてきました。新規の投資も多くが海外に対して行われています。

これは生産効率の高い仕事が海外に流出し、効率の悪い仕事が国内に残るということです。効率が悪いとは、キツイ仕事を長時間しても給料が少ないということです。企業は競争に勝つために「効率化」を追求しました。特にバブル期以降、経済団体の発表する文章には効率化の文字が目立ちます。

そして働く従業員にも効率化が求められました。無駄な時間を使うな。のんびり仕事をするな、ということです。無駄の排除ということです。

効率化は企業が生き残るのに必要なことでした。そうでなければ国際競争に勝てず、国内の競争相手にも負けて、市場から撤退(つまり倒産)させられてしまうのですから。

ただ最近思うのは、効率化=非効率(無駄)の排除は、日本全体にとって良いことだったのだろうか、ということです。

どんどん効率化が行われてきた、ということは裏返せば、昔の日本の職場は余裕があった(無駄だらけだった)ということです。何十年か前の日本では「職場結婚」というのが多かったのですが、それには職場で若い男女が親しくなるだけ雑談できる余裕があり、周囲もそれを容認する労働環境だったということです。少子化と効率化は無関係ではありますまい。

また、効率化を求められても、効率よく働ける人たちばかりとは限りません。うまく働ける人たちは、不景気でそれなりの仕事を保ち続けることができるでしょう。しかし、効率の悪い人たちは、労働市場の脇に押しやられ、きつくて賃金の安い仕事をするか、する仕事がなくなってしまうかです。

低収入に対して自己責任論が横行するのは、アメリカからリバタリアニズムを押しつけられているからでしょう。(この一言だけでバッサリ切って片付ける)。

労働効率が悪くて市場から閉め出された人は、福祉政策の対象になります。ところが生活保護費を支給しようにも、原資となる税金を納める人たちが減っているのですから、国は赤字になります。最終的に増税するしかありません。また、企業が排除した人たちを、障害者雇用の特例子会社のような形で、法律で企業に背負わせる仕組みを拡充するしかなくなります。

非効率を排除して効率化を成し遂げたつもりでも、非効率さは消えてなくなることはなく、巡り巡って戻ってくる。効率化とは幻想なのです。非効率さが戻ってくると、さらに効率化の努力をする・・・悪循環です。

ここ数年、発達障害のことが取り上げられるようになってきたのは、2007年以降一層進んだ円高の影響もあるでしょう。究極の効率化を求められた企業から、何らかの非効率さ(発達特性)を抱えた人が排除され、そうした存在が目立ってきたことが関係しているはずです。発達特性を抱えた人が急に増えるはずもはく、昔から日本に存在していたはずです。それが非効率さの中で許容され、障害とは見なされていなかったのだと思います。

効率化は局所的な正解です。生き残らなければならない企業経営者が効率化を求めるのは当然です。しかし、効率化を社会全体の正義にしてはいけません。それは、国全体から見れば、支出の増大と増税による不景気をもたらすだろうからです。

非効率さを目の前から追い払うことはできますが、それは消え去りはせず、必ずどこかに存在し続けます。少なくとも、効率化が円高への処方箋にならなかったのは明らかです。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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