心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2011年04月25日(月) AAは万能薬ならず

「12ステップは何にでも使える、と言っている人ほど、12ステップの信憑性を損なっていると思っている」

とメールに書いたところ、ちょうどその日の「今日を新たに」にこんな文章があったと教えて頂きました(ありがとうございます。Tさん)。

「AAが万能薬であると主張することは、たとえアルコホリズムに関してであっても、それは誤ったプライドの産物に違いありません」(ビルはこう思う285)

以前に掲示板で、内田樹×春日武彦の対談「中腰で待つ援助論」というのを紹介しました。
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2004dir/n2613dir/n2613_01.htm

そこで、内田樹が、

『「ここには有効だけれども,ここから先には使えません」と言う,地域限定,期間限定,条件限定の,適用範囲が限定されている理論のほうが,僕は理論としてはずっと上等だと思うんです。「何にでも使えます」なんて怪しいですよ』

と語っています。「万能」なんていうものほど疑わしいものはありません。現実は複雑なものであり、様々な条件をつけてやっと成り立つ何かも、他の条件下では成り立つかどうかはワカランということになります。ところが、何でも白黒ハッキリしたものが好きで、世界を単純化して考えたい人たち(単純化しないと世界を捉えることができない人たち)は、「12ステップは何にでも使える」という言葉が大好きなのです。

ビルはこう思うの285には、別にこんな文章も載っています。

「うぬぼれで真実が見えなくなってしまう恐ろしさは、うぬぼれというものが正当化されやすいという点にある。自己正当化が愛と調和を破壊するのは、私たちのまわりを見ればすぐにわかる」

つまり、万能ツールを手にしたみたいなうぬぼれは危険だというわけです。

じゃあ、「12ステップは何にでも使える」とは言っちゃならないのか? まあ、そんなこともないでしょう。例えば右も左も分からないビギナー相手にハッタリでも何でも一発かまさなきゃならない場合には、「12ステップを使えば人生のどんな問題でも乗り越えられる」ぐらいの大ボラを吹いてもオッケーかもね。
つまりこれも期間限定、条件限定だったら、ということか。

そういえば、第5章の先頭とか、巻末の霊的体験とかには、12ステップはこういう人には効かないという条件がちゃんと書いてありましたね。


2011年04月23日(土) AAは万能薬ならず

「12ステップは何にでも使える、と言っている人ほど、12ステップの信憑性を損なっていると思っている」

とメールに書いたところ、ちょうどその日の「今日を新たに」にこんな文章があったと教えて頂きました(ありがとうございます。Tさん)。

「AAが万能薬であると主張することは、たとえアルコホリズムに関してであっても、それは誤ったプライドの産物に違いありません」(ビルはこう思う285)

以前に掲示板で、内田樹×春日武彦の対談「中腰で待つ援助論」というのを紹介しました。
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2004dir/n2613dir/n2613_01.htm

そこで、内田樹が、

『「ここには有効だけれども,ここから先には使えません」と言う,地域限定,期間限定,条件限定の,適用範囲が限定されている理論のほうが,僕は理論としてはずっと上等だと思うんです。「何にでも使えます」なんて怪しいですよ』

と語っています。「万能」なんていうものほど疑わしいものはありません。現実は複雑なものであり、様々な条件をつけてやっと成り立つ何かも、他の条件下では成り立つかどうかはワカランということになります。ところが、何でも白黒ハッキリしたものが好きで、世界を単純化して考えたい人たち(単純化しないと世界を捉えることができない人たち)は、「12ステップは何にでも使える」という言葉が大好きなのです。

ビルはこう思うの285には、別にこんな文章も載っています。

「うぬぼれで真実が見えなくなってしまう恐ろしさは、うぬぼれというものが正当化されやすいという点にある。自己正当化が愛と調和を破壊するのは、私たちのまわりを見ればすぐにわかる」

つまり、万能ツールを手にしたみたいなうぬぼれは危険だというわけです。

じゃあ、「12ステップは何にでも使える」とは言っちゃならないのか? まあ、そんなこともないでしょう。例えば右も左も分からないビギナー相手にハッタリでも何でも一発かまさなきゃならない場合には、「12ステップを使えば人生のどんな問題でも乗り越えられる」ぐらいの大ボラを吹いてもオッケーかもね。
つまりこれも期間限定、条件限定だったら、ということか。

そういえば、第5章の先頭とか、巻末の霊的体験とかには、12ステップはこういう人には効かないという条件がちゃんと書いてありましたね。


2011年04月22日(金) ふたつの帽子

AAなどの12ステップグループは、たいてい12の伝統というグループを律する仕組みを持っています(一部のグループでは「一致のためのプログラム」という名前になっていることもある)。

その8番目は職業化を禁じています。わかりにくいので「長文のもの」の8番目を引用します。

「アルコホーリクス・アノニマスはあくまでも職業化されずアマチュアでなければならない。ここでいう職業とは、料金を取って、あるいは給与をもらって、アルコホーリクをカウンセリングすることをいう。しかし私たちのサービスのために人を雇う必要のある場合、アルコホーリクを雇うことができる。これに対してはそれ相応の報酬が支払われてよい。しかし私たちが行う通常のAAの「十二番目のステップ活動」は常に無償でなければならない」

つまり、こういうことです。僕が「AAカウンセラー ひいらぎ 12ステップお手伝いします 1時間9,450円」という看板を掲げて商売をしてはいけない、という意味です。

なぜプロになってはいけないのか? それは単純に「うまくいかないから」です。AAのメッセージに値札を付けようとした試みは長続きせず、すべて失敗に終わったとビルは書き残しています。アルコホーリクたちは、金を要求されることが嫌いなのです。そんなわけで、グループの運営やスポンサーシップはすべて無償で提供されることになりました。

しかし、AAで金を稼いでいる人たちもいます。アメリカのAAでは多くのクラブハウスが作られましたが、クラブハウスの鍵の管理や掃除をしてくれる管理人を雇う必要がありました。それにはAAメンバーが雇われることが多く、彼らはさっそく「AAで金を稼いでいる」という非難を受けました。またセントラルオフィスなどが作られると、そこを維持するために専従の職員を雇う必要がありました。AAで金を稼ぐことは一切まかりならない、と考える人もいたのですが、結局は現実的な線が引かれました。

つまり、12番目のステップ(メッセージを運ぶこと)はあくまで無償で提供される。しかし、それ以外のAAの必要を満たすために、物品や役務を提供する人が正当な報酬を得ることはあっても構わない。というわけです。オフィスのスタッフはAAメッセージを運ぶことを職業にはしておらず、メッセージ活動に直接たずさわるメンバーをサポートするのが彼らの業務です。

しかし、アメリカでAAが始まって20年もすると、いよいよAAメンバーを正式スタッフとして雇用したいという病院も登場しました。彼らは施設内で患者に12ステップを伝えることを職業とする専門家になりました。伝統8に照らして考えると、それはどうも良くありません。しかし、それを禁じてしまうと、AAメンバーは回復しても一生、病院や回復施設のスタッフという職業には就けないことになってしまいます。それも良くありません。

そこで(AAのやることはたいていそうなのですが)現実的な方策が考えられました。それが「二つの帽子」という考え方です。

この帽子は野球帽のような cap ではなく、縁のある hat を想像して下さい。帽子は一つかぶれば十分です。頭の上に二つ帽子を載せる人はいません。そんなことをすれば、道ですれ違う人に笑われてしまうでしょう。

さて、片方の帽子には「AAメンバー」と書いてあります。もう一方には「施設職員」(あるいは専門家)とある。どちらか一方の帽子をかぶり、同時に二つの立場は取らないことにするのです。AAメンバーとして活動しているときには、施設職員であることは伏せておきます。施設職員あるいは専門家として活動しているときには、AAメンバーであることを伏せます。常にどちらか片方だけの立場を取るのです。

AAメンバーとしてミーティングで話をするときは、施設の話はしない。職場でのできごとを話したければ、どこでどんな仕事をしているか具体的な話は伏せる。これが、その人の専門家としての立場も、AAメンバーとしての立場も守る方策です。他の人たちは、その人が施設スタッフであることがわかっていても、それについては触れないことで、その人の立場を守る、という了解事項です。

では、この原則を無視してAAメンバーでありながら、職業的専門家としても話をしている人に出会ったらどうすればいいでしょう? それは帽子を二つかぶっている人に出会ったらどうすればいいか、という質問にも似ています。人間のやることです。どんな原則にも逸脱というものがありますから、いちいち細かいことに目くじら立てていたらこちらが恥ずかしい。

しかし「いくらなんでもこれはやりすぎ」と思える場面にも出会ってしまうかもしれません。見て見ぬふりをする? それもありでしょう。恥をかくのはその人ですからね。しかし、制止してあげるのが親切だと思います。ズボンのチャックを開けて歩いている知り合いがいたら、陰に読んでこっそり教えてあげるのが親切というもの。それと同じです。さらに、その人は同じような人の別の人たちの立場も危険にさらしているわけです。その人だけの問題ではないのですから。

伝統というのは「責める」ためにあるのではなく、その人を「守る」ためにあるのです。ぜひ、その人の立場を守ってあげて下さい。

さて、文末についでに取り上げる形で申し訳ないのですが、長くAAサービスの専従スタッフを務められた方が先日退職されたと聞きました。彼のバランス感覚に深い信頼を寄せていただけに、その退職を寂しく思います。

概念の9に「AAの真のリーダー」についてのくだりがあります。

「彼らが役立っているかどうかの判断の手がかりは、全般に尊敬を受けているかどうかである」

彼が日本のAA共同体に大きく貢献したことは間違いないと思います。感謝を込めて。


2011年04月20日(水) てんかんについて

栃木で小学生の集団登校にクレーン車が突っ込んで6人が亡くなった事故。事故直後に運転手が「人を轢いた記憶がない」と言っていたとニュースで伝えられていたので、「てんかんじゃないのかな?」と話し合っていました。今朝のニュースでは「発作の可能性あり」となっていたので、ますますそう思っています。(違うかもしんないけど)。

突然の意識喪失はてんかんを疑ってみなければなりません。てんかんにもレベルがあり、激しいものだと卒倒(突然倒れ、口の端に泡)します。軽いものだと少し意識がぼんやりする程度。「解離だと思っていたらてんかんだった」という話も多くあります。またご老人で、元気な認知症だなと思っていたらてんかんだった、という話もあります。

発作はいつ起きるかわからず、発作とともに運動機能が影響を受けることもあるので、運転免許の条件的欠格条項になっています。子供の頃にてんかんが出ていても、成長とともに収まることも多く、また抗てんかん薬によって発作は抑えられます。発達障害と同じ脳の器質の問題であり、発達障害に含めるべきだと考えているお医者さんもいます。いずれは一つの概念に統合されるかも知れません。

アルコール性てんかん(アルコール誘発性てんかん)は、アルコールの離脱症状としててんかんを起こしてしまうもの。当然アルコール以外の薬物の場合にも起こりえます。もともとてんかんの素質を抱えていた人が酒を飲むことにより、アルコールの刺激によっててんかんが誘発されてしまいます。中には「酒を飲むまで一度もてんかん発作は起こしたことがないのに」という人さえいます。

アルコール性てんかんを起こすのであれば酒を飲んではいけません。にもかかわらず、酒を飲むのをやめられないのなら、それは依存症ということになるのでしょう。

てんかんは光刺激によっても誘発されることがあります。以前ポケモンのアニメで光が激しく明滅するシーンを流したら、多くの子供が発作を起こしてテレビ局が謝罪した事件がありました。ギャンブル依存の人がパチンコやスロットをやっている最中に意識がぼんやりしたり、途中のことを憶えていないのなら、てんかんを疑ってみるべきです。(運動機能が障害を受けないてんかんもある)。

精神病院に入院すると一度は脳波検査を受けるわけですが、脳波を取っている最中にストロボによる光刺激を受けます。あれはてんかんの検査にもなっています。発達障害の専門医によれば、この光刺激に対する反応は(アスペルガーなどの)発達障害の判定にも有用だそうです。(当然それだけを頼りに診断しているわけではない)。

アルコール性てんかんの発作で危険なのは、発作で倒れるときに頭などを打って怪我をすることです。倒れないように支えて、寝かせてあげてください。また口が痙攣している場合には舌をかみ切ってしまうことがあるので、ハンカチなどを押し込んで防ぎます。ネクタイなどを緩めて息を楽にさせ、発作が収まるのを待ちます。長く発作が続いたり、熱が出たり、興奮が収まらない場合には救急車を呼びます。

運転免許の欠格条項も見直されており、服薬で病気がきちんとコントロールできていれば、専門医の診断を受けて運転免許を取得することも可能です。てんかん持ちであることがバレるのが怖いから、という理由で医者を避けていると、日常生活の思わぬところで事故につながります。

僕はスポンシーのてんかんについて無知であったために失敗したことがありました。てんかんの有病率は0.5〜1%だそうですから、数十万人は存在します。依存症の人には(アディクションの対象が何であれ、またおそらくACの人たちにも)てんかんの人が通常より多いように思われます。てんかんに対する最低限の知識だけでも広まって欲しいと思います。

特に派手な発作のないてんかんが要注意です。もしあなたが、突然ぼんやりしてしまう人(意思疎通が悪くなる)や、日常生活で突然どっか行っちゃうなど、なんか妙な行動をする人を相手にしているのなら、「ひょっとしたらてんかんかも」という視点を持つことが大事です。


2011年04月18日(月) 何に対して無力?

ステップ1で何に対して無力を認めるか?

昨年の回復研で、「ステップ1では何に対して無力を認めるのか?」という質問が出ていました。
たまたまその時ステップ1・2のスピーカーを務めていた僕に回答が振られたので、「アルコールです」と答えておきました。

回復研の集会に参加された方でこの雑記を読んでいる人は少ないとは思いますが、ちょっとここで補足を書いておこうと思います。

AAのステップ1はこうなっています。
1. We admitted we were powerless over alcohol - that our lives had become unmanageable.
私たちはアルコールに対し無力であり、思い通りに生きていけなくなっていたことを認めた。

ステップ1に取り組む人に求められていることは、アルコールに対する無力を認めることで、他のことに対する無力ではありません。

そもそも人間とは様々なことに対して無力です。例えばこの一ヶ月、僕らは大量の水(津波)に対していかに人間が無力な存在であるか思い知らされました。また別の例を挙げれば、僕は目の前の赤信号を青に変える力すら持ちません。信号を青に変えてくれるのは時間の経過であり、僕自身は赤信号に対して無力です。僕の力では津波も赤信号もコントロールが及ばないのですから。

赤本のステップ1では、人は様々なことに対して無力であることが述べられています。しかしそれは「無力であるとはどういうことか」を説明するための文章であって、様々なことに対する無力をステップ1で認めろと言っているわけではありません。「他の様々なことと同様に、アルコール<にも>あなたの力が及んでいないのだから、ともかくアルコールに対する無力だけは認めなさい」というわけです。

他の12ステップグループのステップ1はどうなっているでしょうか? たいていどこでもステップ1は
We admitted we were powerless over ○○○
となっていて、○○○の部分が対象に合わせて変更されているだけです。

アラノンではAAと同じ
We admitted we were powerless over alcohol
です。家族は酒を飲んでアルコホーリクになっているわけではありませんが、同じように病んでおり、また同じようにアルコールに対して無力です。

その他のグループも並べてみましょう
NA - addiction (薬物使用)
ナラノン - the addict (アディクト本人)
GA - gambling (ギャンブル)
ギャマノン - the problem in our family (家族が抱える問題)
OA - food (食べ物)
ACA - the effects of alcoholism or other family dysfunction (アルコホリズムもしくは機能不全家族からの影響)

powerless, but not helpless という言葉があります。自分では無力なのだが、なにかの力によってその問題は解決できるというわけです。その力は自分を越えた大きな力(ハイヤーパワー)です。僕らはステップを経れば問題を克服できます。しかし、ステップを経ても自分そのものはなお無力なまま残ります。

家族(奥さん)の立場で言えば、夫のアルコール(ギャンブル)に対して無力です。コントロールが及ばないので解決できません。また夫のアルコール(ギャンブル)によって奥さん自身が被った影響に対しても、なすすべがありません。それらを解決できるのは、ハイヤーパワーです。

自分では解決できないからこそ「無力」です。自分の力の及ぶ問題に対して無力を認めてしまうと、問題が解決できなくなってしまいます。

ステップ1の文章には続きがあり、それは僕らの人生が手に負えなくなったことを認めろと言っています。その原因はアルコールです。その真の原因は僕らの霊的な病(性格上の欠点)です。だから、ステップ1で「性格上の欠点」に対しても無力であることを認めるべきだ、と言う人もいます。さすがにそれは違うでしょう。

性格上の欠点がつまびらからにされるのは、ステップ4・5の棚卸しを経てからです。そこまで進まなければ性格上の欠点が何かは分かりません。ステップ1ではまだそれが何か分かっていません。対象が分からないものに対して無力を認めることはできません。ステップ1で性格上の欠点に対しても無力を認めるべきだと要求するスポンサーは、スポンシーにできないこと要求しているわけです。

「ステップには順番があります。あなたにはアルコール(ギャンブル)以外にもいろいろ問題を抱えていることは分かっています。けれどそれについてはもっと先へ行ってから取り組むことにして、今はアルコール(ギャンブル)のことに集中しましょう」

というのがステップ1をガイドするときのスポンサーが取るべき態度だと思います。


2011年04月15日(金) ビッグブックのやり方分類

AAテキスト(ビッグブック)を使ったステップのやり方について、分かる限りで分類を試みてみました。

1) 「バック・ツー・ベーシックス」
Wally P. の "Back to Basics" や、第1回ビッグブックの集い研修会で使われた「バック・ツー・ベーシックス」(ワリーさんとは別著者)。このフォーマットが日本で一番流行ったのは2003年。これを使っている人たちは、その多くが後述のビッグフットに移行してしまいましたが、一部にはこのフォーマットを使い続けている人がいるそうです。

2) 「ビッグフット」
AA四谷ビッグブックグループのメンバーを中心に作られた「ビッグフット」フォーマット。2004年前半は会場に毎回100人近くを集めるほどの人気を博しました。AAミーティングでフォーマットを使うことの是非が議論を呼びましたが、常任理事会はフォーマットの利用には反対しないものの、一部のAAメンバーの解釈がAA全体の意見だと誤解されかねないので、AA外部での使用(病院メッセージなど)は謹んで欲しいという要請が出されました。その後このフォーマットの利用者は減ったものの、現在でも水曜日のメリノール宣教会での会場で地道に使われています。

3) 「ドゥー・ザ・ステップス」
アメリカから日本に戻ってきたメンバーSさんが広めたやり方。ドクター・ボブからの流れを汲むという。2泊3日程度で集中的にステップの受け渡しと実践が行われる。使われるテキストはビッグブックのみ。終わった後に棚卸し表を燃やしたり、伝承者以外に内容が知らされないなど秘儀的な要素がある。前述のビッグフットがビギナー向けのフォーマットだったのに対し、それを終えた人が本格的にステップに取り組むために、両者を組み合わせて使う人が多かった。現在でもこのやり方を愛する人々は一定数います。

4) 仙台方式
米軍三沢飛行場に勤めていたメンバーが受け取ったステップ。その後この人が仙台に移って広まったためにこの呼び名があります。東京のアラノンメンバーの一部にも広がっているとか。中身について知りたければスポンシーになるしかないという秘儀的な要素があり、内容についてはよくわかりません。

5) 大崎(東北)
東北のRさん、大崎在住の英国人Jさんが中心となり、毎年「ビッグブック・ラウンドアップ」という一泊二日の研修が行われていました。2003年の資料で第7回とあるので、ずいぶん前から開かれていたようです。その後スタッフ不足で第8回を最後に開かれていません。内容については僕は行ったことがないのでよくわかりませんが、資料の一部を入手して僕のスポンシーの一部に試したことがあります。どれほど広がったかわかりませんが、その後日本のBBムーブメントの屋台骨を支えた人の多くが、一度はこの大崎BBラウンドアップに参加した経験を持つことは特筆に値します。

・4) 仙台方式と5) 大崎を分けて書きましたが、この二つは同一のものだというご指摘を頂きましたので追記しておきます。

6) Sさんのやり方
ステップがない日本のAAに絶望してアメリカに渡ったというAAメンバーSさんが、日本に持ち帰ったやり方(彼は東京タワーグループを設立している)。基本は後述のJ&Cですが、彼独自の視点が加えられ独特のものになっています。また琉球ガイヤから現在大阪に戻っているPさんの寄与も大きいとか。♭代々木や神奈川のつくし野グループを中心に、池袋のウェルカムグループあたりにこれを受け継ぐ人が多い。四谷BBから始まった流れと双璧をなす、大きな流れの一つです。

7) ジョー・アンド・チャーリー(J&C)
ジョー・マキューとチャーリー・Pの二人によって、ビッグブック・スタディという週末2日のセミナーが開かれており、これを録音したテープが広まったことがジョーの名前を皆に知らしめました。このセミナーによって影響を受けた人は30万人以上と伝えられています。ジョー・マキュー(オールド・ジョー)亡き後は、ジョー・マッコイ(ヤング・ジョー)がその代わりを務めて継続していましたが、ヤング・ジョーが病に倒れてからは開催されていないそうです。アメリカ人メンバーのDさんあたりが日本に持ち込んでいるようです。このやり方をしている人は「自分はジョー・アンド・チャーリーのやり方だ」と言わないところが特徴かも。

8) ジョーのステップ
前述J&Cの片方ジョーのステップのやり方。J&Cとは細かいところが違っています。依存症からの回復研究会(回復研)はこのやり方を広めることを目的としています。AA内部では意外と広まっておらず、AA以外の12ステップグループへの展開が目立っている気がします(それがジョーのステップそのものであるかはわかりませんが)。このやり方を依存症の施設のプログラムとして体系化したものが「リカバリー・ダイナミクス(RD)」なので、AAなどのグループの中で使う場合はRDとは呼びません。

ざっと見渡しただけでもこれだけのバリエーションがあります。しかし知らない人にとっては、みんな一つのやり方に見えるようで、「ビッグフット」も「バック・ツー・ベーシックス」も、♭代々木も回復研も、区別はつかないようです。しかし、中身はかなり違っています。共通点は、みんな12ステップのやり方をビッグブックに求めることであり、同じようにスピリチュアルな目覚めを体験することでしょう。

「うちでもビッグブックをやっている」という声を聞くことがありますが、その多くはミーティングでビッグブックを読み合わせて普通のテーマミーティングをやっているに過ぎません。バリエーション(違いが)あると言っても、ビッグブックに従う以上欠かせない共通要素はいくつかあり、それを欠いてはビッグブックのやり方とは呼べなくなってしまいます。また自分のやり方がどれか分からない人は、スポンサーからさらにスポンサーへとたどっていけば、上の八つのどれかにたどり着くと思います。もし僕の知らないやり方をやっている人があったら教えてください。訂正情報も歓迎です。

今、日本のAAでビッグブックのやり方が広がっているのは関東だけと言っても良い状況です。東北や僕のいる長野、京都や中四国で、回復した人が小集団を作っていますが、それだけです。全国展開はこれからでしょう。また、AA以外の団体の状況については詳しく知りません。当然AAでのバリエーションが、AA以外のところにも反映され、いろいろなやり方が伝わるでしょう。

バリエーションごとの細かな違いを気にする人もいますが、僕はやり方の違いについてはそれほど気にしていません。


2011年04月14日(木) 科学的とは

疫学調査とはどういうものか。

1960年にアメリカのダールという研究者が、塩分摂取量と高血圧症の発症率に正の相関があるという疫学的調査の結果を発表しました。この相関はきれいな直線を描いていたために、強い説得力がありました。


成人病(現在の生活習慣病)という概念を確立させたのはアメリカの保険会社です。それまで高血圧は体には悪くないと考えられていたのですが、彼らは高血圧の人が早死にする(従って保険金もたくさん払わねばならない)ということを発見したのです。業績を上げるためには高血圧の人を減らす必要があり、高血圧の原因探しが行われていました。そんなところにダールの論文が登場したのです。

このため、高血圧や脳卒中を減らすために「減塩」が言われるようになりました。

さらにダールはラットを使った動物実験も行いました。ラットに塩分を大量に与えると、一部のラットは高血圧になります。そのラット同士を掛け合わせると、さらに重症の高血圧になる子孫が作り出されました。そんなラットでも減塩の食事療法をすると血圧が正常に戻りました。

この結果、高塩分→高血圧(→脳卒中による死)という図式がなりたつと見なされました。

しかし、現在ではダールの業績のかなりの部分は否定されています。ダールの用いた塩分摂取量のデータの信頼性が低かったこと。塩分摂取量が低い未開民族の平均寿命が40才にすぎない例もあること。ラットを使った研究は塩分感受性(塩分を摂取すると高血圧になりやすい体質)が遺伝することを示したのみと解釈されています。

塩分量と高血圧の関係を調べる疫学調査はダール以降も続けられました。そのうち最大のものがINTERSALT研究です。これは32カ国にまたがった大規模な調査でした。その結果、塩分摂取量と血圧には相関があるもののそれは弱く、高血圧症に対する塩分の重要性は低いことがわかりました。国が大規模な政策を行って国民全体に減塩を呼びかける効果は否定されました。

しかしながら、塩分を取ると高血圧になりやすい(塩分感受性の高い)体質の人がいるのも事実で、逆に高血圧症の人の90%はこの体質であることもわかっています。高血圧予防のためには、この体質を持つ人を発見し集中的に減塩指導した方が効果的であることから、この体質を発見するための検査方法へと関心が移っています。

現在では減塩政策推進派の人たちの主張は「高血圧予防」ではなく「動脈硬化予防」など他に力点を置いたものになっています。減塩政策そのものは現在も続いており、アメリカのFDAは食塩を「食品添加物」として扱って食品に塩分量の表示する政策の準備に入っていると伝えられました。塩分感受性の高い人は自ら塩分摂取量を気にしなければならないので、この政策は間違いでありません。

言いたいことは、疫学が「高塩分→高血圧」という図式を発見し、さらにそれを「高塩分+塩分感受性→高血圧」に修正するのに30年ほどの時間を要しているということです。その30年のあいだに「高塩分→高血圧」という図式が広がってしまい、簡単には修正が効かなくなってしまいました。

全国民に低塩分を求める政策は成功していません。薄味の料理が体によいことが分かっていても、やっぱり濃い味のほうがおいしく感じるものです。塩分を気にしながら料理するのは面倒です。こうしてベネフィットが少なくコストが大きい努力は嫌われ、それが減塩の価値を軽んじさせます。実際に減塩する人は少なくなり、結果として塩分感受性の人が早死にすることを防げていません。それよりは選択と集中を行った方がいい。

若い頃に「高塩分→高血圧」という教育を受けた人は今でもそれを信じています。それを「高塩分+塩分感受性→高血圧」に修正することは容易ではありません。

疫学というものはとても役立つ学問ですが、結果の解釈によっては大きな間違いにつながることもあります。例えば初期のAIDS患者にはたまたま同性愛者が多かったため、AIDSと同性愛の関係が想定されました。このため異性愛者に対する対策が遅れ、AIDSの蔓延が防げなかったという反省があります。また、エイズは同性愛者がかかる病気という偏見はなかなか取り除けませんでした。

疫学を扱う人は言うことが世間に大きな影響を与えると分かっているために、とても慎重な物言いをします。確定的なことを言うには膨大なデータの積み重ねと長い年月が必要とされることが分かっているからです。

「ただちに健康への影響はない」というのはデータから言えることがそれだけだからです。しかし学問というものは、それ自体がなかなか金を生み出さないだけに、食っていくために確度は低くても確定的な物言いをしなくちゃならない学者さんもいるのでしょう。そうしてテレビ向けに絞り出された「危険だ」「安全だ」という話が一人歩きしています。それにみんなして振り回されて楽しんでいるのが、この非常時の国民の娯楽なのかもしれません。


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