心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2011年05月10日(火) 人ごとを案じる

僕はAAのメンバーなのでAAについては割と詳しいのですが、断酒会の会員ではないので断酒会についてはあまり知りません。

AAについては、日本で始まった頃のようなプログラムの濃さが失われ、「ミーティングで集まって話をしていれば仲間のおかげで酒がやめられる」という、12ステップなんか要らない雰囲気の会場が増えてきていることを懸念しています。

AAのプログラム劣化の原因はいろいろ考えられますが、新しいメンバーにプログラムがうまく伝わっていなかったため、古い人が去るにつれてプログラムが失われた、と考えるのが最も自然だと思います。

酒を飲んで酷かった頃の話をしろと言われます。確かにそれは必要です。過去の体験を掘り起こして正直に話ができなければ、今の自分の姿を知ることはできないのですから。しかし、「酒で酷かった頃の話をすればするほど良い」というのは勘違いです。ドランカローグ(drunkalogue)という言葉があります。ローグという接尾語は、プロローグとかモノローグとかのローグと同じで「話」をという意味です。

過去の自分はいかに酒で酷いことになってきたか、というドランカローグを話すとき、人は何らかのカタルシスを得ます。しかしそのカタルシスは回復「ではない」わけです。(つまり本来話せて当然と言うこと)。今まで秘密として背負ってきた心の荷物が降ろせれば楽になります。ミーティングでも、ストーリー形式のステップ4・5でも同じことは起こりえます。でもそれはやっぱり回復ではないのです。同じようなことは、アルコールだけではなく、薬物やギャンブルのグループでも、家族やACのグループでも起きているのでしょう。

回復(変化)をもたらすのは、そこから何をするかです。

なぜ冒頭で断酒会の名前を出したかといえば、それは断酒会でも同じようなプログラムの劣化が起きているのではないか、という懸念を抱いたからです。

先日断酒会のブロック大会にお邪魔しました。用事があり最後までいなかったのですが、何人かの体験発表を聞きました。気になったのは、ドランカローグが断酒会につながったところでお終いになっていたことです。まるで断酒会につながれば問題が解決するかのように。その後の話がされていても、全体からすれば割合はわずかなものです。

大事なことは断酒会につながった後、その人が何をしたかではないのかな、と引っかかりました。

僕は断酒会員ではないものの、たまには断酒会の方の話を聞く機会もあります。それがおつきあいというものです。10年前、15年前に聞いた話は趣が違っていました。

断酒会のプログラムには詳しくありませんが、断酒新生指針によれば、過去の掘り起こしの先にもするべきことは続いてます。「自己洞察を深め」「自分を改革する努力をし」「迷惑をかけた人たちに償い」をします。これらをAAの12ステップに対応させるのは誤解の元ですが、それでも無理にそれをすれば、それぞれステップ4・5、6・7、8・9に対応しています。以前の断酒会の人はそういう話をしてくれたものです。

例えば自分を冷たくあしらった会社の上司に腹を立てていたとします。しかし、上司が冷たかったのは、自分が酒を飲んで仕事に穴を空けたからであったと気づけば、その人の目の前で謝罪し、今後は態度を改めると約束する準備が整います。それを実行するにはとても勇気が必要ですが、実際にそれをやった人は自分の中で確かに大きく何かが変わったことに気づいたはずです。それこそが断酒の喜びではないのでしょうか。

そういう変化がなく、ただ酒が止まっているから良しとする話ばかりになっているのであれば、現状のAAと同じ問題を抱えてしまっているのではないか、とまあそんなことを考えたのです。

ともあれ、僕は断酒会には詳しくないので、例会ではブロック大会での話と違って、その後の話もされているのかも知れません。けれど、断酒会でもAAと同じような現象が起きていて、古い人が去るにつれて魅力が薄れつつある、ということはないのかな?と案じてしまったわけです。

まあ単なる「投影」だという可能性もあるし。


2011年05月09日(月) 想像力の障害

自閉症の三要素について、あらためて確認してから書こうと、ネットを検索しました。
(そうです。ネットを検索したのです。ネットは便利なので、ついつい本を開かずに検索してしまいます)

そうしたら知的障害の三要素というのを見つけました。

・知的機能に制約がある
・適応行動に制約を伴う
・発達期に生じる

なるほど、成人後に発生したものは知的障害と呼ばないんですね。あと、例によって「社会適応の妨げになっていなければ、それは障害ではない」という考えが取り入れられています。ネパールの船着き場ではしけに舟をロープでくくる仕事をしている人に、知的障害があるとか、ないとかいうことはまったく関係ない(by市川さん)わけです。でも日本だと問題になってしまう・・・それが日本社会の切ないところです。

さて話を自閉症の三要素に戻します。ローナ・ウィングの定義によれば、自閉症スペクトラム(AS)には三つの領域に障害があります。

・想像力
・コミュニケーション
・社会性

社会性の障害とは、前の二つ(想像力とコミュニケーションの障害)の結果として起こるものです。

で、想像力の障害をご本人に説明するのには苦労しています。なにしろ、本人は自分の想像力に障害があるとはまったく考えていないからです(生まれたときからずっとそうだから)。

これが足の速さだったら、他の人と比較する機会もあるでしょう。しかし、想像力を他の人と比較する機会はなかなかありません。想像力がある・想像力がない、の択一で考えれば、確かにその人にも想像力はあるのです。ただ、その力が弱いだけ。

ここで「計算力が弱い人」を考えてみます。その人は計算できる・できない、で考えれば、計算はできるのです。しかし、その力が弱いので、計算する速度が人より遅くなります。速く計算しようとすれば、間違いが増えます。

想像力も同じことです。想像力が弱い人は、想像できる範囲に限界があり、それを無理に広げようとすればしばしば間違った想像をしてしまいます。

想像とは知覚に捉えられないものを心に思い浮かべることです。それは行ったことのない場所や、まだ来ぬ未来のことばかりではなく、「自分の言葉で相手がどんな気持ちになるか」とか「相手の言葉や行動の裏に隠された真意」を捉える能力でもあります。そこに障害があると、人とうまく接することができず、社会適応の妨げになります。(んで、うつになったり、アル中にになったりする)。

想像力に障害がある人の人生は恐れでいっぱいです。それは落とし穴の多い道を目隠しされて歩くようなものです。

ではそういう人はどうすればいいのか? 先日もテレビに出ていたテンプル・グランディンによれば、「社会のルールを憶えること」だそうです。ここで言うルールとは法律や規則のことではなく、常識やマナーや暗黙の了解です。そうした隠れたルールは、あいまいで、例外が多く、しばしば破られてはいますが、確かにルールとして存在しているのです。それを憶えていくことが大切だとしています。SST(ソーシャル・スキル・トレーニング)などもその一環と言えますが、SSTで学べるのは一部に過ぎません。

自閉圏の人にありがちな不満は、そうした社会の習慣(ルール)を自分がいつ破ったらいいか分からないことです。見えないルールに縛られるのは楽しいことではありません。それを逸脱できたら楽です。現実にそれを破っている人たちがいる。じゃあ自分もと破ってみると、なぜか自分だけ叱られる。酷い仕打ちではないか、というわけです。(また別のルールがあることを憶えなくてはならないわけだ)。

自分だけがそうしたルールを憶えさせられている、と不満に思う必要はありません。そうした暗黙のルールには社会の誰もが従っているもので、あなただけに課されているわけではありません。それに人間というのは、そうしたルールを一生かけて少しずつ憶えて成熟していくものでもあります(recoveryとmaturityは似た概念です)。僕も先日ちょっとした失敗をやらかして恥ずかしい思いをしました。でも、次からはうまくやるでしょう。そうやって人は進歩するしかないのでしょう。・・・という話をしても、スポンサーも同じ苦労をしている、ということは、スポンシーには想像してもらえないのかも。やれやれ。


2011年05月06日(金) ステップをやるのに何年必要?

12ステップをやるのにどれぐらいの時間が必要なのか?

それは一概には答えられないことでしょうが、少なくとも「3年も5年もかかるものではない」とは言えそうです。

AAの創始者の一人ドクター・ボブは、生涯で五千人以上のアルコホーリクを治療し12ステップを伝えたとあります(AA p.241)。彼は5日間の入院治療を提供していました。初日はアルコールの解毒で翌日にはステップが始められました。離脱症状が消えるまで待ってなどいませんでした。

ところでビッグブックとは「厚い本」という意味です。初版で厚い紙を使ったため、本全体が厚くなってしまい、こう呼ばれるようになったと伝えられています。ではなぜ厚い紙を使ったのか。お金がなかったので、安い粗悪な厚い紙を使ったという説を信じてきたのですが、真相は意図的に厚い紙を選んだのだそうです。まだ離脱で手が震えるアルコホーリクでもページがめくりやすいように厚い紙を使ったと記録に残っています。(薄い紙はめくりにくいからね)。

前の雑記でドクター・ボブが棚卸し表を本人から聞き取って代筆していたと書きましたが、それは離脱症状で手が激しく震えてペンが握れない人のためでもあったのです。

5日間で12ステップをこなすというのは、こんにち的な基準からすればずいぶんな促成栽培で乱暴な印象を受けます。しかし、当時はこれがスタンダードだったようで、他のAAメンバーが運営していた病棟でも、時代が少しくだってヘイゼルデンの最初のころでも平均入所期間は5日間で、それで12ステップをこなしていたわけです。

しかしさらに時代が下るにつれ、施設の入所期間は延長されていきました。5日間でうまくいく人もいるのでしょうが、皆がそうではなかったのでしょう。

AAが20周年を迎えたときに出版された本「AA成年に達する」で、ビル・Wは「アルコホーリクは急がば回れで行くべきだ」と書いています。たいていのアルコホーリクは最初は酒をやめることしか希望せず、酒以外の自分の短所はなかなか手放そうとしない。アルコホーリクは「何もかもすぐ良くなること」を希望しない。オックスフォード・グループの概念(絶対の純潔・絶対の正直・絶対の無私・絶対の愛)は酒飲みには手に余り、バケツで与えるのではなく、ティースプーンで少しずつ口に運んでやらなくてはならない・・としています。

何のことはない、アル中の回復には時間がかかる、という当たり前のことが再確認されたのでした。

とは言うものの、1年にステップをひとつづつ、というペースではその人の苦しみを長引かせているだけで、それじゃ単なるイジメだと思います。12番目のステップに到達するまで数週間から数ヶ月程度じゃないでしょうか。

それにしても、アル中は「何もかもすぐ良くなること」を望まない、ってのは至言ですね。酒をやめて何年経っても「ここの部分は良くならなくていいです」という保留を抱えこんでいるのがアル中です。

その点では僕も例外ではなく、一生その部分が良くならなくてもオーケーだとは思ってないのですが、「まあ神さま、まだここは置いておきましょうや」という保留はいくらでもありますとも。ただ、その部分が回復しないのは、僕自身が「そこはまだ良くならなくてもオーケー」だと思っているからだという自覚は持っていないといけないよね。回復しないのは回復したくないからなのであって、回復しない責任は自分にあるのですとも。(12&12のステップ6)。

だから「何年経ってもまだ回復しません」なんて言っているヤツを見ると、「そりゃオメーが回復したくないと思っているからだろう」と思わずツッコミを入れたくなっちゃいます。そういうツッコミ入れたいところも僕の回復していないところなのでしょう(回復したくないヤツなんて放っときゃいいわけですから)。だが、そうした欠点をまだまだ手元に置いてかわいがりたいわけですよ。ええ、まったく。

違う話になっちゃいましたね。


2011年05月03日(火) ホームレスと12ステップ

ジョー・マキューの作った施設向け12ステッププログラムである「リカバリー・ダイナミクス(RD)」は、様々な国の300以上の施設で使われているそうです。その中には、依存症とはあまり関係なさそうなホームレスの支援施設(シェルター)も含まれています。

アメリカのホームレスにはアルコールや薬物の問題を抱えた人が70〜80%も存在するのだそうです(日本では20〜30%ぐらいだろうと言われています)。このため、ホームレスの人の自立を促すためには、アルコール薬物問題の解決が欠かせないというのです。

こうした施設では、アルコールや薬物の問題を抱える入所者全員に、RDによるステップ1とステップ2のクラスを提供しています。解説を加えておくと、ステップ1とは「問題」を把握するステップであり、ステップ2はその問題に「解決」があることを知るステップです。この二つのステップを経ることにより、ステップ3から先の「行動」へ進む意欲が生まれます。

クラスが終わった後、さらにステップ3以降に進みたい入所者には、個室が与えられます(個室というよりベッドと荷物置き場)。シェルターなので長期滞在はできないのですが、この場合は例外扱いしてもらえるというわけでしょうか。そこに滞在しながら地域のAAミーティングに通ってスポンサーを得たり、さらに先のクラスを続けることができるようになっています。そうして回復後に社会復帰していきます。

このようにして、せっかく社会復帰した人が再飲酒・再使用してホームレスに戻ることを防ぐ仕組みが出来上がっているのだそうです。

しかし、日本と違ってアメリカのホームレスには基本的なリテラシー(文字を読み書きする能力)を持たない人も多いのではないか? そういう人たちは12ステップができるのか? という疑問が生じてきます。

リテラシーを持たない人のためには、ビッグブックのCDやビデオ教材が用意されており、またステップ4の棚卸しも、本人の話を聞いて他の人が代筆してあげることで解決しているそうです。(棚卸しの代筆はドクター・ボブも行っていた記録があります)。

こうして回復した人の後には、自立後にリテラシーを身につけ、カウンセラーとしての勉強をして、こうした施設に戻り、過去の自分と同じホームレスの人の相手をしている人も少なくないそうです。その姿は新しく来た人にとって希望の姿となっています。

ホームレスの社会復帰の道具として12ステップが使われているところが興味深いです。きちんと12ステップを行うことが社会での自立につながっていくことは想像に難くありません。僕は最近常々思うのですが、12ステップの提供する霊的な解決とは、すなわち極めて現実的な解決なのだということです。(つまり現世利益)。

上に書いたように、アメリカほどではないものの、日本のホームレスにもアルコール・薬物の問題を抱えた人は少なくありません。日本のホームレス支援団体の中には、自分たちの運営する施設で12ステップを提供することを考えているところも出てきていると聞いています。ぜひそういう動きを歓迎したいものです。


2011年05月01日(日) 禁酒運動、パチンコ規制運動

AAの伝統10では、AAは外部の問題に意見を持たないとなっています。
AAメンバーとしてどんな意見を持っても自由ですが、AAを巻き込むような形で外部の論争に加わってはならない、ということです。

とりわけ「政治や禁酒運動、宗教の宗派的問題には立ち入らない」と明示されているので、AAメンバーであることを明らかにして行動しているときは特にこの三点、

・政治
・禁酒運動
・宗派問題

に立ち入らないように気をつけているわけです(もちろん人のやることはしばしば逸脱を伴いますが)。断酒会の規範でも政治や宗教への関与はしないことになっていますが、禁酒運動に関する項目はありません。この違いは両者の歴史の違いによるものでしょう。

アメリカでは建国以来ずっと禁酒運動が続いてきました。禁酒運動と聞くと、それに宗教的な意味合いを感じる人もいるでしょう。禁酒運動には宗教関係者も関わっていますが、宗教的な運動ではありません。アメリカは世界で最も薬物乱用(アルコールも含む)が激しい国であり、酒による治安の悪化や福祉コストの増大を避けるために、アルコールそのものを禁止しようという動きが継続して存在します。それは

「アル中を無くすために、国民全体が酒をやめるべきだ」

というかなり乱暴な主張です。実際これによって禁酒法が実施されていた時期もあります。しかし酒の販売を禁止したことにより、密造酒が横行し、それによってアル・カポネのようなギャングが巨大な利権を握りました。やがて戦争が迫ってくると、ギャングに儲けさせておくより、酒税で戦費をまかなうべきだという話になって禁酒法は廃止されました。

AAが誕生したのはそんな時代です。そして、初期のAAメンバーは禁酒賛成派・禁酒反対派の両方に利用されました。禁酒賛成派は、AAメンバーを「酒の害の見本」として利用し、反対派は「酒のせいで一部の人がアル中になってもそれは回復できる」見本として利用しました。いったいAAはどっちの立場なのか?

AA以前にも様々なグループが存在しましたが、それらは禁酒運動に巻き込まれることで「アルコホーリクの回復」から焦点を外してしまい消滅していきました。AAは同じ轍を踏まないように、禁酒運動には関わらないことを決めたのです。

日本では明治期より宗教的な禁酒運動が展開されていました。それについては全断連のサイトに紹介されています。
http://www.dansyu-renmei.or.jp/zendanren/rekishi_1.html
AAがオックスフォード・グループを母体として誕生したように、日本の断酒会も禁酒同盟を前身としています。宗教的な団体を前身に持ち、やがて宗教色を取り除いた点もAA・断酒会に共通です。

日本では禁酒運動が盛り上がることはなかったので、その点では心配はしていないのですが、最近少し気になっていることがあります。それはギャンブルについてです。最近、パチンコやスロットを規制しようという運動が目立ってきています。都知事が何か言って物議を醸していました。

もちろんそれは政治の問題なので、合意が形成されればなんでも規制すれば良いと思います。石原君は業界の反対を押し切ってディーゼル・エンジンを規制し、東京の空気を劇的にきれいにした実績があります(非実在青少年も規制しちゃったけど)。

気にしているのは、ギャンブルの自助(相互援助)グループの人が、そうしたパチンコ・パチスロ規制運動に参加してしまうことです。もちろん個人としてどんな運動に参加するのも自由ですが、GAやギャマノンの名前をちらつかせれば共同体を危険にさらすことになります。

また同時にそれは新しい仲間を手助けするチャンスを奪うことになりかねません。ビッグブックにはこんな文章があるのをご存じでしょうか。

「不寛容の精神は、その愚かさがなかったら救われたはずの人を追い払ってしまうかもしれない。私たちは禁酒運動をすることが良い結果をもたらすとは考えない。なぜならどんなアルコホーリクも、アルコールを毛嫌いする者からアルコールの話をされるのは好まないからだ」(p.149)

アルコールやギャンブルはこの世の中に実質的に合法化されて存在しています。大多数の人はそれをコントロールして楽しんでおり、依存症になるのは一部の運の悪い人たちだけです。自分たちの行状の悪さを棚に上げてアルコールやギャンブルを非難してみても始まりません。飲酒習慣やギャンブルの習慣に対して寛容であることが、まだ悩み苦しんでいる人たちを手助けするための、僕らが取れる最善の態度です。


2011年04月30日(土) 知性は霊的なもの

知性は霊的(スピリチュアル)なものだそうです。
なぜならば、神さまが与えてくれたものだから。

多くの人は知性を自分で努力して獲得したもの、つまり自分で自分に与えたものだと思っています。もしそうなら、なぜ「アルコール依存になるのを避けるだけの知性」を自分に与えなかったのか。それは切実に必要なものであったにもかかわらず、あなたはそれを自分に与えることはできなかったからこそ、この雑記を読んでいるわけです。

つまり、自分にどれだけ知性を与えるかコントロールすることはできません。知性は神さまが人に与えたものだからです。たぶん、誰にどれだけの知性を与えるかは、神さまが決めているのでしょう。そして、神さまが与えてくれるものは霊的なものなのです。

霊的(スピリチュアル)な生活をしようとするならば、霊的なものに優位を与えねばなりません。

さて、僕らは感情を持っています。そして「気持ちを大事にする」ことが大切だと思っています。そこで、感情に知性を支配させます。何か「やりたい」と感じたことを実現するために知性を使い、また「したくない」と思ったことをせずにすますために知性を使っています。そして、そのやり方が正しいことだと信じています。

しかし(表形式の棚卸しを経験した人ならわかるでしょうが)僕らの感情はしばしば間違います。例えば僕らは時に「恨み」を持ちますが、恨みの感情は僕らから自由を奪い、楽しいはずの時間を台無しにしてくれます。であるのに、僕らはその「恨み」が正当であり、間違っているのはヤツだと主張します。それが熱を帯びると、こんな人生、こんな世の中は間違っていると結論します。何のことはない、間違っているのは自分の側なのにね。

だから僕らは自分の感情を疑ってみる、ということを憶えました。

感情を充足させる。つまり自分の思い通りに事が運んだとき、僕らはスッキリした感覚を味わいます。このスッキリ感が「幸せ」だと信じていた僕らは、充足を邪魔されれると、それが不幸だと感じるようになっていました。無闇に充足を求めた僕らは、自分自身や他者との衝突を繰り返し、そこから恨み、恐れ、自己憐憫などのネガティブな感情が湧いてさらに不幸になっていきました。

霊的な生き方とは、それとは逆に、知性に感情をコントロールさせることです。僕らは自分が感じていることが「正しい」と信じていますが、知性にそれを覆させねばなりません。そのためには、感情の上に知性を置く必要があります。

僕らはソーバーの若い人たちに「自分の考えを使うな」というアドバイスをします。なぜならその考えとは、感情に支配された小賢しい知恵に他ならないからです。考え方が間違っていると言うより、考えを方向付けている感情(感じ方)が間違っているのです。やりたいようにやる生き方は、必ずつまらないトラブルを産みます。(そして感情に支配されている人に理屈は通用しない)。

幸せになりたかったら、自分の感情を疑ってみることです。感情はあなたに語りかけます。不愉快な思いはしたくない。充足してスッキリしたい、と。しかし、限られた視野から得られた限られた情報によって形づくられた感情は、しばしば僕らを間違わせるのです。棚卸しとは感情の間違いに気付くプロセスです。

感情による支配から解き放たれたとき、知性は本来の働きを取り戻します。神さまがどれだけの知性を与えたかは人によって違うものの、その知性を使ってその人本来の人生を生きていけるようになります。

霊的な生き方を実現するのは、知性に優位を与えようとする僕らの意欲です。


2011年04月26日(火) アスペルガーのイメージ

あなたは学級担任の先生です。そういう設定だと思って続きを読んで下さい。

今あなたは生徒の一人を伴って、学校の廊下を歩いています。その生徒を校長室まで連れて行くのが今のあなたの目的です。ただし、その生徒がアスペルガー症候群であることが、目的達成を難しくします。

さて、廊下の両側にはドアが並んでおり、ドアの奧には部屋があります。ドアが全部閉まっていてくれれば(アスペルガー君がそちらに注意を向けてしまうこともなく)問題はありません。

しかし、運悪くドアが少し開いていて隙間から明かりが漏れていたりすると、それに注意を引かれたアスペルガー君はこう感じてしまいます。「あのドアの向こうに何があるんだろう? ひょっとしてすごく大事なことが僕を待っているんじゃないだろうか」。一度その考えが浮かんでしまうと、もうそれを消すことはできません(ロックオン)。

ドアの隙間から中を覗こうとしているアスペルガー君に、あなたは「いやいや、君の行くところはそっちじゃない、こっちだよ」と校長室の方向を指し示します。しかし、アスペルガー君は相変わらずドアの向こうに興味津々で離れようとしません。そこであなたは、声を大きくして注意する、あるいは肩を掴むなどして、なんとか彼を廊下の先へと向かわせようとします。

「ふう〜やれやれ」と先を急ぎだしたあなたが、ふと振り返ると、後ろをついてきているはずのアスペ君がいません。見やると彼は先ほどのドアの前まで戻って、また中を覗き込んでいます。

イラっとしたあなたは、声を荒げて彼を非難してしまいますが、おそらくそれはさらなるトラブルを招くだけです。口論になるかも知れません。彼は耳をふさいでうずくまってしまうかも知れません。ドアを開けて突進してしまうかも。また外へ飛び出していってしまうかも。渋々あなたに従ったとしても、目標達成(校長室へたどり着く)の可能性はずいぶん低くなってしまうでしょう。

結局ここでも「受け入れることが正解」です。アスペ君がドアの隙間から漏れる光に興味関心を持ってしまったのなら、それを受け入れるしかありません。あなたがドアを開け、「ほらこの部屋は空っぽでなにもないよ」、「こっちの部屋は倉庫で君の興味を引くものは何もないよ」と示してあげれば、彼は納得して廊下の先へ向かうでしょう。

たまには、ドアの向こうが保健室で、保健の先生(♀)が「あら○○君どうしたの? どこか具合悪いの?」なんて優しく声をかけてくれるものだから、アスペ君はそこに長居したがるかも知れません。あなたは彼の手を引っ張って廊下に引き戻さなければならないかも。それでも、ドアを開けて、そこが目的地ではないことを納得してもうらうほうが、ずっと時間の節約になります。(周囲が合わせてあげる必要)。

もうおわかりでしょうか。担任の先生であるあなたとはAAスポンサーのこと。生徒のアスペ君は、やや積極奇異型気味のアスペルガー症候群を抱えたスポンシー。廊下を進むことが12ステップの行動で、校長室はその目標である霊的な目覚めです。

自閉的特性を持ったスポンシーは、時に12ステップの全体像を見失い、些末な、実に些末な細部に囚われてしまうでしょう(こだわり・固着)。仕事でも何でも彼はそうなのです。時にその特性が彼に仕事上の成功をもたらすかも知れません。しかし、12ステップに取り組むに当たっては、障害となってしまうことが多い。その特性は周囲の人々に苛立ちをもたらすことが多いのですが、少なくともスポンサーであるあなたは、一緒になって苛立っていてはいけません。

某ステップ勉強会で緑本を読み合わせていたところ、ヘリエッタ・サイバーリングの名前が出てきました。ビル・Wとドクター・ボブは1935年の母の日に、ヘンリエッタの家で初めて会いました。彼女が二人を引き合わせたのです。そして3人ともオックスフォード・グループのメンバーでした。さらに言えば、AAの12ステップの源流はオックスフォードグループのプログラムを受け継いだものです。

これを知ると、こんな考えが浮かんできます。「ヘリエッタ・サイバーリングとはどんな人だったのか?」「彼女とドクター・ボブとの関係は?」「AAの原理がオックスフォード・グループから受け継いだものなら、オックスフォード・グループの原理を知ればより霊的なことがわかるのじゃないか?」・・・などなど。

何かに興味関心を持つことは良いことです。しかし考えてみて欲しいのは、こういうことは回復のプログラムにとっては単なる周辺情報で、それを追いかけていくとどんどん本質から外れていってしまうことです。普通の人はそれを言えば分かりますが、自閉的特性を持った人には、ドアを開けて、中が目的地(校長室)ではないことを示した方が早いのです。ヘンリエッタやオックスフォード・グループについて、知っているだけの情報を提供すればいいでしょう(知らないなら知らないと言うしかないけど)。彼らにとって「知っていること」に意味があり、安心の材料なのです。

(Henrietta Seiberling については、例えばここに情報があります)
http://www.barefootsworld.net/aaorighenriettas.html

ビッグブックの読み合わせをしていても、そういうことは起こります。そんなときに「なんでコイツは、こんな細けぇことにこだわるかな」とイラだってみても得るものはありません。そのこだわりに付き合うことこそ我が使命、と思い直して前向きに取り組みましょう。

なにしろ彼ら(自閉的特性を持った人たち)は「スッキリしたい人たち」なのです。光の漏れているドアがあれば、開けてみたくてたまらないのです。それをせずに先を急げば、「あのドアの中はどうなっていたのか」というモヤモヤがずっと晴れずに残ります。そのモヤモヤが溜まりすぎれば、先へ進む障害にしかなりません。理路整然としたスッキリした世界が彼らの頭の中に構築される手伝いをしましょう。スポンサー自身の「スッキリしたい」という気持ちを優先させてはいけません。

あと、あらかじめ余計なドアは閉めておくことも必要でしょう(枠組みづくり)。

でもたぶんこんなことは、体得すべきたくさんの「コツ」のうちの一つに過ぎないのでしょうけど。ぶつぶつ。

ビッグブックを書いた人たちの頭の中に理路整然とした世界が構築されていたことは間違いありません。しかし、ビッグブックは視覚化も構造化もまったくされていません。だから、普通の人にもわかりにくいし、自閉的特性を持った人ならなおさらです。どうやったらそれを分かりやすく伝えられるか。そうしたノウハウ作りはこれからも続けねばなりません。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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