心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2011年07月04日(月) ギャンブルと脳

日本には依存症の回復施設が100以上存在するでしょう。
そのいくつかから、毎月ニュースレターが送られてきます。入所者の書いた経験談や施設の活動の様子が載っているニューズレターを読むのは、楽しみと言えば楽しみです。こうしたニュースレターは施設の広報活動であるとともに、寄付(献金)の要請の意味も含まれているものです。我が家には余分なお金はないので、なるべく寄付はしないで済ませたいと思っているものの、誠実に運営されている施設は応援したい気持ちもあり、たまには送金しています。

ではどんな施設を選んで送っているかと言えば、情報公開をしているところです。例えば、先月は何人入所して、何人退所したので、現在利用者は何人。プログラム完了による円満退所は何人で、自己都合の中途退所が何人。あるいは寄付金は総額いくら頂きました・・などと書かれていれば、「ああここは真面目にやっている」という印象を受けます。

アメリカみたいな「小さな政府」を標榜する国は、税金が安い代わりに行政サービスも最小限になり、すると行政の福祉機能が薄くなるために、それを民間団体の活動が補っています。そして、寄付を税金から控除できる仕組みを用意することで、政府が寄付を促しています。政府が一方的に高い税金を徴収しサービスを提供するよりも、税金を安くする代わりに市民が責任を持って優れたサービスを提供する団体に寄付をする「寄付文化」が育っていると聞いています。

もう10年以上前でしょうか、日本も寄付した額が税金から控除できるようになれば、依存症の回復施設の運営も楽になるかも・・という話をしていたものです。NPO法人という仕組みはできたものの、単なるNPO法人に寄付しただけでは控除は受けられず、「認定NPO法人」の認定を受けたところへの寄付だけが対象となります。

脱税に使われないために、認定NPO法人の認定基準はかなり厳しく設定されており、全国に三万以上あるNPO法人のうち認定を受けているのは1%もありません。

ギャンブルの施設の「ワンデーポート」から、認定NPO法人の認定を受けたという喜ばしいニュースが届いたのが今年の春でした。おそらく全国の依存症の回復施設では唯一ではないかと思います。

話は変わって、以前見たギャンブル依存に関するテレビ番組では、ギャンブルをしている人の脳の活動を動画像化していました。(番組中に解説はありませんでしたが、おそらく近赤外分光法なのでは)。その動画では、脳の活発に活動している部位は赤く、そうでない部位は青く表示されていました。普通の人は、ギャンブルをすることによって興奮を味わい赤い領域が広がっていくのですが、ギャンブル依存の人は逆に青い領域が広がっていきました。興奮するのではなく、落ち着きを味わっているわけです。アルコールのような沈静系の薬物を飲むと、脳の興奮が静まって落ち着きを感じます。ギャンブル依存の人がギャンブルをしているときにも同じことが起きているのかも知れません。

ADHDの治療薬として使われるコンサータ(メチルフェニデート)は中枢神経刺激薬で、アンフェタミンのような覚醒剤に近いものです。コンサータを服用することによって、扁桃体の活動が賦活され、脳の過剰な興奮が収まってADHDの人が落ち着くと教えられました。覚醒剤にも似た効果があると考えられており、普通は覚醒効果を味わうために覚醒剤を常用することになるのですが、素因としてADHDを抱えていて、落ち着きたいがために覚醒剤に手を出す人もかなりいるのではないかと考えられます。

アルコール依存になる人は、落ち着いた安らいだ気分になるためにアルコールを薬として常用してしまうわけですが、(すべてとは言わないが)ギャンブル依存や覚醒剤依存になる人のなかにも同じ動機によって依存を形成させる人がいるのでしょう。きっとたぶん。

依存と脳の話題を始めればキリがありません。僕みたいな素人の話よりも、専門家の話を聞いた方が面白いかも。ワンデーポートでは、京都大学の脳科学者、村井俊哉先生を講師に招いて「ギャンブルに依存する人の脳で何が起きているのか」というセミナーを行うそうです。今度の日曜日です。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~onedayport/page12-1.htm

残念なことに当日は別件があって行けません。行ける人がいたら感想をお聞かせ願いたいと思っております。


2011年06月24日(金) 県の薬物依存の調査

長野県精神保健福祉センターで、「薬物依存の相談機関における薬物依存症の相談・支援の実態」という調査報告を出しています。
http://www.shinshu-u.ac.jp/faculty/medicine/chair/pmph/shinshu-kouei/zassi2011_5_1/23.pdf


この調査はダルクに集中している薬物依存の相談の現状を把握するのが目的です。これを見ると、薬物依存症者の姿もすこし見えてきます。

当事者(本人)の年齢は20代〜30代が多く、40代からはぐっと減ります。これは以前県外のダルクスタッフの方にうかがったのですが、薬物(特に覚醒剤)の人は早くに亡くなってしまうケースが多く、なかなか40才まで生き残れないのだそうです。だからダルクの入所者で40代以降の人は少なくなるわけです。

薬物の人は若い人が多いのですが、それにはこうした事情があるわけです。

また、薬物というと覚醒剤を思い起こしますが、実際に問題となっている対象薬物を見ると、(たしかに覚醒剤も多いものの)、次に目立つのは「向精神薬」です。つまり処方薬の乱用・依存です。町中の薬局で睡眠薬や安定剤が比較的簡単に変えた時代があり、その頃は売薬の乱用が多かったわけですが、規制が厳しくなった昨今は医者が出した薬の乱用が多くなっています。

薬局で買いにくくなったのはブロンなどの鎮咳剤も同様。有機溶剤(シンナー)の規制も厳しくなったと聞いています。

医者が出した睡眠薬や安定剤は危険なのか? いや、決してそんなことはありません。今の向精神薬の安全性は高いものです。・・・ただしそれは、「普通の人にとっては」という限定条件付きです。

一つの化学物質(例えばアルコール)の依存症になった人が、別の化学物質の乱用や依存症にもなりやすいことはもう50年も前から言われていることです。アル中になって酒はやめたけれど、医者の出した処方薬の乱用でダルクに入所することになる・・という話もふつうにあります。

この調査で一つ不満なのが、「初めて使用した薬物」の選択肢に「アルコール」が入っていないことです。この質問の選択肢に「アルコール」を入れればそれがナンバーワンになるはずです。最近大麻をゲートウェイドラッグと呼んで大麻取り締まりを重要視する風潮が生まれてきていますが、実際には未成年の飲酒こそがまさにナンバーワンのゲートウェイドラッグなのです。

県では薬物のパンフレットも作っています。

「薬物の問題でお困りのあなたへ」
http://www.pref.nagano.jp/xeisei/withyou/inform/yakubutupannf_cl.pdf
「ご家族の薬物依存症でお困りの方へ」
http://www.pref.nagano.jp/xeisei/withyou/inform/yakubutupannf_fa.pdf


2011年06月21日(火) ビッグブックの分かりにくさ

前回、ビッグブックこそがAAの12のステップを説明した本である、という話をしました。だから、AAの12のステップについて知りたければ、ビッグブックを読むのが一番です。

ビル・Wもドクター・ボブも、オックスフォード・グループの一員で、初期のAAはオックスフォード・グループの一部として活動していました。そこには6つのステップからなる「教義」がありました。それがアルコホーリクを回復させるのに十分な効果を持っていたなら、彼らはオックスフォード・グループに留まったままで、AAは誕生しなかったでしょう。

彼らは新しいものを作る必要がありました。当然痛ましい失敗もありました。ビルとロイスの家の居間で自殺したアリコホーリクもいました(AA p.24)。彼らは失敗したやり方を捨て、うまくいった方法を残しました。そうやって試行錯誤と取捨選択を経た結果、完成したのが「12のステップ」であり、それを記録したのがビッグブックです。だからビッグブックには彼らの失敗についても書かれています。僕らはそれによって、「何をすべきか」だけでなく「何をしてはいけないか」も学ぶことができます。(だから僕らは車輪を再発明する必要はありません)。

ではなぜこの本がこんなに小難しいのか。それは当時はテレビがなかったからだ、とジョー&チャーリーは言っています。テレビがない時代に人々は楽しみを活字から得ていました。だから今よりずっと本が読まれていた時代であり、人々の教養もずっと高かったわけです。ウィリアム・ジェイムスの『宗教的経験の諸相』がベストセラーになる時代です。だからまっとうな本の文章は格調高く(つまり小難しく)なくてはならなかったわけでしょう。

僕らが手にするビッグブックは現代の日本語を使っています。つまり僕らは翻訳というフィルターを通してビッグブックに接しているので、その古めかしさはダイレクトには伝わってきません。しかし、現代のアメリカのAAメンバーにとってはその古さは当惑の対象だそうです。彼らがどう感じているか、日本人の僕は想像するしかありません。当時の日本の文章はどうだったでしょうか。坂口安吾が1935年に書いた文章です。
青空文庫:文章の一形式 坂口安吾
(旧仮名がよけい古さを感じさせますが)。

ビッグブックを現代的にもっと分かりやすく書き直すべきだという意見もありますが、それが実現することはないでしょう(理由はビッグブックの前書き p.xv に書かれています)。AAやビッグブックが誕生した歴史を調べてみると、それはいくつかの奇跡と言っても良い偶然が積み重なった結果であることがわかります。そして、奇跡は狙って起こせることではありませんから、現代英語で新しくビッグブックを書き直しても、それがオリジナルと同じ効力を持つという保証は誰にもできません。

であるにしても、ビッグブックの分かりにくさは現実的な問題です。そこでビッグブックとは別に12ステップの解説書が出版されています。AA本体はそうした解説書を出すことを拒否しているので、そうした本はすべてAA以外から出版されています。日本語に翻訳されたものだけ挙げても、回復研から出されている『「回復」のステップ』(赤本)、『ビッグブックのスポンサーシップ』(緑本)。ジャパンマックから『スツールと酒ビン』、秋には "A Program For You" も訳出されるとか。

こうした本はビッグブックの代わりになることを狙っていません。だからまずビッグブックを読むように、と巻頭あたりに必ず書いてあります。

そうしたビッグブックの使いにくさは、一対一のスポンサーシップによって補われています。人間対人間が基本であり、本は「AAメッセージの一貫性を保つ(AA p.xxx)」ための脇役に過ぎないとも言えます。

ではAA以外の12ステップグループの基本テキストについてはどうか。それについてはまだ僕にもよく分かりません。NAのホワイトブックについては、いつか薬物のスポンシーと読み合わせて分かち合ってみたいと思っています。先日7千円ほど使ってGAの日本語になっている本を一通り買ってみました。しかし、そういったものに手をつけている時間がないのが僕の問題です。ただ、薬物のスポンシーも、ギャンブルのスポンシーも、AAのビッグブックで何とかなっています。


2011年06月20日(月) 12のステップ

AAの12のステップはここに掲載されています。
http://www.cam.hi-ho.ne.jp/aa-jso/fsteps.htm

この短い12個の文章を読んだだけで、12のステップを理解できる人がいたとすれば、その人は超能力者か何かでしょう。というのも、この短い文章は言ってみれば「本の目次」みたいなものだからです。

目次を読んだだけで、本の内容もなんとなく理解できてしまう、ということもあります。だがそれで知ったかぶりをして本の中身について語ったりすれば、いずれどこかで大恥をかく羽目になります。

12のステップについても、人々がこの短い12個の文章から様々な想像を巡らせています。こうした想像が12ステップを巡る混乱が作り出された第一の原因でしょう。

内容を理解するためには、目次だけでなく中身も読む必要があります。でも、いったいどんな本を読んだらいいのか。実はAAには『12のステップと12の伝統』(通称12&12)という本があり、前半の12章が12のステップに、後半の12章が12の伝統にあてられています。そのせいで、

「この本が12ステップの解説書である」という誤解

が生まれてしまいます。実はこの本は12ステップの解説本ではありません。

12&12はAAの共同創始者のひとりビル・Wの著作です。12のステップはAAとほぼ同時に誕生し、アルコホーリクが酒を飲まずに生き残る指針を提供しました。それから10年以上が経過し、様々な経験が積み重ねられる中で、どうやら「AAグループ」が生き残るためには12のステップとは別の指針が必要だと分かってきました。そのためにまとめられたのが「12の伝統」です。

ビルは12の伝統をAA全体に広めようと努力し、そのために本の出版が企画されました。しかしその本は人気が出ないだろうと予測されました。というのも12の伝統そのものに人気がなかったからだと伝えられています。アル中は例え酒を飲んでいなくても、自分のやっていることにヨソから口出しされることを嫌います。だから新しい指針を押しつけと感じたようです。

そこで当時の理事たちは知恵を絞り、12ステップに関する文章も追加すれば、本を手にとってもらえるだろうと考えました。そうしてステップと伝統がカップリングされた本ができあがったのです。

しかし、ビルは新たに12ステップの文章を書くに当たってビッグブックとの重複を避けました。したがってこの12個のエッセイ(12&12にはこれがessayであると書かれています)には、ステップに関する重要な情報が欠落しています。例えば問題の本質として表現される「アレルギー」については、12&12にはほんのわずかしか触れられていません。12ステップのハイライトであるステップ4の棚卸しの書き方や、ステップ9の埋め合わせのやり方も書いてありません。

12&12におけるビルの文章は優れたものだと思います。それには彼の十数年にわたる進歩が反映されています(例えばその間にビルはカール・ユングと書簡を往復しており、その内容の反映があるといいます)。しかし、どうしても12&12は「ビッグブックの注釈集」みたいな様相を帯びてしまいます。ステップの基本を押さえた上で、より深く学ぶ人には適しているでしょうが、最初から12&12に取り組むのは迷路に迷い込むことになります。注釈ばかり読んで本文を読まないようなものです。

このように『12のステップと12の伝統』がステップの本だと思われ、皆がそれを手にしたことが、ステップに関する混乱が生じた第二の原因でしょう。

結局のところ、AAの12のステップを理解するためには、そのために書かれた本であるビッグブックを読むしかありません。ビッグブックがAAで basic text (基本的な教科書)とされるゆえんです。しかし、このビッグブックが決して分かりやすい本とは言えないことも困ったことなのですが、それについては次回。


2011年06月17日(金) スポンシーの数

僕にはアクティブな(=ステップに取り組んでいる最中の)スポンシーが現在4人います。一人は現在ステップ9の埋め合わせ中、もう一人はステップ4・5のところ、もう一人は最近始まったばかりでまだステップ1が続きそうです。残る一人はステップワークは別のスポンサーとやっており、僕はソーシャル・スキル担当です。

正直これでも忙しく、一人ひとりのスポンシーに十分な時間を割けているとは言えません。もっとじっくり相手をすべきだと思いながらも、そうできずにいることを申し訳なく思っています。週末は土日どちらか(あるいは両方)スポンシーと時間を過ごし、平日の晩を使うこともあります。4人のうち2人は毎晩電話で定期報告をしてきます(しなくてもいいんだけど)。

要するに引き受け過ぎなのです。普通に働きながら、空いている時間を使ってスポンサーシップをやるのなら、同時進行で2~3人が限度でしょう。あるアメリカのAAメンバーは生涯で八十数人のスポンシーを持ったそうです。その人がどれぐらいAAで活動したか知りませんが、仮に30年だとすれば、1年平均で2~3人。まあそんなものでしょう。

人の時間は有限であり、仕事を増やしすぎれば質が落ちることになる。それはスポンサーシップでも同様です。

何十人とスポンシーを抱えている人もいるのだそうです。スポンシーの数については、ジョー・マキューはこう書き残しています。

「一人しかスポンシーを持たない人もいるが、10人、20人のスポンシーを持つ人もいる。しかし、スポンサーシップを成功させるには時間が必要である。果たして、それほど多くのスポンシーを抱えて、真の助けができるだろうか。私には、それがスポンサーのエゴのように見えることが多い。それに、多くのスポンシーを持つことは、他のアルコホーリクがスポンサーになる機会を奪うことにもなってしまう」(ビッグブックノスポンサーシップ、p.36)

同時にたくさんのスポンシーを持てば、ひとりに割ける時間はわずかなものになり、相手の助けになれなくなってしまいます。それはつまり「誰の助けにもなれなくなる」ということでもあります。「たくさんのスポンシーを持つ」ということが、その人のエゴ、思い上がりではないかという指摘は当たっているでしょう。

もう一つ、他の人がスポンサーをする機会を奪ってしまう、こちらのほうが問題のように思います。誰しもスポンサーとして最初は初心者で、次第に経験を積んで慣れていきます。どうせスポンサーを依頼するなら経験豊富な人に頼みたいと思うでしょうし、頼まれた方も自分がやるのが一番良いと思ってしまうものでしょう。しかし、それは単なる善であって最善ではありません。伝統一を引き合いに出すまでもなく、ひとりが突出しても全体の利益にはなりません。全体のレベルが底上げされてこそ、つまりスポンサーを引き受けられる人材が豊富に存在するほうが、全体の益になるのです。その点でも、スポンシーを引き受けすぎるのは個人のエゴです。

「どうやってステップをやったらよいか」を伝えるのがスポンサーです。しかし、そればっかりやっていると、他の人のチャンスを奪ってしまいます。次は「どうやってスポンサーをやったらよいか」を伝えて、他の人たちの活躍を応援できるようにならねばなりません。その点については僕もまだまだこれからです。


2011年06月14日(火) 依存症になった原因は重要ではない

統合失調症は「破瓜の病」とも呼ばれました。破瓜(はか)とは思春期を示す言葉で、そのころに発病する人が多いからこう呼ばれます。

息子や娘が精神病になると、親は悩みうろたえ、病気になった原因を探そうとします。そして受験や就職の失敗、失恋などが原因だったに違いないという考えになることがあります。その原因を取り除けば子供の病気が治るのではないかと期待します。そこでもっと易しい別の大学に入学させたり、別れた恋人によりを戻してくれるように(親が)頼むケースもあるのだそうです。

もちろんそれで病気は治りません(そもそも因果関係が逆で、病気の発症が先に起こり、症状が原因で受験失敗や失恋が起きていているわけです)。

なぜこのような話を取り上げるかというと、どんな病気であれ、病気になったときに人はその原因を考え、見つけた原因を取り除くことで病気を治そうとするものらしいのです。それは不条理に対抗しようとする人の心の動きなのでしょう。

東北の大震災がなぜこうも辛いかと言えば、それが不条理だからです。なぜ東北の人たちが大切なものを失って苦しまなければならないか、その合理的な理由がないからです。もし東北の人が悪人で、悪事を働いた結果罰が当たったのなら、それは因果応報と諦めることも可能かもしれません。しかし、そこにいるのは無辜の人々です。

病気も同じように不条理なものです(もし悪人だけが病気になるのなら、病院と刑務所の区別がつかなくなります)。だから人は病気の原因を探そうとするのでしょう。原因つまり因果がわかれば、不条理を条理にすることができるからです。

だから当然、依存症の人は「私はなぜ依存症になってしまったのか」という問いを発することになります。

アルコール依存症ならば、酒を飲んだのが原因でしょう。しかし、同じように飲んでも依存症になる人もならない人もいます。その違いはおそらく(遺伝的な)体質でしょう。ではなぜ自分がその体質に生まれてきたか(遺伝だというのならなぜ別の親から生まれなかったか)、それに対する答えは得られません。

酒を飲んだ理由も人それぞれです。親がアル中でアルコールに親和性があったという人もあれば、仕事の疲れを癒すために、うつの自己治療で酒を飲み過ぎたという人もいるでしょう。

実のところ原因探しは役に立ちません。

確かに、依存症になる人・ならない人がいる以上、なった人には特異的な原因があるに違いありません。しかし、その原因は依存症の本質でもなければ、回復に役立つものでもありません。たとえば、ビッグブックでは原因論には立ち入っていません。12ステップという回復の道具は、依存症になった原因を扱わないのです。

アルコール依存症ならぬ「アルコール以前症」という言葉を使う人がいます。アルコールを飲み出す前から自分はどこか変だったと感じている人が、「だから自分はアル中になった」という理由を説明するための俗語です。でもそれは回復が難しい理由にはなりません。依存症は原疾患であって合併症ではありません。依存症の元になった病(あるいは原因)を探しても無駄なことです。

アル中の中には親もアル中という人もいます。ご自身はAC(アダルト・チルドレン)かつアル中という立場です。この場合、AAのプログラムとACのプログラムとどっちを先に取り組んだら良いか、と言えば「当然AA」です。ACのケアもする必要があるでしょうが、酒を飲みながら、あるいはいつ酒を飲み出すか分からない不安定な状態でACのことをやっても効果が上がるはずがありません。だから、しっかりと酒をやめることが重要であり、AAの12のステップを先にやるのは当然です。(ギャンブルの場合も同様ね)。

ACの人は傷ついているから、AAの12のステップに取り組めないのではないか、という心配をする人もいますが、まったく心配は要りません。いままでのスポンシーのなかには親がアル中という人もいましたが、彼らの

AC性がAAの12のステップに取り組む障害になることはまったくなかった

と断言できます。(むしろ問題になるのは発達障害のほうですがそれはまた別の話)。

もちろん身体的にひどい虐待を受けたケースでは話が別で、そんな場合には自助グループでなんとかしようとせず専門家のケア(カウンセリングなど)を受けてください。そういった重篤なケースを除けば、AAで十分回復してからACのことに取り組むという方針でオッケーでしょう。AC性を12ステップに取り組まない言い訳に使っている人は少なくありません。それによって一番不利益を被っているのはその人なんですけどね。

僕はACや共依存や○○ノンのミーティングにはほとんど行ったことがありませんが、そちらには(回復していない)依存症の本人が混じってしまっていて、物事を余計にややこしくしていると話に聞きます。むべなるかな、です。


2011年06月10日(金) ゲームプレイヤーの自閉的特性

Aileはなぜプレイ動画に「激怒」したのか? 「徹底交戦」ににじむゲームメーカーの怒り
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1106/10/news014_3.html魚拓

ニワンゴが運営するユーザー参加型動画共有サービス「ニコニコ動画」には、プレイ動画と呼ばれるジャンルの動画が多数アップロードされています。

プレイ動画とは、PCゲームをプレイ中の画面をキャプチャしたもの。他人がゲームして遊んでいる画面を眺めて何が楽しいのかは知りませんが、明らかな権利侵害であるにも関わらず次から次へとアップロードされています。アクションゲームならいざしらず、ストーリーが一本調子に進むゲームでは、プレイ動画の存在はゲームをするものの楽しみを大きく奪っています。

それでも多くのメーカーがトラブルを恐れてプレイ動画を黙認、あるいは削除依頼のみで済ましている中、ギャルゲーの新参メーカーAile(エール)代表のみやび氏は、あえて「徹底交戦」の道を選び、アップロード者を相手に民事訴訟を起こす、というのが記事の内容です。

で、プレイ動画の是非は脇へ置くとして、みやび氏が最近のユーザー層について語っているところがなかなかに興味深いので引用しておきます。

> 例えば伏線ってあるじゃないですか。今のユーザーの傾向として、伏線を伏線として読み取れないケースが多いんです。あからさま過ぎるくらいでないとダメ。

> あと物語に隙間があってもいけない。イベントとイベントの間に何があったのか、ちゃんと全部書いてあげないと「話が分からん」って言う人が出てくるんですよ。

> ―― 行間を読めない?

> 一を聞いて十を知るということがあまりないんです。僕はよく「想像の翼をはためかす」って言うんですが、それが出来ない。自分で考えようとしないで、何でも「公式」でないとだめなんです。

なかなかに自閉性を感じさせる話です。

ゲームに限ったことではなく、最近のテレビドラマにも似た傾向があり、伏線はあからさますぎるほどハッキリと呈示され、俳優の演技はオーバーアクションでわかりやすすぎ、ナレーションはくどすぎ・・。見ているこちらがバカにされているのじゃないかと感じるほどです。でも、そうでないとドラマが楽しめない人が増えているからこその表現なのでしょう。(韓流ドラマが流行ったのも同じ文脈でしょう)。

「自閉的特性を持った人が増えてきたのではなく、時代とともに社会が変わったために、そうした人が社会から押し出され目立つようになってきた」

というのが僕の持論だったのですが・・・。必ずしもそればかりではないのかもしれない、と思い直すようになってきました。

つまり、自閉的特性を持った人が、昔(数十年前)より増えてきている、ということもあるのかもしれません。(この1行はそうした特性を持った人のためにわざわざ追加している)。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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