心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2012年12月24日(月) スポンサーの死

(最初の)スポンサーが亡くなりました。年賀欠礼のハガキが届き、奥様に電話を掛けてみたところ、ガンの闘病を終えて先週亡くなったと知らされました。スポンサーと最後に会ったのは、何年前だったのか思い出せません。それほど会っていませんでした。

僕が彼と出会ったのは、彼のソブラエティがまだ1年半ほどだったと思います。長野県内で断酒会が成立したのが1970年代だそうですが、その頃から彼は何とか酒をやめようと苦闘し、十数年後にようやくAAでまとまった期間、酒をやめ始めた、という頃でした。

気性の激しい人で、キレると男二人がかりでないと止められませんでした。エンコ(小指)がなく、「俺は酒のせいでヤクザもできなくなったんだよ」が口癖でした。刑務所の中の話も良く聞きました。その人が、理屈ばっかり言う僕のスポンサーをよくキレずに務めてくれたものだと思います。いや、キレそうになるのを堪えている様子はよく見て取れました。それまで失敗続きで、誰か一人ぐらい助けなくちゃと思っていた、と後年語っていましたが。

活動量の豊富な人でした。僕がつながったグループは実質彼と奥さんだけのグループでしたが、週に二回、水曜と土曜のミーティングを休まずに開けていました。それから当時隣県には県庁所在地に唯一AAがあるだけでしたが、その会場すら維持するメンバーがいなくなったため、毎週火曜と金曜の会場も開に行っていました。それから、僕の住んでいた街にあった月に1回の会場や、僕の入院した病院のAAメッセージを維持していたのも彼でした。現在、長野県内にはおそらく70人ぐらいのAAメンバーが酒をやめているでしょうが、県南部のAAの礎を作ったのが彼でした。また隣県のAAも、彼なしには維持されなかったでしょう。

さらに、僕が会うたびに「昨夜は東京のミーティングに出た」とか「先週は大阪に行った」という話を聞かされていました。易々と県境を越えてAAの活動していたメンバーが、20世紀にはたくさんいましたが、彼もその一人でした。

AAのグループやメンバーが増えて行くに連れ、彼はローカルなAAの先駆者として精神的なリーダーに祭り上げられていきました。AAにリーダー(指導者)がいないわけではありません。AAのリーダーは号令を掛けるのではなく、模範を示すことによって人々を導いていきます。どこであれリーダーは必要とされるものです。彼は「俺にはふさわしくない」と苦情を申し立てましたが、僕も含め周囲が彼を奉るのをやめることはありませんでした。

尊敬を受けることで彼の中に沸き上がる様々な欲が、彼自身をさらに悩ませ、最後彼はAAから身を引きました。そうして残された僕らは、自分で判断して、自分でその結果の責任を負う、という精神的自立を求められました。やがて彼の存在を知らないメンバーが増えていきました。

飲んでいた頃、酔っぱらいながら彼の家を訪問したことが一度だけあります。その時、僕は「あんたのAAを俺に任せたらメンバーを100万人にしてやるぜ」と彼を挑発したおかげで(!)、ずいぶん後になって彼から「お前は本当に狂っているから気をつけろよ」とからかわれることになりました。でも不思議なのは、まだ自分の酒すら止まっていなかった僕が、なぜ「あんたのAAを俺に任せろ」と言ったのか。彼のAAに対する無闇な愛情に、すでに僕も感化されていたのかもしれません。

彼はステップ1も2も3も、ともかくミーティングに行けとしか言いませんでした。当時のストーリィ形式のステップ5も聞かずに、他のメンバーに任せました。実のところ彼は、AAのプログラムのことなんか、まるで分かっちゃいなかったのだと思います。まるで分かっちゃいなかったけれど、それでもともかくAAを愛し、信じていた。仲間を助け、その中で自分も助けられるのだと信じていました。あの頃は、そういうタイプのAAメンバーがたくさんいて、その人たちによってAAは全国に広がりました。

彼らによってAAという「器」は全国に広がりました。後からやってきた僕らは、そのAAという「器」の中で、ともかく酒をやめることができました。今、僕らの世代に求められていることは、彼らが用意してくれた「器」に「中身」を盛ることなんだと思います。

彼がAAを離れてからは、滅多に会うこともなくなりました。彼が若い頃の無茶な生活のせいで体を痛めていて、しばしば入院するようになったことも聞いていましたが、見舞いに行ったのは一度きりでした。「俺の前に来るより、その時間で新しい人の相手をしろ」という言葉に甘えて、そのうちにと先延ばししているうちに、その日は来てしまいました。

僕のやり方は彼のやり方とは全然違います。でも彼の目標を僕の目標として受け継いでいる、という自負はあります。感謝を伝えることは滅多にしなかったけれど、彼があの頃キレるのを堪えたことは、決して無駄ではなかったと思ってもらいたい。それが僕のするべき感謝の示し方だろうと思っています。彼が身を引いた苦しみ悩みもよく分かります。だが、あえてそれを引き受ける者がいても良いと思います。

スポンサー夫妻は、AAミーティングに部屋を借りている教会の信徒になっていました。教会の定例のミサの中で彼のことを追悼すると聞いて、半日仕事を休んでミサに出席させていただきました。奥様が一番良い写真を選んだのでしょう。「別人みたいだね」と皆でうなずきあいました。泣いている人もいましたが、自分はまず泣かないだろうと思っていました。だが、「また会う日まで」と賛美歌を歌いながら、ああもう会えないのだと思うと、ふいに涙が溢れました。

神ともにいまして 行く道を守り
  あめの御糧もて 力を与えませ
また会う日まで また会う日まで
  神の守り 汝が身を離れざれ


2012年12月19日(水) 頑張らない(発達障害)

発達障害を抱えたスポンシーと話をしていました。

彼は仕事(あるいは勉強)を「よし頑張ろう」と心に決めると、仕事や勉強を頑張るだけでなく、コップを洗うとか、その他いろんな事にも頑張りすぎてしまうので、1時間もするとへとへとに疲れ果ててしまうのだそうです。

う〜む。

「頑張らない」(頑張りすぎない)っていう言葉がありますが、これはまさに発達障害の人のためにあるような言葉だなと思った次第です。

過集中の結果で頑張りすぎてしまう場合もあるでしょう。また自閉的特性がある場合は、ほど頑張るという「ほどよく」という曖昧なところが把握できないから頑張りすぎてしまうこともあるでしょう。

この「ほどほど」とか「ちょうど良いところ」が分からないのも発達障害の特性の一つです。

発達障害の解説本に出てくる例を挙げれば、ほうきを手渡して「この部屋を適当に掃き掃除しといて」と頼んでも、その「適当に」がわかりません。なのでむやみに時間をかけて丁寧にやっていたり、あるいは逆にずさんだったり、または「適当に」が分からないので混乱して途方に暮れたりとか・・・。

だから例えば「3分間かけてこの部屋全体を掃いて、最後にちりとりでゴミを集めて捨てたら終わり」という具体的な「適当さ」を指示することが必要なのでしょう。それができて、さらに「今日は汚れが酷いから3分じゃなくて5分かけてやろう」とかいう調整が自分でできるようになれば、適応に問題なくなると思います。

(ただ、掃き掃除のほどほどが把握できても、それがぞうきんを使った拭き掃除に応用できるかどうかは別ですが)。

だから、先ほどの頑張りすぎてしまう、集中しすぎてしまうっていうことに対しても、ただ「頑張らない」「頑張りすぎない」って言っているだけではダメなのでしょう。例えば「1時間のうち、20分間は意識的に集中して取り組んで、30分は集中できなくていいのでともかく取り組んで、残り10分は休憩」とかいう具体的な話をすれば(あくまで例ですよ)、ほどほどに頑張ることができるってわけなのでしょう。

話は変わって、AAのビッグブックはビル・Wの修辞に満ちた文章で書かれています。

 修辞:ことばを有効適切に用い、もしくは修飾的な語句を巧みに用いて、表現すること〜広辞苑より

発達障害を抱えた人がビッグブックを読むと、ビルの修辞法によって混乱させられてしまうことはしばしばです。

例えば42ページには「最初はか弱く見えた葦が、実は神の力強い愛の手であることがわかった」という文章があります。これだけ読んだら「なんのこっちゃ」ですが、前後の文章や、ビッグブック全体の組み立てを見れば、意味は分かります。

ビッグブックが書かれた時代、つまり初期のAAメンバーたちは、12ステップ(の原型)によってアルコホーリクが回復できるのか心許なかったわけです。「か弱い葦」というのは頼りなさの表現です。けれど、最初はビル・W一人から始まった12ステップが、3年ほどで数十人を回復させるだけの実績を残しました。その結果、彼らは12ステップには確かにアルコホーリクを回復させる力があると確信を深めた、というわけです。それが「力強い神の愛の手」という表現です。

ところが「ここに出てくる<神>って何だろう」というような細部に囚われてしまうと、ビルの言いたいことがくみ取れなくなってしまいます。

だから、「最初はか弱く見えた葦が、実は神の力強い愛の手であることがわかった」という文章を、「最初は私たちも12ステップでアルコホーリクが回復できるのか自信がなかったが、多くの実績が積み上がるにつれ、確かに12ステップで回復できるのだと確信を抱くようになった」というふうに修辞を解いた文章にして伝える必要があるわけです。

他にも、ビル・Wは同じ事を同じ言葉で表現することを嫌い、別の言葉で言い換える傾向が強くあります。

12ステップの文章を見ても、ステップ5では「過ち」とあり、ステップ6では「欠点」とあり、ステップ7では「短所」とあります。(それぞれ英語では wrongs、defects、shortcomings)。これはすべて同じ事を指し示しています。それを「欠点」と「短所」ってどう違うのか、っていう細部にとらわれてしまうと、そこで理解が止まってしまいます。

他にも、ビッグブックには「酒をやめる」という言葉が何度も出てきます。逆に酒が「やめられない」という言葉も出てきます。ここでいう「やめられない」とは、毎日飲んでいる酒を切って断酒することができない、という意味で使われているケースは(あるにはあるが)少ないのです。そうではなく、自分の力で再飲酒を防ぐことができない、ということを指して「酒がやめられない」という言葉を使っています。

だから「飲み始めの早いうちだったら、私たちのほとんどは酒をやめられたろう」という文章の意味は、アルコホーリクになる以前だったら、自分の(意志の)力で再飲酒を防いでいくこともできただろうが、もう本物のアルコホーリクになってしまっているなら、意志の力は酒の魅力の前にいつかは敗れ去り、未来のどこかで飲んだくれに戻ってしまうのじゃないか・・という問いかけの一部なのです。

ビッグブックってのは、なんで70年以上前の、こんな分かりにくい文章のまま使っているんでしょうね。その理由は僕にも分かりませんが、聖書もシェークスピアもそのまま使っているじゃないか、と答えることにしています。


2012年12月12日(水) 上から目線

上から目線についての話をする前に、世の中の序列について話をしなければなりません。

世の中、何にでも序列ができるのは避けられません。例えば、あなたがスイミングスクールに入って水泳の上達を目指すとします。スクールの会員は全員平等です。しかし、目的が水泳の上達なので、そこに優劣が生まれます。泳ぎのうまい人は、このようなフォームだと早く泳げるとか、息継ぎやターンのやり方、トレーニングの工夫など、いろいろなスキルを持っています。ビギナーにはそれがありません。だから、ベテランはビギナーに教えることができます。

世の中、どこへ行っても、こうした何かの基準で序列や上下関係が生まれることは避けられません。

けれど、例えば会員が集まって忘年会をやりましょう、という話になったとき、ベテランの意見が重視されるとは限りません。むしろ親睦を深めるために、新しい人たちの都合にあわせて日取りを決定することも十分あり得ます。これが平等性というものでしょう。

目的が序列や上下関係を作り出す。しかし、目的とは無縁な評価基準はここに持ち込まないのが集団の平等性、民主制ということでしょうか。

泳ぎがうまくなりたい人は、コーチやベテランから教えられても「上から目線が気に入らない」とは思わないはずです。思わないのは、教えてくれる相手の持つ技量への敬意があるからでしょうね。自分もそれを欲しいし。

一方、初心者が別の初心者の泳ぎを見ながら「あいつは息継ぎが下手だなあ。具体的には××が○○で・・」などと言っていたとすれば、「お前も初心者で、自分もできてないのに、上から目線で何を言っておるんじゃ!」となるでしょう。

つまり「上から目線」と感じるかどうかは、相手の態度の問題というより、自分が相手をどう評価しているかにかかっています。自分が相手を高く評価していれば「上から目線」とは感じないし、相手を低く評価していれば「上から目線」と感じる、というわけでしょう。「上から」という表現そのものが序列を前提とした言葉です。

ところで、最近ネット上では「上から目線」に対する批判が目立つような気がします。

確かに「上から目線」は気持ちの良いものではありません。しかし、そう感じるかどうかは自分の問題ですから、「上から目線は良くない」と主張するのも何かしっくりきません。

そこで言われている「上から目線」は、上の例で言えばベテランに教えてもらっているのに、それが気に入らないという怨嗟の声です。(会社の新人教育担当者の態度が上から目線で気に入らないので、入ったばかりの会社を辞めちゃった、みたいな)。

「上から目線」への抗議は、ルサンチマンなのではないでしょうか。

ルサンチマン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%9E%E3%83%B3

上に書いたように、社会の中ではどこでも序列が発生しうるため、人は誰でも何らかの序列の下位に置かれることを避けられません。その人に能力や意欲があり、周囲の状況が許すのであれば、その序列の上を目指すことができます。しかし、それができない時に、人はルサンチマンによって自分を正当化します。

貧乏から抜け出せない時に、金持ち(資本家)を敵と想定して、「あいつらは悪人だ、だから俺たちは善人なんだ」という正当化がなされるわけです。これは想像上の復讐です。

努力しているのに貧乏から抜け出せないとか、何らかの制約によってその努力すらできない、という人がルサンチマンに一時の慰めを求めるのは理解され、同情されるべきことなのかもしれません。

しかし、「上から目線」への抗議は、同情されるべきルサンチマンとはどこか異なっている気がします。自らの無気力や怠惰に気づきつつ、それを自己正当化するために、問題を相手に転嫁する独善的な臭いが漂ってくるのです。「あいつは上から目線だから良くないのだ。だから私のこの反感は正当なのだ」という論理です。

では、自分がその類の自己欺瞞に陥らないためにはどうすればよいか。その答えは平安の祈りの中に見つかるのではないでしょうか。


2012年12月07日(金) 常識を疑え!

常識が非常識になる(Common sense would thus become uncommon sense)とは、ビッグブックの「ビルの物語」に出てくる言葉です。それまでの自分にとって常識だと思っていたことが、実はそうではなかったという気づきを示しています。

ジョー・マキューの言葉によれば、狂気とは「真実でないこと(虚偽、false)を信じること」です。回復とは、それまでのその人の常識が、実はそうではなかったと気づきがあるプロセスです。

僕が初めて出席したAAミーティングは「言いっぱなしの聞きっぱなし」と呼ばれるスタイルでした。人が話をしている間は黙って聞き、自分の番が来たら話す。クロストークが排除された形式で、AAで最も一般的なやり方です。そのグループのミーティングはすべてそのスタイルでしたし、他のグループも同様でした。

AAのオープンスピーカーズやセミナーと呼ばれるミーティングでも、同じスタイルでした。AAと似たようなグループでも、概ね同じ形式のミーティングをやっていました。

だから、AAの「すべての」ミーティングが「言いっぱなしの聞きっぱなし」スタイルで行われているはずで、AAとはそういうものだ、という常識が僕の中に形作られました。後になってそれは勘違いだったと分かるわけですが。

2004年頃に、スクリプト・ミーティングというのに出会いました。スクリプトとは台本のことです。通常の「言いっぱなしの聞きっぱなし」ミーティングに台本なんてありません。誰が何を話すか分かりませんから。けれど、スクリプト・ミーティングは参加者が台本を読み上げることによって進行しますから、内容は台本どおりになります。(実際には短い体験の分かち合いや質疑応答もあるので、厳密に毎回同じではないけれど)。

スクリプト・ミーティングに対しては「そんなやりかたはAAミーティングとは言えない」という意見もありました(僕も最初そう思った)。「言いっぱなしの聞きっぱなし」スタイルのミーティングが最もポピュラーなのは間違いがありませんが、それ以外のミーティングを行ってはならない、という決まり事はAAにはありません。

この雑記でよく取り上げる「ジョー・アンド・チャーリーのビッグブックスタディ」は、ジョーとチャーリーの二人が聴衆に向かってひたすら語るという、いわば講演形式ですが、でもこれもAAのミーティングとして大変に人気があり、これを聞いた人は20万人とも50万人とも言われます。

また、1950年代までのアメリカのAAでは、教室形式でビギナーに12ステップを教える「ビギナーズ・クラス」が行われ、高い成果を上げていたそうです。

数年前にある人がアメリカのAAミーティングに行ったところ、講師役のAAメンバーがホワイトボードに図を書きながら12ステップを説明していて驚いたそうです。これが普通のAAグループのミーティングとして毎週行われているというのです。こうしたやり方に対して反発はないのか心配して聞いてみたところ、「全くない」という返事でした。これが嫌なら別のミーティングにいけばいいのだから、何の不都合があるのだ? と逆に問い返されたそうです。

「言いっぱなしの聞きっぱなし」のミーティングでは参加者の体験が分かち合われます。このスタイルのミーティングしか出席したことがなければ、AA(や他のグループ)は分かち合いをするところで、分かち合いこそが目的であると考えてしまっても不思議ではありません。それが僕の勘違いでもありました。

すべてのAAミーティングには共通した目的があります。12ステップを伝えることで参加者一人ひとりに回復をもたらすのが目的です。分かち合いはそのひとつの手段に過ぎません。目的達成のために、別の手段を使うのもありでしょう。

もちろん、「言いっぱなしの聞きっぱなし」スタイルには利点があるから大部分を占めるに至ったのでしょうし、今後もAAで最もポピュラーな形式であることは疑いありません。

神さまと違って人間の能力は限られているので、全てのことを見聞き出来るわけではありません。自分の手に入る限りの情報から導き出した結論が、実は真実ではない、ということもあり得ます。まったくのウソではないにしても、局所解に過ぎないってことはよくある事です。

実際に講座形式のミーティングをやってみたら好評でした(講座というより会議みたいだったという話もありました)。僕が「ミーティングとは言いっぱなしの聞きっぱなしのみ」という虚偽の情報に囚われていたら、この新しい体験は得られなかったでしょう。

(自分の中の)常識を疑え!、というのが大切な姿勢だと思います。


2012年12月03日(月) 仮面

懸案事項がいくつか片付いて、ホッとすることの多い週末でした。掲示板は相変わらずですね。

僕は「ぬるい」スポンサーだと言われています。スポンシーに厳しいことをあまり言わない優しいタイプだという意味です。でも、何も言わないわけではありません。先日もスポンシーにこんな話をしました。特に個人的な情報はないので、書いても構わないでしょう。

背の低い人はかかとの高い靴を履く。髪の毛の薄い人はカツラをつける。こんなふうに人は自分の欠点(欠点だと思っているもの)を隠そうとします。それは何も外形的なことに限りません。自分がわがままだと周りの人に思われたい人はまずいないでしょう。だから、わがままだと思われないように振る舞おうとします。自分にわがままな部分があることを自覚しつつ、それを隠そうとするのは、言わば心に仮面をかぶって、その下の欠点を覆い隠すことです。

こうした仮面は、人が社会の中で生きていくのに必要だから身につけたもので、誰でも多かれ少なかれやっています。必要があってやっていることであるのは、忘れてはいけないことでしょう。

自分に役に立っているはずの仮面ですが、時にはそれがその人の行動を縛ることがあります。仮面の下の醜い真実が見えてしまったら、自分は人から拒否されるのではないか、という不安に支配されてしまうことがあるわけです。こうした恐れが強くなると、自分を守ろうと仮面をより強く顔に押しつけ、仮面の下を見られないように一層気を使うことになります。それは極めて不自由で、安心のない暮らしを送ることになります。

あなたが周りの人に受け入れられたのは、あなたが完ぺきで欠点のない人間だったからでしょうか。それを考えてみて欲しいのです。仮面によって欠点を隠し通すことなどできはしません。靴やカツラをつけっぱなしにできないように、仮面もかぶり通すことはできません。仮面で隠し通せたと思っていても、実はその下の欠点や醜さは、周りの人にはモロバレであるものです。

近しい人たちはあなたの欠点が見えていたにもかかわらず、あなたを受け入れていたのではありませんか?

(もしあなたが、ミーティング会場から追い出された経験があるにしても、それは酔っ払って(酒に酔ったのか感情に酔ったのか知りませんが)ミーティングの進行を邪魔するという行為をしたからであって、欠点ゆえではないでしょう)

仮面で欠点が隠し通せるわけでもないし、欠点が見えたからとして近しい人に拒否されるわけでもない。神さまは完ぺきかも知れませんが、人間はそうではない。必ず欠点があるものです。お互いの欠点を受け入れあって生きているのです。

だからあなたに必要なのは、もっと人を信じるということです。先に言ったように、仮面は必要な道具ですが、そんなに顔にきつく押しつける必要はない。

もうひとつは、これはもっと大事なことですが、仮面で欠点を覆い隠せない以上、他の人の欠点が目立つこともあるでしょう。その欠点を持った人を受け入れることです。生まれてからずっと人にしてきてもらったことなのですから、それを他の人にしてあげることはできると思いますよ。

もちろん、書いた文章だからある程度まとまっていますが、話す言葉はもっといい加減です。また、言うにもタイミングがあることも学びました。少なくともスポンサーシップの初日に言っても仕方ありません。


2012年11月28日(水) なんでも褒めりゃ良いってもんじゃない

アル中は人を褒めるのが苦手だと言います。

本当かどうか知りません。でも無理もないことだと思います。人は自分がしてもらってないことを、人にするのは苦手です(苦手ではなく出来ないと言うべきか)。飲んでいるアル中は人に迷惑ばかりかけて、褒められることはしてないのですから、人を褒めることが出来なくなるのも不思議ではありません。

アメリカのAAスポンサーの中には、スポンシーに人を褒める練習をさせる人がいる、と聞いたことがあります。人を褒められないと立食パーティの時に話題に困りますしね。人を褒める能力というのは、惹きつける魅力の一つかも知れません。「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」と行ったのは山本五十六だそうです。

『自閉症スペクトラム障害のある人が才能をいかすための人間関係10のルール』(Unwritten Rules of Social Relationship)という本の中で、テンプル・グランディンは、最近の人たちは(褒めて動かされることに慣れてしまったので)褒められないと何も出来なくなってしまった、と嘆いています。褒めて伸ばす教育にも罪作りな一面があるというわけです。

今回は、アディクションの人に対してであれ、発達障害の人に対してあれ、人を褒めるのにもやり方がある、という話です。

以前に fixed mindset(固定思考)とgrowth mindset(成長思考)という話を取り上げ、このサイトを紹介しました。スタンフォードの心理学者キャロル・ドウェックの話です。

自分の能力を固定的に考える人と成長し続けると考える人
http://d.hatena.ne.jp/himazublog/20060318/1142697735

参考キーワード:実体理論、拡大理論

fixed mindset(固定思考)の人は人間の本質的な部分は変えられないと信じています。となると、良い人生を送るためには、失敗を避け、欠点が露呈するのを避けて良い評価を保とうとします。一方growth mindset(成長思考)の人にとっては、人生は成長の連続であり、失敗によって自分の価値が減るわけではないので失敗を恐れません。

固定思考の人にとって、自分に欠点が存在することは自己評価を下げるだけですから、自分に対して甘い評価を求めます。一方、成長思考の人にとっては、成長するためには自分の現状を正確に知る必要があるので、自分に対する正確な評価を求めます。

自分を回復させ、人の回復を手助けすることは、変化を促すことでもあります。固定思考の人には失敗からの立ち直りが難しいのですから、成長思考に変える必要があります。また12ステップの棚卸しも、自分の正確な現状を知る作業ですから、固定思考のままでは苦痛なだけで、棚卸しすることの価値を感じられないでしょう。

ではどうやったら人を(自分を、他者を)成長思考に導けるのか。

先のリンク先の中に、ドウェック先生がやった実験が紹介されています。

子供たちを二つのグループに分け、片方は良い結果を出した場合にその「結果」を褒めました。すると、そのグループの子供たちは、困難に出会うと簡単に諦めてしまうようになりました。良い結果が見込めない場合には、失敗を避けることで自尊心が傷つかない行動を選んだと解釈できます。つまり、固定思考を持ってしまい、成長しようとしなくなってしまったわけです。

もう一方のグループは頑張った場合に、その頑張りを褒めました。良い結果がでたかどうかに関わらず、その努力の姿勢を褒めたわけです。そうすると、そのグループの子供たちは、困難に出会っても、前にも増して頑張ろうとしました。成長思考になったということです。

(ドウェック先生はもうひとつ「上手なやり方」に対して褒めることも挙げています)。

自分を回復させよう、変化させようという「努力の姿勢」に対して結果にかかわらず褒める、ということが大事なのでしょう。ミーティングに通うのが嫌で、駅まで行ったけれどそこで嫌になって家に帰ってしまった、というスポンシーに対して、嫌味を言うのではなく、駅まで行く努力をしたことを褒めれば、やがては雨が降る嫌な晩でもちゃんとミーティング会場に現れるようになるわけです。

(逆に言えば、出来て当たり前のこと、やって当たり前のことは褒めないほうが良いかも)

最初は褒められるというインセンティブで努力していた人も、やがて成長思考に切り替われば、自分が努力すれば回復できるという自己効力感を得て、外からのインセンティブがなくても継続的に変わる努力ができるようになっていくと思います。

相手の頑張りを褒めるためには、相手に関心を持ってよく観察していなければなりません。同時に沢山のスポンシーを持つことが出来ない理由、忙しすぎるスポンサーが良くない理由の一つでありましょう。

発達障害の人にとって障害は「変えられないもの」なので、変化を促すのは良くないのではないか、という意見もあるでしょう。障害は障害として、その人に変えられる範囲で自分を変える努力が出来た方が良いと思います。いくらその人にとって安定的な環境を用意しても、季節の変化や社会情勢の変化によって環境は刻々と変わっていきます。それにまったく対処する術を持たない、というのは不幸です。

テンプル・グランディンの嘆きは、褒めることで人を動かそうとする安易な処世術を使う人が増え、しかも「結果」を褒める人たちが増えた結果、世の中に固定思考の頑張り嫌いが増えたことを示しているのじゃないかと思う次第です。

経済活動(仕事)の場合には成果が求められるので、結果を褒めるのもありでしょう。だって報酬とか昇給、昇進というインセンティブが別にありますからね。けれど、こと回復という分野では、結果を褒めるのは避けるべきだ、という話でまとめてみました。


2012年11月26日(月) 高橋会長の思い出

もう10日ほど前になりますが、断酒会の高橋会長が亡くなりました。

会長その人の存在を知ったのは、僕がまだ飲んでいた頃でした。アルコール病棟の3ヶ月にはヒマな時間がたっぷりあります。患者たちは無駄話に興じ、その中には断酒会やAAの話題も含まれていました。

当時僕がAAについて知った伝聞情報は「黄色い小さな冊子を読み、神とか言い、自分はアル中だと名乗る謎の人々」というものでした。まあ間違ってる情報は無いかも。

高橋さんはある断酒会の会員だったのが、その会の運営が気に入らず、会を飛び出してみたものの、やはり自分には仲間が必要だと気付いて、自ら別の断酒会を始めたという噂でした。

AAには「彼は恨みとコーヒーポットを持って出ていった」という言葉があるそうです。グループの運営方針を巡って対立したメンバーの一方が、グループから出てしまう。けれど、一人で酒をやめ続けることは出来ないと気付き、やがて別のAAグループを始める。さらに時間が経つと、元のグループと連携して活動するようになる。アメリカではそんな風にしてAAグループが増えることが多かったのだそうです。もちろん日本も同様です。会長はそれを地で行ったのです。

実際に会長にお会いしたのは、僕の最後の入院中でした。会長は病棟のロビーを訪れて、タバコを吸っている患者に声をかけていました。僕も断酒会に誘われましたが、「すでにAAに行くことに心を決めています」と言ってお断りしました。

退院してAAに戻ったところ、スポンサーから「自分でAAグループを始めなさい」という提案をもらいました。まだソーバーだって1〜2ヶ月だし、他のメンバーもいないし、無茶すぎると思いましたが、何しろスポンサーの「提案」です。ともかく、会場やコーヒーセットやハンドブックを揃えて準備しました。

始める前に、県内のAAグループを回って「始めることになりましたんで、一つよろしく」と挨拶をしてまわりました。反応はだいたい一緒で、「ソーバーが短すぎる、せめて1〜2年やめてからにしろ」とか「他に一緒にやってくれる仲間はいないのか」と言われるのですが、スポンサーに言われたんでと言うと、皆さん「それじゃあ仕方ない」とおっしゃいまして、やっぱりそうなのかと。

ついでに、近在の断酒会にも挨拶に回った方が良いのじゃないかと思って、3カ所回った一つが、会長の断酒会でした。ただ、この時のことはあんまり憶えていません。断酒会しかなかったところへ初めて出来たAAでしたから、いわば異分子であり、その後のそちこちからAAに対する謂われのない非難も受けましたが、会長がそうした声を諫めてくれたとも聞いています。

それから十数年が断酒会ともその例会とも縁が薄いまま過ぎました。あるとき引き受けたスポンシーがどうにも不安定で、ヒマにさせておくと飲んでしまいそうでした。毎晩AAミーティングに出て欲しいのですが、東京や大阪のような大都市圏と違って、長野では毎日AAに行くことが難しく、どうしても空きの曜日が出来てしまいます。

そこでスポンシーに「その曜日は断酒会に行ってくれ」と伝えました。AAメンバーに断酒会に行けと言うと嫌がる人が多いのですが、この彼は素直に分かりましたと言うではありませんか。とは言うものの、そのまま送り込んで、何かトラブルがあってはいけません。最初の一回は一緒に行って、これからこの人に通ってもらいますのでよろしく、と挨拶することにしました。

十数年ぶりの例会でした。僕が出席簿に書いた住所名前と僕の顔を見て、会長が「ずいぶん前に一回来ただろう」と言われたのでビックリしました。そんな昔に一、二回会ったきりの人を憶えているとは、これは常人ではないだろうと(少なくとも僕には出来ない)。

それからスポンシーもよく面倒を見てもらいました。またスポンシーの家族もその断酒会に通うようになりました。当地はアラノンの活動が不活発なので、家族が通えるグループがなかなかありません。会長の断酒会は家族の出席が多く、それによるスポンシーの家族の変化が、スポンシーのソブラエティの助けになったことは間違いありません。(個人的には家族の出席が多い断酒会は良い雰囲気だと思います)。

それからは僕の関わる別の団体のセミナー関係でお世話になり、年に何度かは例会に出席するようになりました。いつ行っても盛会で、会の運営もいろいろ勉強になりました。

過去には会長が会を割って出たことに対して他の会から非難もあったそうですが、やがては推されて県断連の会長も務めたと聞いています。それを降りた後に、新聞記事にもなった金銭トラブルが起き、事態の収拾のために再び会長に推されました。警察との折衝など、かなりお疲れの様子がうかがえ、心配したものです。

会長がガンで入院して、余命に限りありと聞いたときは残念でした。幸い定期的に退院して家に戻ると知り(それがさらに命の限りを感じさせるわけですが)、僕らのホームグループのミーティングに会長ご夫妻をお招きして、1時間ほど話を伺う機会を作りました。(奥様の話のほうが人気?でしたけど)。

その後で質疑応答みたいな時間を設けたのですが、メンバーの一人が「アル中に接するときに気をつけていることは」と聞いたところ、「相手が酒をやめていることに尊敬の気持ちを持つことだ」という答えでした。相手が一日しか酒をやめていなくても、その努力を認めてやり、敬意を持てば、それは必ず相手に伝わる、という話でした。

口ではどんな厳しいことを言っていても、心の中で相手を努力を尊重する気持ちは、必ず相手に伝わる(ただし、伝わるのにずいぶん時間がかかることもあるが)というのは、僕も同じ気持ちです。

会長が表彰を受けたという話は僕も喜びました。
http://www.ieji.org/dilemma/2011/12/post-374.html

ある医師が、僕の最近の活動を評して「高橋会長の若い頃に似ている」と言ったと伝え聞いたときは、正直嬉しかった。偉大な先輩に例えられるのは悪くない気分です。ただ、正直、あそこまでのことはできない、とも思いますが。

病院にお見舞いに行けたのはつい先頃でした。すでに認知症が進んでいて、僕のことは憶えてらっしゃらいませんでした。共通の知人(他の断酒会の会長さんとか)の話をしましたが、その人たちもすでに故人です。お別れ会には多くの人が集まったと聞いていますが、僕は出張で行けず、スポンシーに香典を持たせただけでした。

十数年前、断酒会は活発でした。会の支部ができ、その支部が独立して一つの会になり、またその支部が出来る・・と広がっていきました。現在では残念なことに高齢化が進み、後継者不足が深刻だそうです。すでに活動をやめ休会になったところもあります。でもそのぶんのアルコホーリクをAAが吸収できているわけではありません。難しい時代になったものだと思います。

下手に墓参りになど行こうものなら、そんな時間があったら生きている人間のために何かやれ、とあの世から叱られそうな気がします。あと人間にはロールモデルが必要なんだということね。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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